第116話 中央教会 ミザリー大司教
「まあまあ、立ち話もなんですから、とりあえずお座りになってくださいな」
そんなミザリー大司教の勧めで、俺とリーナは三人腰かけても余裕がある大きなソファにジオと共に座る。
すると、頃合いを見計らったかのように入ってきた、側仕えらしき僧侶の茶菓子の接待を受けた後、再び四人きりになったところで挨拶が再開された。
「四神教のアドナイ王国教会のトップは総司祭という役職なんだけれど、これは一種の名誉職でね、実務は全て、戦士、スカウト、魔導士、治癒術士の、四柱それぞれに身を捧げた大司教四人によって回されているわけさ」
「その、数多いる信徒の中で、治癒神の思し召しと巡り合わせがたまたま良かった私が、今こうして大司教の大役を仰せつかっているというわけです」
「またまた、相も変わらずミザリー大司教は謙遜が過ぎる。治癒系以外の教会関係者にも顔が広く、僕の後見人として王家からの信頼も厚い貴方が、次の総司祭に推す声も多いと聞いているというのに」
「噂は噂。あまりにも前評判が大きすぎれば、得てして反感を持たれやすいのは人の世の理ですよ」
そうコロコロと笑うミザリー大司教。
その穏やかで気品のある雰囲気からは、ジオの言うような権力者のイメージとはどうしても結びつかない。
そこへ「ああ、そうそう」と、一見何でもない風に装ったミザリー大司教の一言が、ジオに向けられた。
「例の件、全て滞りなく済みましたよ」
言葉の内容も特別なことは何もない、ありふれたもの。
ただし、
バアン!! ガシャーーーン!!
突然、全身を震わせながらティーセットが置かれたテーブルに思いっきり拳を叩きつけ、カップをひっくり返したジオの反応は劇的そのものだった。
「……その話、真ですか?」
「あら、この類のことで、殿下に偽りを申した記憶はないのですけど?あとは、殿下が直接御会いになられて直に意思を述べれば、全ての事が運ぶように手配済みです」
「そうですか、そうでしたね……ふう」
自問自答した後の、短くも深い呼吸。
直後に中腰になっていた体をソファに投げ出すように座り直すと、少しの間目を閉じたジオ。
ひっくり返したティーカップを気にも留めないその態度は、明らかにいつもの落ち着きがない。
だけど、この短い間で一気に歳を取ったようなジオの虚脱した顔を見ていると、俺もリーナも何も言えなかった。
やがて、目を見開いていつもの調子に戻ったらしいジオが、何かに気づいたようにミザリー大司教を軽く睨んだ。
「その話、この二人の前でわざわざすることもなかったのでは?」
「あら。わざわざこの場に同席させたほどの仲なのでしょう?まだ全てを明かす段階ではないにしても、殿下のご心労を知っていただいた方がよいのではなくて?」
「そんなつもりは無かったのですけれどね……」
上機嫌なミザリー大司教の言葉に、またも顔をしかめたジオ。
ただし、さっきみたいな疲れが一気に出た感じとは違って、姉に翻弄される弟のようなもどかしさが含まれている気がした。
――ジオの出家時代も、まんざら孤独だったってわけじゃなかったらしいな。
そんな穏やかな気分に浸りながらお茶を啜っていたけど、ミザリー大司教が改めて姿勢をを正したことで、場の空気が変わった。
「殿下を驚かせるような事態に至ったのには、実は裏がありまして。本来なら関係各所との利害をすり合わせて根回しを行うべきところを、教会の威光を盾に少々強引に進めた結果、本日の殿下へのご報告となりました」
ミザリー大司教の話の内容――その半分も理解できたとは言えないけど、一つだけピンと来たことがあった。
――ひょっとして、ジオの今日の予定が決まったのは、これが原因だったのか?
「……何があったというのですか?」
「御帰還されてからというもの多忙を極めていた殿下はお聞き及びではないかもしれませんが、今王都で頻発しているアンデッドの出現について、様々な噂が飛び交っているのです」
「アンデッド……?」
訝るようにそう呟いたジオが、こっちを見てきた。
「なあリーナ、それって」
「ええ。きっとアレも、その一つなんでしょうね」
そう俺に返したリーナが、マクシミリアン公爵邸に向かう途中で遭遇したアンデッドの一件を手短に告げた。
「王宮近くの区画に?……確かに、通常のアンデッドの発生理由を鑑みるに、あり得ない事件だ。少なくとも、その近辺に『不死の神』にまつわる何かがなければ、決して起きえない話だね」
「不死の神?」
「神々の世界でも最上位に位置するといわれる、至高の一柱のことです」
ジオの言葉を補う形で俺に答えてくれたのは、ミザリー大司教だ。
「生死の境を越えて、現世にこの世ならざる者を召喚させる力を持つとされる神です。人族ごときではその御心を察することすら許されない埒外の存在と、四神教では定義されています」
「アンデッドはその先兵と言われている。けれど、奴らが歴史の中で組織だった行動を起こしたという記録はないし、そもそも知能を得られるのはリッチなどの上位種だけ。そのほぼ全てが、生前の欲を捨てきれずに現世に舞い戻った亡者だから、はたして幽世に何があるのか、全く分からないというのが実情だよ」
そう言ったジオが、改めてミザリー大司教に向き直る。
「当然、中央教会としては、事態の究明に乗り出したのでしょう?」
「はい。ですが、王宮近くの区画となるとなかなか思うように調べることもできず、担当する教会騎士団も対応に苦慮しているようです」
「他にも、アンデッドの出現報告があるのでしょう。そちらは?」
「そちらも……」
「なぜです?アンデッド退治と後始末は中央教会の領分のはず。それを妨げることなど、王家ですら慎まなければならない。もしそれを怠れば、他の生き物への不死の力の感染、増殖能力を持つアンデッドの跳梁跋扈を許し、王都はあっという間に死の都となるのは必定だというのに?」
普段とは全く違う、鬼気迫るジオの剣幕に、俺もリーナも口を挟めない。
なにより、その話の内容が、生半可な知識で横槍を入れることを許さないのだ。
「私からは何も申せません。むしろ、ジオグラルド殿下にだからこそ、私から讒言することは憚られるのです」
「それは……!?」
「近い内にお会いすることもあるでしょうから、直接お尋ねください。それが、一番の近道と心得ます」
「……わかりました。その通りにいたします」
ドサッ
再び前のめりになっていたジオが、小さくはない音を立てながらソファに深く腰を落ち着けた。
話の雰囲気から、これで退室することになりそうだと思って心の準備をし始めた、その時だった。
「それでは、本日の本題に入りましょうか」
柔和な笑みに戻したミザリー大司教が、ジオから俺へと視線を移しながらそう言った。
――長い一日は、まだまだ終わりそうになかった。
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