第117話 中央教会 其の英雄
「あなたのことはジオグラルド殿下から伺いましたよ、テイルさん」
そう、ミザリー大司教から切り出された時点では、自分が話題の主役になるとは想像もしていなかった。
「孤児としてジュートノルの宿屋に引き取られたこと。そこで奴隷もかくやというひどい扱いを受けたこと。その生活を何とかしようとジョブの恩恵にすがったこと。そして、数奇な運命に翻弄された末に、古代の力を得たことを」
まるで見て来たかのように話す、ミザリー大司教。
その確信を持った口ぶりの理由は一つしかないと、横に座るジオの顔を見る。
「ほんのさわりだけだよ。それなりの伝手を以て、時間と手間をかければ調べがつく程度のものさ。僕が実際に見聞きした、繊細で複雑な事情にまで触れてはいないつもりだ」
その言葉と、俺への気遣いが感じられるジオの表情にとりあえず納得することにして、ミザリー大司教に向き直った。
「ごめんなさいね。本人の了解も得ずに個人の事情を知ることなんて、四神教徒にあるまじき行いだとわかってはいるのだけど、この話を始めるに当たって、どうしてもテイルさんの事情を事前に知っておきたかったの」
すまなそうにそう言ったミザリー大司教は一度カップに口をつけた後、改めて姿勢を正してから口火を切った。
「テイルさんは気づいていらっしゃるかしら?この中央教会では、ノービスについて全くと言っていいほどに触れられていないことに」
「は、はい」
――正直、驚いた。
メリス司祭の案内で教会を見学している間に疑問に感じて、それでも面と向かって聞きにくいことを、まさか教会の大司教自ら切り出してくるとは思ってもみなかったからだ。
「その理由を、結論から言ってしまうと、中央教会では、ノービスというジョブを経ることなく、四つの基本ジョブの恩恵を与えているからなのよ」
「えっ……!?」
その驚きの声を上げたのは俺――じゃなく、同じソファに座るリーナからだった。
「そう言えば、リーナ嬢も、テイルさんと同じくジュートノルで冒険者になったのよね。それなら、王都の冒険者事情を知らなくても無理はないわね」
「僕も、王国史の研究をしていなければ、違和感すら覚えなかったかもしれないのだけれどね。王都は人口が多い分、冒険者志望も毎年かなりの数に上っていてね、識字率など教育が行き届いていることもあって、ノービスとして見習い期間を設ける必要性が薄いらしい」
「冒険者ギルドや中央教会などのサポートも充実しているのも、理由の一つですね。近年では、王都のやり方をまねて、大都市を中心に同様の方式が採用され、ノービスというジョブ自体を知らない民も少なくないそうですよ」
――確かに、ジュートノルの冒険者学校は、ギルドでの手続きとか、社会のあれこれを学ぶ場所でもあったな。
そんな風に、隣のリーナと一緒に、冒険者事情を説明してくれているミザリー大司教の話に聞き入る。
すると、妙齢のご婦人の表情がわずかに暗く沈んだ。
「ですが、世間からノービスの存在が忘れ去られている理由は、もう一つあります。それは――」
「ずばり、『ノービスの歴史を探ってはならない』という、四神教の暗黙の了解の存在だ」
顔を歪めながら話すミザリー大司教を思ってか、ジオが横から攫うような形で言葉を継いだ。
「暗黙の了解……?どういうことなの?」
「言葉通りの意味さ。いつ始まったのか、誰から言い出したのかも定かじゃあない。ただ、その一条の誓約が口伝で教会上層部に伝えられてきた。もちろん、そんな気持ちの悪い慣習を見逃す僕じゃあない。意気軒高に調査に乗り出そうとして――」
「事態を憂慮したセレスからの相談を受けた私が、後見人の権限と威光をもってお止めしました」
今は部屋の外で護衛についてくれているセレスさんの方を見ながら、そう答えたミザリー大司教の表情は、真剣そのものだった。
「過去には、殿下と同様にノービスの存在に疑問を持った教会関係者が調べようとしたようですが、様々な理由で頓挫しています」
「そっちの調査は止められなかったからね、好奇心の赴くままに調べたよ。まあ、ひどいものだったよ」
実家の没落による降格や左遷。
飲料水を飲んだ直後の謎の不審死。
周囲の度重なる不幸。
普段は滅多に外に出ないのに突然の外出先で通り魔による刺殺。
「そのどれもが表沙汰にならないような後始末のされ方をしていてね。上層部でも、これらを関連付けて考えている教会関係者は、僕からの報告を受けたミザリー大司教くらいなものだろうね」
「な、なんで、そんなことに……」
声を震わせているリーナが、背筋に冷や汗がつうっと流れている俺の気持ちまで代弁してくれている。
そんな俺達に追い打ちをかけるつもりじゃないんだろうけど、「わかりません」と言ったミザリー大司教が、さらに続けた。
「ただ、もしもノービスの根源について詳しく知っている者がいるとすれば、それは四神教の総本山たる『神聖帝国』以外にありません。だとすれば、神聖帝国に密かに通じる者、あるいは秘密機関がアドナイ国教会に存在して、密かに私達のことを監視しているのかもしれません」
――もっと、もっと早くに気づいても良かったとは思う。
身分的にはただの平民の俺を同席させて、四神教のタブーとも言える秘密を語って聞かせるジオとミザリー大司教の真意に。
そして、同じタイミングで気づいたのか、ハッとした顔でリーナが俺の顔を見てきた。
「ですが、私もアドナイ国教会を主導する大司教の一人。秘中の秘のノービスについて、何も知らないというわけではありません」
『其の者、最古の英雄にして初心を忘れざる者。人族を災厄から守りしも、盟友達によってはるか過去に忘れ去られし者。覚悟せよ、人族に再びの災厄襲いし時、我らが罪と無力に恐れ戦く時が必ず来たることを』
「これが、代々の治癒系大司教に口伝のみで伝えられている、古の伝説です。その他に申し送りなどは一切無かったため、私もただただ先人達の教えを受け継ぐだけの身でした。それがまさか、私の代で謎を解き明かすことになろうとは……」
――エンシェントノービス。
ミザリー大司教が、終始匂わせて、かつ一度も口にしなかった言葉。
それを知っているのかどうかはともかく、まっすぐに向けられる視線から、俺に対して言っているのは間違えようがない。
「私には、あなたがどのような道程を経て今日まで生きてこられたのか、また、この先どのような未来を切り開くのか、知る由がないですし、その立場にもありません。ですが、人族の行く末を案じるジオグラルド殿下の力となり、また人族を再びの災厄から守る英雄足らんことを、切に願っています」
俺にとっては、なにがなにやらさっぱりわからない、ミザリー大司教の言葉。
だけど、大司教という偉い人のはずなのに、俺に対してどこまでもまっすぐな真剣な眼差しに、否定の言葉を言うことは到底できそうもなかった。
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