第106話 おかしなお兄さん
「お、お久しぶりです、兄上」
緊張、というよりは、身内に対する気恥ずかしさを漂わせて挨拶をするリーナ。
――いや、親も兄妹もいない俺に、家族の何が分かるってわけでもないんだけど。
ただ、そう表現するしか、俺の陰に隠れながら言うリーナの行動に説明がつかない。
当然、例え実の兄といっても、そんな態度が受け入れられるわけもなく、
ゴゴゴゴゴゴ
そんな音が聞こえてきそうなほど、俺達が馬車を降りてからずっと無言なままの、リーナのお兄さんの顔が険しさを増していく。
――時は経っても、いつまで続くかもわからない緊張感。
そのプレッシャーに一番に耐え切れなくなったのは、何を隠そう俺自身だった。
「あ、あの――」
「違うだろう!!」
「はい!ごめんなさい!!」
思わず謝ってはみたけど、リーナのお兄さんは俺なんか眼中に無かったらしい。
ていうか、リーナのことしか見えていなかった。
「アンジェリーナ!!兄上ではなくお兄様と呼べと何度言ったらわかるのだ!?」
「そ、そんな恥ずかしい呼び方できるわけがないでしょう!?私だって、もう成人の齢なのですよ!」
「黙れ!!昔のように『アルベルトお兄たま』って言わなければ、ウチの敷居は跨がせんぞ!」
「もっとひどくなっているではないですか!いったいいくつの頃のことを言っているのですか!」
「私にとってはいつまでも可愛いアンジェリーナのままだ!!」
――アンジェリーナ!?ひょっとしてリーナの本名?
なんてツッコミを入れる暇もないほど、息つく間もない掛け合いが続く中、俺は考える。
俗に、夫婦喧嘩は犬も食わぬと言うけど、兄妹喧嘩の場合ってどうなんだろうか?
家族同士のことだから、やっぱり俺が口を出すのは違うと思う。
それに、お向かいのお屋敷や時々通り過ぎる馬車から、いくつもの視線がさっきから注がれていて、リーナとお兄さんほど夢中になれない俺からしたら恥ずかしくてしょうがない。
そんな願いが通じたのか、姦しい言い合いを止めた二人が、同時にこっちを見た。
「ところでアンジェリーナ、このみすぼらしい男は何だ」
「兄上!!兄上は仮にも貴族なのですよ。例え本心ではそう思っていたとしても、私が連れてきた客人なのですから御言葉は慎んでください!」
「ふん、客か。てっきりリーナの使用人かと思ったものでな、失礼した。まあ上がれ。貴様を客として遇するかどうかは、中で試してやる」
お兄さんにそう言われた時、怒涛の展開についていけなかった頭が、初めて現実に追い付いた。
リーナのお兄さん。
お兄さんはこのお屋敷の住人。
そして、庭を含めたお屋敷の大きさは、ジオの宮殿に負けず劣らずの規模。
え?俺、今からこのお屋敷にお邪魔するの?
「初めまして、テイル君。私はアンジェリーナの父で、ジルンベルト=フラム=マクシミリアンという者だ。アドナイ王国にて公爵位を授かっている」
お兄さん直々に案内された先は、これまたジオの宮殿と同じくらいに無駄に広い応接間。
そこに待っていたのは、リーナとお兄さんと同じ髪と目の色をした、それでいて細身で優し気な、真逆の雰囲気の貴族様。
その貴族様から開口一番飛び出したセリフをかみ砕くのにしばらくかかってしまい、無礼もここに極まれりと思ったその時、一つの名前が俺の頭の中に降臨した。
「マクシミリアン!?」
「なんだアルベルト、まさかまだ名乗っていなかったなどと、貴族にあるまじき失態を私に告げるのではあるまいな?」
そのお父さんの言葉が出た瞬間、お兄さんが顔を背けた。
ついでに、今の今まで俺に隠し事をしていたリーナも、全く同時にそっぽを向いた。
――マクシミリアン公爵家。
貴族の名前なんて全く知らない俺だけど、その名前だけは聞き覚えがあった。しかもごく最近。
どうやら貴族にあるまじき態度を指摘されて動揺しているお兄さんはともかく、あの時に一緒にいたはずのリーナには、聞きたいことと言いたいことが山ほどある。
だけど、一番に聞くべきは、
「あ、あなたが、ジオの……」
「ジオ?……ああ、そう言えば、御帰還なされたジオグラルド殿下に、正体不明の男が一人付き従っていると報告を受けていたが、貴殿のことか」
「き、貴殿?」
「驚くようなことではあるまいよ。密偵の報告では、あの殿下相手に一切物怖じすることなく気さくに話しかける人物を、殿下の御友人として遇さぬアドナイ貴族などおらぬよ。たとえ、下賤の者だったとしてもな」
俺の心を先読みして答えたマクシミリアン公爵。
――ていうか、昨日のレナートさんに続いて、この人も俺達――ジオのことを監視していたのか。
そういう繋がりの人と二日連続で会いたくないっていうか、そもそも雲の上の身分の人と立て続けが嫌っていうか……
そんな感じで、マクシミリアン公爵の視線に居心地を悪くしていると、
「お父様!テイルの身分を御存じなら、それ以上追い詰めるのはやめてください!」
「む……ああ、すまない。一癖も二癖もある人物とばかり付き合っていると、どうしてもこのような物言いに終始してしまってね。脅かすつもりは無いよ」
これが、自分の父親の意向に真っ向から背き、ジオを裏切った、マクシミリアン公爵。
確かに、お兄さんのような武人の雰囲気は一切ない。
だけど、その瞳の奥からわずかに覗く鋭い光は、まだ俺のことを見定めようとしている気がしてならない。
「それよりも、お父様、兄上。一度顔を見せよというご命令は果たしました。これにて失礼いたします」
「リーナ、それはあるまい!!」
俺から見てもつっけんどんなリーナの態度に、お兄さんが声を荒げる。
それを手を上げて制したマクシミリアン公爵が、落ち着いた雰囲気のままで言った。
「せっかくの帰郷なのだ、積もる話もあることだし、せめて今夜は泊まっていきなさい。別に今日明日、王都を発つわけではないのだろう?」
「それはそうですけれど……」
「父上の言う通りだ!それに、お前の不在の間に、王国内外の方々から見合い話が舞い込んできている。これまでは何かと理由をつけて断ったり引き延ばしてきたが、お前が帰ってきたとなれば一気に候補を詰めて、早々に場を整えるぞ!」
「兄上!!それが嫌だったから、私が王都を出たということにまだ気づいていらっしゃらないのですか!」
「何を言うか!愛しのアンジェリーナの相手を見つけることは、マクシミリアン公爵家次期当主たる私の責務だ!父上の手前、お前の一時の自由を許したが、私が跡を継いだ暁には、私の眼に適った男に添わせるぞ!!」
「お断りいたします!!」
その時、リーナの視線がお兄さんから俺へと流れた。
――ああ、こういう成り行きになりそうだとわかっていたから、リーナは強引に俺を連れ出したのか。
そう気づいて、ジュートノルでのリーナのことを話してお茶を濁そうと思った、俺のセリフをお兄さんが遮った。
「……貴様、我が愛しのリーナと何を見つめ合っているのだ?」
「え?」
「わかったぞ!さては貴様、リーナに懸想しているな!?」
「は?」
「ばばばばば、馬鹿なことを言わないで!!なんでテイルが私のことを……!?」
突拍子もないお兄さんの言葉に驚く俺――の声を掻き消すほどに動揺したリーナ。
だけど、耳まで真っ赤にしながらのリーナの弁解は、かえって逆効果だったみたいだ。
「……そうか、リーナと貴様の関係はおおよそ理解した――庭に出ろ!!この私自らが、貴様がリーナの相手に相応しいか試してやる!!」
「は、はああ!?」
「安心しろ!私は身分の差のみで相手を侮るほど愚かではない!リーナの婚約者候補として、文武に秀でた者達を集めた私の側近二十人。これらを全て打ち破ったならば、貴様のことを認めてやろうではないか!!」
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