第94話 乗り換える馬車 レベルアップ


「テイル、本当に大丈夫なの?明日にしてもらった方がいいんじゃない?」


「だ、大丈夫だって。ほら、この通り、もう鼻血も止まったし」


「だって、その鼻血の原因に心当たりがないんでしょう。ちゃんと医者に診てもらったら?」


「い、いや、あの、その」


「まあまあリーナ、心配のしすぎだよ」


「ジオ様?」


「テイルの体調不良の原因はちゃんとわかっている。治療に必要なのは、一定の休息と――」


「休息と?」


「適度な距離感だね」


「距離感って、病気の看病なんだから、このくらい当たり前じゃない」


「いや、そのドレス姿であんまり密着しすぎると――ああ、止めた止めた。夫婦喧嘩は犬も食わないってね」


「何を言っているのよ、変なジオ様ね」


「いえ、リーナ様、今回ばかりは珍しくジオ様の方が正しいです」


 ジオはよくやってくれたと思う。

 だけど、興奮しすぎて倒れる前と変わらず、リーナの胸チラどころじゃない胸モロアタックを受け続ける身としては、もうちょっと頑張ってほしかった。


 いや、リーナにお世話されるのが嫌とか、魅力が無いとかいうわけじゃない。


 同じメンツで再び乗り込んだ馬車の中というシチュエーションに加えて、これから向かう先が先なだけに、また鼻血を出すわけにもいかないからだ。






 オランドさんの屋敷で着せ替え人形の気分を味わい、リーナの真の実力で気絶させられた後、俺が意識を取り戻すや否や、またも馬車に乗せられることになった。

 ただし、今度は、はるばるジュートノルから俺達を運んでくれたジオの馬車じゃなくて、オランドさん所有の四頭立ての大型馬車にだ。


 そして、玄関に横付けされた馬車を初めて見た時、またも驚かされた。


「ちょっとテイル、時間がないのだから、早く乗って」


「い、いやだって、こんなのに?」


 ジオとセレスさんが先に乗り込み、後ろを歩いていたリーナに急かされるけど、平民なら誰だってこんな馬車に乗れと言われたら尻込みするに決まっている。


「え?これくらい普通よ。むしろ王都の商人なら、これくらいの馬車をもう二、三台持っていないと、貴族の前で恥を掻くわね」


「王都の商人の常識なんて知るわけないだろ!」


 王都まで乗ってきた馬車も、ジュートノルではちょっとお目にかかれないほど豪華な馬車だったけど、今乗り込もうとしている大型馬車は、外装だけでも倍のお金がかかっているように見える。

 はっきり言って、平民の俺が乗っただけで、何かの罪で逮捕されそうだ。


 そんなこと感じで悩んでいると、


「テイル、少々説明が不足していたのは悪かったけれど、なんとしても閉門前に目的地に到着しておきたいんだ。疾く、馬車に乗ってくれ」


「ほら、ジオ様もああ言っていることだし、行くわよ」


「あっ!?ちょっ!!自分で、自分で乗るから!!」


 ジオの言葉を待っていたかのように、リーナが俺の左手を無理やり掴んだかと思ったら、そのまましっかりと腕を組んできた。


 ――その時、リーナの右胸が俺の左腕に思いっきり当たってまた鼻血が出そうになったところを根性で踏みとどまった自分を、後で褒めてやりたいと思う。






 オランドさんの屋敷に着くまでとは違って、馬車の中から外の景色を見ることはできなかった。

 と言っても、別に馬車に窓が付いていなかったとか、そういう理由じゃない。

 単純に、窓に分厚いカーテンがかけられていたのだ。


「テイル、一応言っておくけれど、絶対に外を覗いちゃ駄目よ」


 僅かにカーテンの隙間から洩れる光だけが頼りの馬車の中。

 なぜか馬車の中でも腕を組みっぱなしのリーナ(さっきよりは胸の圧力は和らいだ)によると、こういう豪華な馬車に乗っていると、どうしても通行人から注目されるものらしい。

 その眼が好奇なもので済めばまだしも、中には強盗や誘拐目的で襲ってくる輩も出てくるとなると、それなりの対処も必要になってくる。


「一番良い方法は、中の様子が見えないようにすることね。こういう風にカーテンをかけたりして」


「三年位前だったかな、とある悪徳貴族が外の景色を見ようと窓を開けた途端、右目に矢が刺さった事件があったよ。その貴族は一月苦しんだ挙句に死亡、犯人はまだ捕まってないわで、今も多くの貴族を震え上がらせているよ」


「ハ、ハハハ、まさかそんな……」


「ああ、あったわね、そんな事件。あの後、不正を自己申告する貴族が続出して、そっちの方が大騒ぎになっちゃったのよね。確かにこの馬車だと、そういう輩を引き寄せかねないわよね」


 これがジオ一人の言葉なら冗談で済んだんだけど、リーナにまでちょっと懐かしそうな語りで同意されたら、もう諦めるしかない。


 そんなわけで、どこへ運ばれているのかもわからない馬車の中だったんだけど、不幸中の幸いは、それほど時間がかからなかったことくらいだろうか。


 ――ただし、その後が大変だった。


「若君、御帰還をお待ち申し上げておりました」


 ゆっくりと停止した馬車から降りた先は、オランドさんのところと似たような光景が広がっていた。

 ただし、似ているのは平民の俺の感覚がそれ以上の情報を拒否しているせいであって、俺達を待ち受けていた人達――これぞ執事の鑑といった雰囲気のタキシードを完璧に着こなした初老の男性を筆頭に、男女問わず使用人の全員が、オランドさんの屋敷の人達と比べて、数段格式高いオーラを纏っていた。


 ――正直、視界の端に映り込んでいる美人メイドも気にしていられないくらいに。


「うん、元気そうだね、マーセル」


「再び若君の御尊顔に拝謁できまして、このマーセル、光栄の至りに御座います」


「ははは、マーセルはいつも大げさだなあ――まあ、それはそれとして、知らせは届いているかな?」


「は、万事滞りなく。後は、若君と御一行の支度を残すのみです」


「うん、ご苦労だね。ではさっそく頼もうか」


「は」


 そこからは、二度目の嵐だった。


 屋敷へと招かれた後、別々の部屋に案内されて、そこで着せ替え人形の気分を味わう。

 まるでオランドさんの所の焼き直しのような体験をして、応接室で再びの集合。


 さっきと違ったのは、屋敷、調度品、そして俺達の衣装が明らかにレベルアップしていたこと、そして、この屋敷の主が姿を見せなかったことだ。


「申し訳ありません。主もなんとか都合をつけようとしたのですが、重要な会議が急遽組まれたとのことで」


「構わないよ。多忙な卿に、僕の気ままな旅の終わりに予定を合わせてくれとは、さすがに言えない。こうして準備を整えてくれただけで、僕は満足だよ」


「恐縮至極に御座います」


 そんな、ジオとマーセルさんとの会話は、すぐに終わった。


 ――その先の予定は、何も知らされてない俺にもすぐにわかった。


「さあ、馬車の乗り換えだ。すでに日も傾き始めているし、手早く行こうか」

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