第92話 王都アドナイ


「本当は、旅のついでに処々方々を巡って、テイルに見聞を広めてもらうつもりだったんだけれどね。まあ、ドラゴンの件は自業自得と言えなくもないし、今回は諦めてくれ」


 そうジオが言った通り、俺達を乗せた馬車は、最低限の補給と休息以外は一切止まることのなく、まっしぐらに王都へ向かった。


 ――どれくらいの日数がかかったのかは、正直憶えていない。

 というのも、途中にあった町や村は、物資の補給だけを目的とした滞在で、寝るのはいつも街道の真っただ中。


「鳥と同じで、ドラゴンも夜間の飛行は避ける性質があるらしいんだ。だから、休むのは誰も巻き込まない街道が望ましい。もちろん、宿のベッドで熟睡するなんて論外だ」


「それを言うなら、一番人の多い王都こそ、行っちゃいけないんじゃないのか?」


「疑問はもっともだ。だけれど、たかがドラゴン一匹相手に手も足も出ないと言うほど、アドナイ王国は落ちぶれちゃいないさ。王都の『上級冒険者』なら、たとえドラゴンが僕達を追跡していたとしても、どうとでも料理してくれる」


 そんなジオの自信が幸運を呼び込んだのかどうかはわからないけど、恐れていた道中のドラゴン襲撃はとうとう無かった。


 そして今、緩やかな曲線を描く街道を進む馬車の中から見えているのは、


「これが、王都……」


 国の名前と同じく王都アドナイと呼ばれる、長大な白の壁に囲まれた王国最大の都市が、その威容を誇示していた。





「検問?ああ、平民にとってはけっこう怖いよね。でも大丈夫。衛兵じゃあなくっても、この馬車を見ればそれなりの身分だと察するだろうし、歴とした通行手形も持っている。それに、王都は人の出入りも多いから、不審者と思われない限りは止められることは絶対にないよ。まあ、ちらっとこっちを見てスルーだよ、スルー」


 これが、王都門を見た時に俺が漏らした不安に対する、ドヤ顔になったジオの言葉。


「そこの馬車止まれ!!中を改める!!」


「話が違う!!」


 そしてこれが、予想外の衛兵の停止命令に対する、ザマア顔になったジオの言葉。


「理由くらいは提示してもらえるのだろうな?」


 そこへ、馬車の後ろについていた、黒マントの騎馬隊の中からメアリエッテさんが出て来て、衛兵に対峙した。


「き、貴殿は……!?」


「私の素性は詮索しない方が身のためだぞ。さあ、言え」


 ここからだと角度的に見えないけど、明らかにメアリエッテさんに詰め寄られている衛兵が、しばらく口ごもった後で言った。


「つ、通達だ!上の方から王都の全衛兵に通達があったのだ!」


「ほう、どんな?」


「ど、どこかの大貴族のバカ息子が無断で出奔したから、それらしい馬車を見かけたら必ず中を改めて報告しろとのことだ!」


「報告とは、どこへだ?」


「知るものかっ!我々は直属の上司に報告するだけだからな!まったく!バカなガキ一人が勝手なことをやったせいで、しわ寄せは全て我々のような下っ端に来るのだ!これだから貴族は……!!」


「セレス」


 その、ジオの声が聞こえて振り返るまで、俺は気づかなかった。

 そして見た瞬間、純粋な怒りに燃えた目をしているセレスさんを初めて見て、戦慄した。


 ――いつもの冷たく起こるセレスさんも怖いと思っていたけど、そりゃあ普通に怒った方が怖いよな。


 そして、そのセレスさんの肩に手を置いて押し留めていたのが、ジオだった。


「セレス、ストップだ。その貴族のバカ息子とやらの心当たりはぜんぜんまったく無いけれど、その怒りをただ職務に忠実な彼らにぶつけるのは、僕のためになるとは到底思えない」


「……申し訳ありません。取り乱しました」


 素直に謝るセレスさんと、その様子を優しげな眼で見るジオ。


 ――なんか、いつもとは真逆の関係というかなんというか。

 でも、これはこれでしっくりくる気がするのはなんでだ?

 そう、まるで――


「よし、セレス、罰として、あの憎き衛兵君にこれを渡してきたまえ」


「……ジオ様の御命令とあらば」


 そう言ったセレスさんにジオが渡したのは、小さな革袋――セレスさんの手に渡った時に聞こえた澄んだ金属音を考えると、中身はきっと……


 案の定、外に出たセレスさんが戻って来てからすぐに、止められていた馬車は動き出した。


 ――せっかく、麗しい主従愛を見てほっこりしていたのに、あからさま過ぎる賄賂攻撃を見せられて、なんだかなあ……


「テイル、ジオ様にそういうのを期待するのは無駄よ」


 それまで沈黙を守っていたリーナが、なぜか俺の考えていることを察してポンと肩を叩いてきたのが、やけに空しく感じた。






 その先も、各所に設けられた検問に引っかかって、その都度メアリエッテさんやセレスさんが前に出て。

 この繰り返しだった。


「いやー、ここまで厳しいと、その貴族のバカ息子とやらに、僕も一言言ってやりたくなってくるね。きっと、非道で、悪辣で、卑怯で、きっと僕のような好青年とは似ても似つかないんだろうね!」


「ジオ様、鏡をご覧になったことはないのですか?」


「あるよ!ちゃんとあるよ!」


 それでも、すっかりいつもの調子に戻った二人の掛け合いを聞いている内に馬車は進み、


「さあ、到着だ。長旅お疲れ様。疾く、馬車を降りてくれたまえ」


 馬車が止まったところで、ジオに言われるがままに降りたそこは――王都の街中じゃなかった。


「ここは……?」


 降りてすぐに見えたのは、大きな噴水。

 水しぶき越しにあるのは、遠目から見ても大きそうな屋敷。

 後ろを振り返ると、同じくらいの距離にどこまでも続く鉄柵と、中間あたりに立派過ぎる鉄の門。

 気づけば、馬車の護衛をしてくれていたメアリエッテさん達はいつの間にかにいなくなっていて、後ろからついてきていた荷馬車から御者達が荷物を降ろしている音だけが、辺りの静けさを邪魔している。


 ジュートノルでも見たことが無いほどの豪邸の庭に、俺は今立っていた。


 ――これがジオの実家なのか?


 そう思いながら、近くの植え込みを彩っている黄色い花を見るために近づこうとしたその時、


「ちょっと、勝手にフラフラしたら駄目じゃない」


 リーナが俺の手を取っていた。


「別にいいだろ。もう目的地には着いたんだから、ちょっとくらいその辺を歩いたって」


「はあ?駄目に決まっているじゃない。むしろ、本番はこれからなんだから」


「何を言っているんだ?ジオの実家に着いたんだから、本番も何にもないだろ」


「あなたこそ何を言っているのよ、ジオ様の実家?この馬屋程度の広さで?」


「え?」


「え?」


「いやだって、目的地はジオの実家なんだろ?」


「そうよ。だから今から、そこに向かおうとしてるんじゃない」


 ――おかしい。同じ目的を共有しているはずなのに、何か決定的に噛み合っていない気がする。

 ていうより、何かとても大事なことを教えられていないから、俺が勘違いしてるんだと思う。


「リーナ、そろそろジオの――」


 そう聞こうとした瞬間、この距離でもはっきりとわかるほどの大きな音で、噴水の向こうの屋敷の玄関扉が開け放たれた。


 そして、その中から、


「若様あああああああああああああああああああああ!!」


 こっちに向かって猛然と走ってくる、上等な服を着た恰幅の良い中年の男性――いや、それだけじゃない。

 その後ろから、何十人もの使用人と思えるお仕着せの人達が、大挙してこっちに向かってきていた。



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