第108話 第三王子宮の臨時教官


 夜明けはまだ遠く、星空を掻き消す日の光の片鱗がようやく彼方から覗き始めた頃。


 ようやく第三王子宮での寝起きにも慣れて、いつも通りの起床ができるようになったのは、本当に良かった。


「あ、いつつ……」


 昨日の体の酷使で痛む節々に活を入れながら、なんとかベッドから離れる。


 治癒魔法には、傷だけじゃなく筋肉の炎症やコリなんかを治療する効果がある。

 だけど、自然に体に備わっている回復力をおざなりにして、あらゆる不調を治癒魔法で解決していると、色々と副作用が起こるらしい。

 冒険者学校じゃ詳しくは教えてくれなかったけど、治癒魔法への重度の依存症になったり、偏った治癒魔法の行使によって体のバランスが崩れ、早々に冒険者を引退する例もあるらしい。


 そんな指摘を受けつつ、俺とリーナの治療は外から見える傷だけに留め、食事と風呂を済ませた後は速攻で眠りに就いたというのが、昨日のこと。


「おはようございます」


「お、昨日の今日で時間通りに来るとは感心感心――ってな。まあ、エンシェントノービスの恩恵を受けていれば、当然の回復力だろうな」


 昨日と同じ位置、庭の一角で待ち受けていたのは、冒険者ギルド総本部のグランドマスター、レナートさん。

 黒の装備で固めた俺とは違って、レナートさんは昨日と同じ平服に、腰に革の水筒と短めの剣を帯びているだけ。

 外見だけじゃ、とてもグランドマスターなんて凄い人には見えない。


 もっとも、今は肩書が違うらしい。


「んじゃ、今日も臨時教官の仕事を始めますかね。ほら、どっからでもかかってこい」


 その、のんびりとした声を聞いた俺は、地平線の向こうからうっすらと差し始めた光を頼りに、一見丸腰のレナートさんに向かって腰の剣を抜きながら、一直線に駆け始めた。






「まあ、C級冒険者とずぶの素人って考えたら、こんなもんか」


 昨日。


 マクシミリアン公爵邸から帰ってきた俺達を出迎えるなり、ジオから教官役を仰せつかったと言った、レナートさん。

 とりあえず着替えてきてからと思って、いったん宮殿に入ろうとした俺達に、


「おいおい、お前達が悠長に着替えてる間、魔物がお行儀よく待ってくれるっていうのか?ちっとは頭を使え。この色ボケカップル」


 ――色ボケカップル?


 たぶん悪口なんだろうけど、何を揶揄されているのかわからなかった俺。

 だけど、隣のリーナには効果てきめんだった。


「グランドマスターだからって容赦しないわよ!!」


 上等な服を着てはいたけど、まだ冒険者と言って通じるくらいの動きやすそうな格好をしていたリーナは、宮殿に入りかけていた体を回転させつつ腰のレイピアを素早く抜き放ち、レナートさんに激高しながら突貫した。


 こうなると、リーナを援護するしかない。

 いざという時に、リーナの制止と援護の両方ができる距離にいるべきだと思って、後に続く。

 そして、リーナを迎撃するために、レナートさんが腰の剣――ではなく、革の水筒に手をかけた時、敗北を確信ほどのプレッシャーを感じた。






「ほれほれ、もっと早く捌かないと、被弾回数が増えて動きが取れなくなるぞー」


 そう言いながら手首をしならせるレナートさんの動きに合わせて、黒の剣を振りぬく。


 と言っても、彼我の距離は剣の間合いとはとても言えないほどに遠い。

 剣どころか弓矢で狙うのが常識という位置から、革の水筒を持っているだけの、レナートさんの攻撃を受け続けている。


 レナートさんとの最初の出会い、レオンの凶行を止めてくれた時。

 俺にはレナートさんの攻撃がまるで見えなかった。

 たぶん、それは、不可視の攻撃を直接食らったレオンも同じだっただろう。あの場で理解していたのは、レナートさんと知己らしい、レオンの仲間の魔導士の老人だけだったと思う。

 だけど、さすがにこれだけ攻撃を受け続けていれば、剣でガードすることもできるようになるし、あの時見えなかったものも見えるようになってくる。


 水。


 気づいてみれば当然っていうか、そりゃあ水筒からは水しか出てこないだろうと、自分に愚痴りたくなるような種明かし。

 どういう仕掛けかわからないけど、レナートさんは水筒の中の水を自由自在に操って、俺の間合いの外から攻撃してきているわけだ。


 だけど、ネタが割れたからと言って攻略できるほど、レナートさんの攻撃はぬるくない。


「くっ――!!」


 レナートさんの手から細く伸びた水の鞭は、本物とは似ても似つかない軌道を描いて、俺の体を襲ってくる。

 一段と強まった朝焼けが描き出す赤橙色の水の軌道と、襲い来る水の鞭の先端を剣で払うことで発生する乾いた音だけが、俺がレナートさんの猛攻を凌げている理由だ。

 正直、この二つが無かったら、とっくの昔に昨日と同じようにズタボロになっているはず。

 リーナが未だに起きてこないのも、単に体力的な問題だけじゃなく、不可視の攻撃に晒され続けた精神的な疲れも大きいんだと思う。


「お、昨日よりは持つようになったな」


 不意に出たレナートさんの言葉。


 確かに、水の鞭をある程度食らった後、五感強化を最大にして耳や触覚も総動員した結果、このくらいの攻撃ならなんとか凌げるようにはなっていた。


「じゃあ、昨日のおさらいと行くか」


 ――問題は、むしろここから。


 レナートさんの宣告の直後、それまで一本の長い紐状になっていた水の鞭の先端が、突然二又に分かれた。


「うぐうおおおおおおっ!!」


 たかが二倍、されど二倍。


 昨日は、予想だにしていなかった攻撃密度の倍増に、体がついて行けずに水の鞭の連撃を食らって、そのままノックダウンしてしまったのは覚えている。

 あれから、寝ている時間以外は延々と対策を考え続け、出した結論がこれだった。


「へー、なるほどね」


 あっちが二倍なら、こっちも二倍。

 ただし、馬鹿正直に剣を二本用意する必要はない。

 要は、水の鞭を払いのけられるだけの強度――たとえば左手のガントレットなんかでも、十分に足りているってことだ。


「ふっ、はっ、たあっ!」


 右手の黒の剣と、左手のガントレットで、二又の水の鞭を迎撃する。

 相変わらずレナートさんに近づける気はしないけど、眼さえ慣れてくれば前進できる隙を見つけることもできるかもしれない。


 そう思いながら、ついに地平線の向こうから姿を現した太陽に照らされてますます反射の輝きを強める水の鞭に意識を集中して――


「残念。まだまだノービスの何たるかを、まるでわかってないなー」


 その輝きがふっと消えた瞬間、俺の顎とみぞおちに見事な打撃が一発づつ入った。


「がはっ……!?」


「お、ちょうど公爵令嬢様がお目覚めのようだな。まあ、『五感強化の神髄とはなにか?』を考えながら、しばらく眠っとけや」


 そのレナードさんの声と、宮殿の床を叩くリーナのものらしき足音を聞きながら、俺は意識を失った。

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