第98話 第三王子 ジオグラルド 下


 表向きは、溺愛してくれた外祖父であるマクシミリアン公爵の喪に服すため、実際には度重なる暗殺騒ぎを鎮めるため、僕は四神教会に出家することにした。


 家族の反応は、まあ様々だったよ。


 父と母は僕の決断を王族としての責務と理解してくれたし、長兄は幼くして世俗から離れざるを得なくなった僕に同情してくれた。

 次兄は――曖昧に頷いていただけだったね。

 もしかすれば、自分の身に何が起きかけて、何が終わったのかすら、気づいていなかったのかもしれない。


 そんなこんなで、各所への挨拶回りと向こう側の受け入れ態勢が整った数か月後、僕は四神教会に出家した。


 四神教?ああ、そう言えば、ジュートノルには冒険者ギルドに神殿が併設されているだけで、教会自体はなかったね。じゃあ、あまり知らなくっても無理はないか。


 四神教とは、その名の通り、四柱の神を一緒に信仰する多神教の通称さ。アドナイ王国の国教でもある。

 正式には、『戦、技、治、魔の四人の英雄を信奉する者達の教え』だったかな?

 まあ、正式名なんてほとんどの人が覚えてはいないし、どこへ行っても四神教で通じるから、忘れてくれて構わないよ。

 まあ、その辺のことは別の機会にしよう。


 ん?環境が激変して大変だったろう、って?


 まさかまさか。

 腐っても王族だよ?

 そりゃあもう、下へも置かない扱いだったさ。

 教会の戒律や時間の流れの違いに慣れるのに時間はかかったけれど、うんざりするほどの付き人がいた宮殿時代よりも、むしろ快適な生活を送れたと言ってもいい。


 建前としては、立場を追われた第三王子が教会の庇護を求めたという形になってはいるけれど、実は四神教にも、僕を受け入れたい理由があった。


 本来、政治と宗教の関係は水と油のようなものでね、歴史を紐解けば表裏に関わらず、目を覆いたくなるような争いが数えきれないほど起きている。

 そんな数々の悲劇から学んだ結果生まれたのが、人材交流というやつさ。


 王宮からは、王家や大貴族の家族を出家という形で送り出す。

 反対に四神教からは、王宮と教会の橋渡しの役割のために、王宮付き司教などの肩書で有為の人材を送り込む。


 まあ、体のいい人質なんだけれど、だからこそ教会は、僕に対して粗略な扱いは絶対にできない。


 実際、自分の宮殿に住んでいた頃よりも、僕の生活は快適なものになった。

 王族が教会に入ると、例外なく司教以上の身分で迎えられるからね、一般の信者が知ったら火あぶりにされそうなくらいに、贅沢させてもらったよ。

 ちなみに、酒の味も、ギャンブルの快感と虚無感も、夜の花街の愉しさも、全部教会に入ってから覚えた。

 特に、三年前にとある娼館を貸し切って行われた秘密パーティーと来たら――


 ――うん、君の言いたいことはよくわかった。わかったから、その手に持っている剣を早く鞘に戻すんだ、リーナ。

 もちろんだ、テイルに余計なことを吹き込むなと言うんだろう?

 忘れるまでは忘れない――セレス!!早く止めるんだ!!僕の舌が短くならないうちにっ!!






 はあ、はあ、はあ、……まあ、そんなこんなで、色々と大人の階段を上った僕だけれど、一日のうち、ほとんどの時間は教会で大人しくしていた。


 いやいや、冗談でも欺瞞でもないよ。

 嘘だと思ったら、今度、ジオグラルド司教の噂を王都で聞いて回ってみるといい。

 一日中教会にこもりっきりで、一心不乱にお祈りを捧げていた敬虔な信者だと教えてくれるはずだ。


 まあ、事実はほんの少しだけ違う。

 一日中教会にこもっていたのは事実だけれど、お祈りを捧げていたんじゃあなくって、教会の蔵書を読み漁り、教会から見た王国を研究していたのさ。


 いやあ、まだ若い身空で言うのも何なのだけれど、充実した日々だったよ。


 世俗のわずらわしさから切り離され、好きなことに没頭出来て、日々の生活にも何の不足もない。

 あとほんのちょっとの刺激と――まあ、それは置いておくとして。


 完璧な世界というものがこの世にあるとすれば、まさにあの日々こそが僕にとってはそうだった。

 この時が続くのなら、僕の人生はこれでいいとさえ思ったほどだ。


 ――だけれど、何事もそう上手くは行かないものだ。


 歴史に限らず、全ての物事には表と裏が存在する。

 僕が研究していた王国にも――いや、王国史だからこそ、誰もが目を背けたくなる隠された真実が存在するものだ。


 最初、その存在に気づいた時、僕はなぜそれまでこんなにもありふれたものを見逃していたんだろうと、愚かな自分を呪いたくなった。

 そうしてひとしきり呪った後で、この仮説を確かめねばと思い立った。


 と言っても、この頃には、王都の教会の蔵書をあらかた読みつくした後だったからね。

 ある程度の説得力のある仮説はこの時点で出来上がっていたけれど、これ以上の確証を求めるなら、やはり王都の外に出る必要があった。


 そこから先は、大変だったよ――主にセレスが。


 ある教会幹部を脅したり宥めすかしたり更なる役職をちらつかせたり。

 もちろん、影武者も用意した。それらしい威儀を正すための協力者もね。

 旅の名目は、聖地巡礼ということにした。間違いではないしね。


 そうやってお膳立てを整えて、僕の動きを常に監視しているしかるべき部署に準備がバレる直前に――僕とセレスは強引に王都を脱出した。


 ――ああ、この話は外に漏らさないようにね。

 真実は王宮と教会の一部の上層部しか知らないし、事が公になれば、死刑、流刑、投獄、閉門、罰金などなど、僕以外の多くの人達の人生が狂うことになるから。


 え、それなら最初から話すなって?


 それは無理な話だ。


 聖地巡礼に見せかけた、王国中を研究対象にした僕のフィールドワークは、数年にわたって行われた。

 四神教に関する施設なら、どこへでも出かけた。

 地方の教会や遺跡とかもそうだけれど、巡礼路に沿った王国中の冒険者ギルドはほとんど調べた。


 ちなみに、幸いにも追手はかからなかった。

 王都を出る前に色々と小細工をしたのが効いたのもあっただろうけれど、もう半分は、父が僕のことを半ば諦めていたからだろうね。

 下手に追手を出して騒ぎにするより、例え野垂れ死んでも好きにさせた方が面倒が少なくて済む、とかね。


 そうやって短く無い年月を頑張ってはみたけれど、結果は芳しくなかった。

 当然だ、僕とセレスの二人きりで何かが見つかるのなら、偉大な先人達がとっくの昔に発見しているだろう。


 だけれど、天は僕を見捨てなかった。

 そろそろ王都での小細工の効果も切れ、本気で帰らないと厳しいとなった時に、冒険者のジョルクから手がかりかどうかも怪しい情報を得て、駄目で元々とジュートノルに向かった。

 そして、運命に出会った。


 いやいや、ソルジャーアントのことじゃあないよ。


 テイル、君だよ。

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