第99話 王都の朝


『何しろテイルは、今回の計画の鍵となるかもしれないからね』


 あれを言われたのはいつの頃だっただろう?


 そんなことをぼんやりと考えながら、寝つきの悪かった体を覚ますために井戸を探そうと、昨日あてがわれた部屋から出ようとしたその時、ノックの音の後で、


「失礼いたします。朝のお支度に参りました」


 そう言って入ってきたのは、使用人らしき人。

 突然のことに驚いている俺に構うことなく自分の仕事を優先し、洗顔、着替え、等々を俺に施し、最後にお茶の用意をして去って行った。


 ――お礼の一言も言えなかった。


 曲がりなりにも接客業を名乗っている俺から見ても、完璧な仕事。

 だけど、どこか人の温もりを感じられないというか、まるでモノ扱いされたような気がして、別の意味で目が覚めた思いをしながら、砂糖とミルクを多めに入れたお茶を啜った。






「おや、もうこんな時間か。区切りがいいとは言い難いけれど、大まかな説明はできたことだし、今夜はここまでにしておこうか」


「あっ、おい」


「すまないね、テイル。明日は、朝から予定が詰まっているんだ」


 そのジオの言葉で散会となった昨日。

 寝つきが悪かったのはきっとあれのせいだと思いつつ、部屋の外へ出たところで気づいた。


 昨日はすでに夜も深く、案内の人に従って明かりが灯された薄暗い通路をひたすら進んだだけだったので、どこをどうやってこの部屋に辿り着いたのか、まるで憶えていない。

 下手に歩いてここに戻れなくなるのもな、と考えていると、


「テイル様、お待たせして申し訳ございません。ご案内いたします」


 一番近くの角から、昨日案内してくれた使用人さん(だと思う)が現れた。

 そして、俺の前に立って案内してくれようとした後ろ姿が迷った素振りをわずかに見せた後、俺の方に向き直り、


「重ねて申し訳ございませんが、次からは部屋に備え付けられている呼び鈴で、お知らせください」


 嫌味かと思えるほどの落ち着いた声色で告げて、さっさと前を歩きだした。


 ――ターシャさん並みとは言わないけど、ダンさんでももうちょっと愛想があるぞ。






 仕事としては完璧な、だけど接客としてはダメダメな案内で辿り着いたのは、昨日の食堂。


 案内の人にドアを開けてもらって入ると、すでにリーナが給仕付きで朝食を食べていた。


「テイル、やっと起きたのね」


「悪い。あの後すぐにベッドに入ったんだけど、なんだか寝付けなくてな」


 リーナの言う通り、俺にしてはあまりにも遅すぎる目覚めを素直に謝る。

 するとリーナは、一瞬だけ意外そうな色を見せた後、納得の表情をして言った。


「なるほどね。枕が変わったから――というよりも、慣れない贅沢で生活のリズムが狂っちゃっているわけね」


「そんなことまでわかるのか?」


「わかるわよ。だってその恰好、自分で気づかない?」


「恰好って……?」


 リーナに言われて、自分の服装を確認してみる。


「別におかしなところはないだろ?いつも通りだ」


「馬鹿ね、そのいつも通りは、ジュートノルでのことでしょう?この宮殿に来た時の衣装はどうしたのよ?」


「あ……」


 リーナにそう言われて、自分が平民の恰好に戻ってしまっていることに、初めて気づいた。


 ――そういえば、さっき寝巻からこの服に着替える時も、まだまだはっきりとしない頭で色々と文句を言ってしまった、気がする。

 その結果、荷馬車に積んでいた俺の荷物を引っ張り出させる手間をかけてしまったようで、それが原因で部屋を出るのが遅れてしまったのは間違いない。(さすがに今は黒の装備を身につけてはいないけど、いざという時のために部屋に置いてある)

 今頃は、厄介な客が来たと、使用人の間で噂になっているとしてもおかしくない。


 言われてみれば、昨日のドレスと違って動きやすそうなリーナの今の恰好も、尋常じゃない光沢と艶やかさが布地に出ている気がする。

 それを当然のように着こなしている彼女は、やっぱり生まれも育ちも違うんだなと実感する。


「それでなくても、宮殿での奉仕が認められた使用人にとって、例え主の命令でも平民の世話をさせられるというのは、屈辱以外の何物でもないでしょうね」


「え、そんなこと、言った覚えはないけど……」


 確か、昨日のジオの話の間も、俺の身分に関しては一度も触れていなかったはずだ。


「言ってなくても分かるわよ。生まれながらに傅かれる立場の王侯貴族と、成長してから礼儀作法を身につけた成り上がりや商人とですら、立ち居振る舞いに明確に違いが出るものなの。ましてや平民かどうかだなんて、歩き方ひとつや食事の摂り方ひとつで、使用人にだって一目で見抜けるわよ」


「そんなものなのか……」


 ――なるほど。

 さっきから、満面の笑みでリーナの給仕をする使用人の人にずっと違和感があったけど、そういうことだったのか。


 確かに、最高級のもてなしが売りのスイートルームに金だけは持っているボロを着た乞食が泊まりに来たとしたら、俺だって変な顔くらいはすると思う。

 ましてや、彼らは第三王子付きの使用人だ、選ばれし者への奉仕の技術を平民の俺に一時でも使わないとならないと考えたら、あの塩対応も頷ける。


「頷いちゃあ駄目よ。何年も主不在の宮殿だったとはいえ、不満が顔に現れるようじゃあ使用人失格よ。ジオ様が客人としてテイルを遇している以上、使用人が背くことなんて絶対に許されない。その場で手討ちにされても文句は言えないわね」


「リ、リーナ、そのくらいにしないか……?」


 俺の為に怒ってくれているのは十分すぎるほど伝わっているんだけど、俺達以外の顔から完全に血の気が引いている様子を見ながらじゃ、昨日とは違う意味で味のしない食事になってしまいそうだ。


「それもそうね。――あなた達、テイルの分の朝食を用意したら下がっていいわよ。ちょっと二人きりで話があるの」


 そのリーナの言葉は、俺だけじゃなく、仲間の失態に血の気が引いていた使用人の人達にとっても救いだったようで、しずしずと食堂から出て行く様は、どこかほっとしているように見えた。


「さあ、冷めたら美味しくないし、とりあえず食べてしまいましょ」


 そうリーナに促されて、テーブルに並べられた朝食に手を付けた。


 ――感想を言うなら、見事の一言だ。


 新鮮な食材を使い、下ごしらえや火加減は完璧、絵付けが見事すぎて触るのも憚られる高価そうな食器が、洗練された料理を引き立てている。

 だけどやっぱり、俺には不釣り合いというか、ダンさんの料理の方が合ってる気がするな……


 そんな感じで、昨日と比べたら格段に味がする朝食を食べ終わり、思わずお腹をさすりながら満腹感に浸っていると、


「それでね、テイル、ちょっと相談があるんだけれど」


 一足先に食べ終えていたリーナが、タイミングを見計らったように言ってきた。


 ――どうやら、使用人を遠ざけた言葉は、単なる口実じゃなかったみたいだ。


「テイルは今日、予定は空いてる?」


「まあ、空いてるというか――そう言えば、ジオとセレスさんは?」


「王都に帰還したということで、朝早くから挨拶回りよ。昨日、ジオ様が言っていたじゃない」


「そうだったっけか?」


「早朝、私のところにジオ様からの言葉を執事が伝えにが来たわ。テイルは疲れているだろうからゆっくり休んでくれ、っていう言伝もね」


 今更ながらに二人の不在に気づいた俺に、呆れ顔のリーナがさらに言ってきた。


「それよりも、予定は空いてるの?」


「そもそも、王都に用事自体が無いからな。暇しかないな」


 元々が、ジオの都合に付き合っての王都行だ。

 右も左も分からないのに一人ではしゃぐには、王都広すぎるし人が多すぎる。

 むしろ、ジオの予定について行くものとばかり思っていたから、置いてきぼりにされてちょっと心細くなっていたところだ。


「それなら都合がいいわ。テイル、今日一日付き合ってくれない?」


 現時点では、王都でただ一人の寄る辺と言うべきリーナに付き合う。

 まさに渡りに船の状況に、これを断る選択肢はなかった。


 ――ジオの正体を知ってもなお明かされていないリーナの出自の謎が、今日という日にどんな騒動を巻き起こすのか、想像すらしないままに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る