第102話 グランドマスターレナート


「ああ、なんだてめえは?邪魔すんじゃねえ!!」


「馬鹿者!その男に手を出すな!」


 突然の乱入者へ向けて、怒りの矛先を変えたレオンが突撃する。

 それを、焦ったような老人の魔導士の声が追いかけるけど、


「いやいや、冒険者なら言葉じゃなくて実力で止めんといかんでしょ」


 よれよれのシャツを着た男の水筒を持った右手が翻る方が早かった。


「ごはっ!?」


「レオン!!」


 聞こえたのは、何かが弾けたような乾いた音と、突然体をのけぞらせたレオンの苦悶の声。

 距離が離れている俺はもちろん、すぐ近くにいるロナルドも、何が起きたのか分かっていないみたいだ。


「ゼゼルネフ、アンタがついていながらこのザマはなんだ。無鉄砲な若い連中を導くのは、ベテランの仕事だろうが」


「レナート……」


「クソがっ!!ぶっ殺してやる!!」


 年下が年上を説教するというあべこべな状況の中、早くも復活したレオンが怒りの眼を男に向ける。


 だけど――


「やめろレオン」


「うるせえジジイ!!そいつをぶった斬らねえと俺の気が済まねえ!!」


「そんな啖呵は相手を見て言え。グランドマスターが相手だと知った後でも、そのセリフを吐けるのか?少なくとも、ワシは手伝わんぞ」


「なっ――!?」


 ゼゼルネフと呼ばれた老魔導士がレオンを驚かせたその時、俺も気づいた。

 さっきまで俺達を囲んで見世物のように楽しんでいた冒険者達が、蜘蛛の子を散らすように全員いなくなっていた。

 そのきっかけを作ったのが、俺達の前に立つくたびれた感じの男だとすると――


「レオン、これはさすがに分が悪い。ここはいったん退くべきだ」


 その上、ロナルドにまで説得されてそれでも意地を通すほど、レオンも馬鹿じゃなかったらしい。


「ちっ、行くぞ!!」


「ああ君たち、始末書を書いてもらうから、後日ギルドに出頭するように。破ったら即謹慎だからね」


 男の声が届いたかどうか、レオン達は後ろを振り返ることなく玄関ホールから出て行った。


「はー、やれやれ、実力とコネを兼ね備えた奴の、扱いの難しさったらないな。まあ、それを御しきれない俺が一番度し難いか」


 そんな独り言を呟いた後、男は呆然としている俺とリーナの方へと向き直った。


「さて、一応事情聴取ってことで、君達に話が聞きたいんだけど?」


「あ、あの、さっき言っていたことって……」


 俺よりも早く疑問を口にしたリーナに、男は何でもないように語った。


「ああ。あんまり大きな声では言えないんだけどね、あの御老人、ゼゼルネフが言った通りだ。冒険者ギルド総本部グランドマスター、レナート=ネムルスって小者だよ」


 ――いやいや、小者って。






「悪いね、わざわざこんな回り道をさせて。この姿で正面から帰ると、色々と問題があるもんでね」


 そう言った男――レナートさんの後について行くこと少しの間。

 大小さまざまな施設が入った、広大な敷地を持つ冒険者ギルド総本部の外周部を大きく回って、通用口らしきドアから中に入った俺とリーナ。

 訓練場らしき広場や厩舎の脇を通りながら、辿り着いたのは一番大きくて立派な建物。

 さらにその裏口から入って、どう見ても職員用通路というか避難路を上り、なぜかコソコソと通路を歩いて、ようやく一つの重厚感漂うドアに辿り着いた。


「長々と付き合わせて悪いね。ここが俺の窮屈で気苦労ばかりが多い仕事場、グランドマスターの執務室だよ」


 ガチャリ


「あら、その窮屈で気苦労の多い仕事を放り出して、のんきに散歩している方に言われたくはないですね」


「あ」


 閉じられていたドアが開き、中から現れたのは、絶世の美女だった。


 ギルドの受付嬢の制服を最上級まで飾り立てたような服と、それすら霞むほどの圧倒的なプロポーション、なにより俺の眼が潰れるんじゃないかと思うほどの輝く美貌。

 その美女が、なぜか急に冷や汗を掻き始めたレナートさんの肩に手を置いて言った。


「マスター、今日は未決書類の決裁にお時間を頂きますと、あれほど念を押したはずですよね?」


「い、いやあ、あまりにも天気が良かったからつい」


「つい、なんですか?」


 すごい。

 表情も声も全然怒っていないのに、美女の問いかけの度に、レナートさんの顔色がどんどん悪くなっていく。


 ――あれは覚えがあるぞ。そうだ、俺がターシャさんに怒られている時とそっくりだ。


 そんな、さっきまでの飄々とした雰囲気が跡形もなくなっているレナートさんにちょっと同情していると、


「あら、私としたことが、お客様をお待たせしてしまって。ごめんなさいね、今お茶の支度をしますから。さあさあ、入ってちょうだい」


 まだ名前も知らない美女に促されて、部屋の中に入った。


 この時、二人の視線が前を向いた瞬間に、なぜか怒り顔のリーナが俺の二の腕をつねってきたけど、普通に痛いので二度とやらないでほしいと思う。


「さて、改めて自己紹介だ。俺は冒険者の親玉を嫌々やらされている、魔導剣士のレナートって者だ。こっちが秘書のテレザ。教会の司祭で、ジョブはアークプリーストだ」


 部屋にあった革張りのソファに座り、お茶を頂いた後、レナートさんが謎の美女の分も含めて自己紹介してくれた。


「あ、どうも。テイルって言います」


「……すごい、最上級ジョブが二人も」


 冒険者の序列なんてほとんどわかっちゃいないから、普通にあいさつした俺。

 だけど、普段は礼儀に厳しいリーナが呆然としているってことは、目の前の二人は相当すごい人達だってことだ。


「あ、申し訳ありません――私の名はリーナ。わけあって、今は姓を名乗っておりません。お許しを」


「ああうん、それは別にいいよ。っていうか、そっちの紹介は要らない。その辺の情報は一通り揃えてあるから」


「え……?」


「君たちのことは、王都に入った頃からずっと監視させてもらっている。好奇心旺盛なあの御方の御帰還の際の同行者だ、冒険者ギルドとしては最優先で調べたというわけさ」


 我に返ったのか、慌ててあいさつしたリーナだったけど、レナートさんの返事でまた固まることになった。


「俺達のことを知っていて、この部屋に呼んだってことですか?」


「そういうこと」


 そのリーナの代わりに俺が質問すると、レナートさんは気易い感じで話してくれた。


「ちなみに、話を聞くっていうのは本当だ。あのレオンという冒険者の実家、デルトラト家はギルドの後ろ盾であるネムルス侯爵家との繋がりがあってね、形だけでも君たちの聴取を取っておく必要がある。そこのリーナ嬢の実家に類を及ばせないためにもね」


「う……」


 レナートさんの言葉に思い当たることがあったのか、まずいという表情でリーナが顔を背ける。


 ――どうやら、ここはリーナのためにも、ひと踏ん張りする必要がありそうだ。


「……俺達に、何を聞きたいんですか?」


「うん?ああ、用ならもう済んだよ」


「はあ?そんなわけがないじゃないですか。だって、まだ何も――」


「ここに来てくれただけで十分なんだよ。後はこのテレザが適当に書類をでっち上げてくれるから。もちろん、事実をありのまま、君達に有利なようにね」


「は、はあ……」


「まだ事情はよく分かりませんが、仮にもマスターが約定したのです。安心していいですよ」


 レナートさんに続いてテレザさんまでこう言ってくれたんだ、信じるしかない。


 だけど、リーナの考えは違ったみたいだ。


「厄介な揉め事を無償で解決するなんて、冒険者ギルドのグランドマスターとは思えません。何か交換条件があるんですよね?」


「まさかまさか。ギルド所属の冒険者が一方的に危ない目に遭ったんだ、俺には助ける義務があっただけ――と言えたら、俺の仕事ももっと簡単なんだけどな」


 ――なに、簡単な話さ。


 そう言ったレナートさんは、こう続けた。


「テイル、ちょっとここで訓練して行かないか?」

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