第103話 突然の模擬戦 上


 筋を傷めないように、ゆっくりと体を逸らせる。


 ここ最近は、快適だったとはいえずっと馬車の中。

 さらに、王都に着いてからは第三王子宮での贅沢だけど窮屈な暮らし。

 気軽に庭で稽古というわけにもいかないし、ましてや狩りなんてもってのほか。


 そんなわけで、久しぶりに体を動かす機会をもらったので、冒険者ギルド総本部の訓練場の片隅を借りて準備運動をしっかりとやる。


 ――うーん、ずっと座りっぱなしの旅だったから、少しは体が鈍っているかと思ったけど、どれだけ上半身を後ろに倒しても、いっこうに引きつる感じがしない。


 人並み外れた肉体に魔力。

 その上、健康体というおまけまでついているらしい、エンシェントノービスの恩恵。


 そう思いながら、右向きに首と体を一緒に捻っていると、


「よう、待たせたな」


 そう言いながら、グランドマスターの執務室がある建物の通用口から現れたレナートさん。

 そしてその後ろには、俺よりちょっと年上くらいの冒険者が四人、ついてきていた。


「レナートさん、こいつが?」


「ああ、いっちょ相手してやってくれ」


 編成は、レナートさんと会話した戦士に、弓を携えたスカウト、それに魔導士と治癒術士。

 特に変わった装備もないから、オーソドックスな冒険者パーティと言えるだろう。


「こんなガキと?確かに、ちょっと見ない装備を身につけてはいるが、大丈夫なんですか?」


「ああ。死なない程度に手加減してくれればそれでいい。当たり所が悪くてもテレザに治療させるし、もしもの時は俺が止める。いいな、キース?」


「レナートさんが仕切ってくれるなら、文句はねえよ。なあ、みんな」


 キースと呼ばれた戦士が振り返りながらそう言うと、後ろにいた三人の仲間が頷いた。


 その様子を見ながら、最後の伸びの運動をしていると、


「テイル、本当にいいの?別に今から断ってもいいのよ?」


 心配してくれているらしく、俺の準備運動を見守っていたリーナが声をかけてきた。


 ――確かに、見知らぬ土地で見知らぬ相手との、いきなりの訓練。

 不安がないといえば嘘になるけど、


「冒険者ギルドの訓練を受けられる機会なんて、滅多にないからな。一応、安全も保障されてるみたいだし、むしろこっちからお願いしたいくらいだ」


「確かに、それはそうだけれど……」


「それになにより――」


「え?何か言った?」


「いいや、なんでもない」


 それになにより、俺には「冒険者の経験」ってやつが決定的に欠けている。

 もちろん、冒険者学校で学んだ知識や技術は、今もしっかりと覚えているつもりだ。

 だけど、本物の冒険者――つまりプロのやり方については、ほとんど何も知らないと言ってもいい。

 その片鱗だけでも、この訓練で掴んでおきたい。


 ――この先も戦いが続くかもしれないというのなら、なおさらだ。


「そっちも準備は終わったか?」


 そう、声をかけて来ながら、今度はこっちに近づいてきたレナートさん。

 そのいで立ちはさっきと変わらずよれよれで、これから訓練の審判をするようにはとても見えない。

 さっきの、あっさり騒動を鎮めた姿を見ていなかったら不安になるくらいの、飄々とした雰囲気のままだ。


「その様子なら聞くまでもなかったな」


「はい。よろしくお願いします」


「相手は、俺が信頼しているC級冒険者パーティ『草原の鷹』だ。リーナ嬢と同じランクだが、個人の実力はやや下回るってところだな。まあそれでも、熟練冒険者に数えられるくらいの経験は積んでいる。胸を借りるくらいのつもりでぶつかっていけ」


「わかりました」


「まあ、さっきの借りを返すなんて考えは一旦忘れて、お前のいつものやり方を見せてくれればそれでいい。手順は上で話した通りだ」


「はい、了解です」


 そうレナートさんに返して、一歩前に進んで腰の黒のショートソードを抜く。

 すると、向こうの冒険者パーティも予め言い含められていたらしく、キースと呼ばれていた戦士が一人で前に出て来て、背中に背負っていた片刃の大剣を構えてきた。


「ルールはさっき説明した通りだ。故意の急所への攻撃は即敗北。それ以外の勝敗は、相手の降参か戦闘不能と俺が判断した時のみに決まる。それでは、始め!!」


「おおっ!!」


 レナートさんの合図が聞こえた瞬間、下半身に貯めていた力を一気に開放して前に飛び出す。


 レナートさんの言葉に逆らった、いつもの俺らしくないやり方だってことは分かっている。

 だけど、実力や経験が違う者同士が相対した時、下位の者の方から先に仕掛ける常識くらい、冒険者学校で嫌というほど叩き込まれている。

 それに、これは訓練だ。

 常に生き死にのかかった狩りとは違って、あえて身を捨てて自分の実力の底を知るのが、本当の訓練だ。


 とはいえ、相手は戦士。

 特に武器の扱いのエキスパートで、前衛の要のジョブ。

 戦士でもない俺が馬鹿正直にまっすぐ突っ込んでいくのは、普通に考えたら勝負を捨てていると思われる。


 ――だけど、エンシェントノービスの恩恵を得た今の俺なら……!!


 ガギイイイィン


「へえぇ」


 なんの工夫もない俺の振り下ろしを、正面から受けてくれたキースさん。

 その口から、感心半分、驚き半分の声が漏れた。


 思った通りだ。

 あらゆる基礎能力が大幅に上昇したエンシェントノービスの身体能力なら、戦士との力比べでも互角にやり合える!!


 そう確信して、キースさんの構えをわずかに押し込んだ初撃での手応えを信じて、さらに力を加えていく。


 ひょっとしたらこのまま――


「なるほど、レナートさんが連れて来るだけのことはあるみたいだな。だが、未熟だな!!」


 ふっ


 その時、まるで俺の油断が具現化したかのように、黒の小剣にかかっていた圧力が消えた。

 支えを失った俺の体はその場で空転し、黒の小剣を地面に打ち付けながら両足が浮き、そのまま空中を半回転しながら受け身を取る余裕も無く背中から落下した。


「がはあっ!!」


「やっぱり、対人戦はずぶの素人だな。それにしてはやけに思い切りがいい。まったく、どんな経験を積んだら、こんなアンバランスな冒険者が出来上がるんだ?」


 ――俺のことを全部は教えてもらっていないみたいだな……って、違う違う!!戦闘中だ!!


 致命的な隙を見せたことを恥じながら、それでも強引に意識を引き戻して飛び起きる。


「お、その様子なら、まだまだやれるな。レナートさんからは今日一日分の報酬を約束されてるからな。いくらでも胸を貸してやる、どんどん来い!!」


「うおおおおおおおっ!!」


 そう、C級冒険者の余裕を見せてきたキースさんに対して、俺は雄たけびと遠慮なしの突撃で応えた。






「やめ!!――これで一通り終わったか。まあ、予想通りの結果だな」


 仰向けで手足を地面に投げ出して、全身で息をしている俺の耳に、レナートさんの声が届く。


 戦士、スカウト、魔導士。


 基本的に直接戦闘に加わることのない治癒術士を除いた、三種類の訓練。

 その結果は言うまでもなく、俺の全敗だった。


 戦士のキースさんには、俺の黒のショートソードよりはるかに取り回しの悪い片刃の大剣でことごとく力を逃がされ。

 次のスカウトの人には、ジョブの恩恵によって俺より鋭い五感で、全ての動きを先読みされて空回りを演じ。

 最後の魔導士さんには、俺の初級魔法と相性の悪い属性で掻き消され、最後に俺のサイクロンの中心を撃ち抜く火球魔法が手前の地面で炸裂したことで、決着した。


「まあ、対人戦の経験の少なさを差し引いても、結果はそう変わらなかったろうな。それぞれの専門分野でやり合えば、お前さんの実力なんて大体こんなもんだよ。まあ、本当に最後まで戦ったら、結果が違っただろうことも本当だけどな」


納得の結果と言わんばかりのレナートさんに、草原の鷹のリーダーの戦士の人が不満顔で噛みついた。


「レナートさん、アンタ一体何がしたかったんだ?確かに、それなりに見どころはあると思ったけどよ、グランドマスター直々に力を試すほどとは思えなかったぜ?俺が言うのもなんだが、行って精々C級止まりだ。上級職に辿り着けるか微妙だし、王国を背負って立つ冒険者になるとはとても思えないがな」


「まあ、お前の言う通りだよ――ここまではな」


「はあ?あんた何を言って――っ!?」


 レナートさんのそのセリフを機に、訓練の疲労が完全に抜けたことを確認がてら、その場から飛び起きる。


 ――うん、何の問題も無いな。


「よし、次の訓練だ。いいな、テイル」


「はい。リーナ!!頼む!!」


「もう、どこか怪我でもしたかと思ったじゃない!ヒヤヒヤさせないでよね!!」


「レ、レナートさん、そいつは一体……?」


 なぜか驚愕の眼で俺を見ているキースさん達『草原の鷹』の驚きを見ないふりをして、レナートさんが何でもない風に宣言した。


「さあ、次の訓練は、パーティ同士の模擬戦だ」

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