第91話 闇夜の散歩 ドラゴンの痕跡
「さあて、僕に無断で夜のデートと洒落込んだ、その成果を聞かせてもらおうかな」
すでに日が昇り始めて明るく照らされているというのに、そう言うジオの表情が読めない。
一応は社交辞令の笑みを浮かべてはいるけど、馬車の座席の隣に座るセレスさん並みに、怒っているのかなんとも思っていないのか、全然分からない。
その笑みに気圧されているもう一つの理由は、やっぱり俺達の恰好だろう。
特別怪我をしたとか気分が悪いとかじゃないけど、足元を中心に泥だらけになっている俺とリーナは、まるで敗残兵みたいに見えていることだろう。
とりあえず、ほとんど乾いている泥を落としてから、この豪華な内装の馬車に乗り込みたかったんだけど、帰って来るなり有無を言わさずにセレスさんによって、ジオの元へと連行されてしまった。
――そして、さらに一つ。
気分が悪いわけじゃないと、確かに言った。
だけどそれは、体の調子は悪くないという意味なだけで、精神的に参っていないとは一言も言っていない。
この最悪な気分を少しでも軽減するには、言い訳という意味でも、人に話すのが一番だと思う。
「リーナ、頼む」
「わかったわ」
本来なら、言い出しっぺの俺が説明するべきなんだろう。
だけど、すぐ隣に俺以上の適任者がいるんだから、今回はリーナにお任せするしかない。
とりあえず聞き役に徹することに決めて、リーナの語り出しに耳を傾けた。
真夜中の草原に置き去りにされた不安か、それとも置き去りにした俺への怒りか、約束通りに短い時間で戻ってきた俺に、リーナの眼差しはどこまでも冷たかった。
「……とりあえず、村まで連れて行って。私の考えを言うのは、実際に一通り見た後にするから」
戻った時には色々と文句を言ってきたリーナだったけど、俺の話を聞くにつれて、だんだんと状況を理解してくれたようだ。
俺に負ぶわれるという屈辱を押して、そう言ってくれた。
というわけで、再びリーナを背負い、一度安全を確かめた分だけさっきよりも足早に、黒焦げの村に戻ってきた。
そして、村の中を案内しながら、俺が感じた違和感の数々を説明していく内に、リーナの表情が険しさを増していった。
「……確かに、テイルの言った通りの状況ね」
俺が入れなかった建物の中に入って、内部の惨状を確かめて出てきたリーナはそう言った。
「テイル、気づいてる?この村の中で、他とは壊れ方が明らかに違う箇所がいくつかあったんだけれど」
「えっ?い、いや、気づかなかった……」
「石垣が焼失していたり、家の中にあった鉄製品が一度溶解したような形跡があったのよ――他にも、焼死体の中に一部が欠損していたり、逆に腕や足しか見つからなかったものもあったりしたわ」
「悪い、それも全然……」
「……いえ、私の方こそごめんなさい。最近、テイルに驚かされるようなことばかりだったから、つい、こういう知識も持っているつもりになっていたわ。そうよね、テイルが知っているのは、冒険者学校のことまでよね」
「どういうことなんだ?」
勝手に一人合点をするリーナに、思わず語気が強くなってしまう。
普段はこんな失礼なことをしてるつもりは無いけど、不穏なリーナの言い回しに釣られる形になってしまった。
「私も、たまたま先輩冒険者から詳しく話を聞く機会があっただけで、実際に見たことがあるわけじゃないの。だから、私の推測自体が間違っているかもしれない。そのつもりで聞いて」
そして、リーナは「それ」を言葉にして言った。
確かにそれは、俺の想像の外にいる存在であり、冒険者学校でも教えられた記憶は一切無かった。
それはそうだろう。
よく、冒険者じゃない一般人は「魔物を見たらとにかく逃げろ」と教えられるけど、それに関しては、冒険者学校で教えるまでもなく、大人から子供まで危険だと知ってるから。
いや、この言い方も、それの恐ろしさを言い表せているとは言えない。
俺だったら、こう言う。
それ――ドラゴンを見たら、生きるのを諦めろと。
「それから、またテイルに背負ってもらって村を出て、行きとは違うルートを採りながら、途中にあった沼地で臭いと足跡をできるだけ消して、ここまで戻ってきたの」
「ドラゴン、ね」
リーナの説明が終わって、徹夜明けということも手伝って暗い雰囲気になるかと思ったけど、ジオの反応は思ったよりも鈍かった。
「ジオ様」
「――ああ、悪いね。少し考え事をしていた」
そう言ったジオは、セレスさんに促されて姿勢を正した。
「ひょっとして、ジオは、リーナの推測が間違っているって思っているのか?」
「いや、そういうことじゃあない。勘違いさせてしまったのなら、改めて謝罪するよ。ちょっと、色々と考えるべきことがあったのでね」
「それにしても、よりにもよってドラゴンですか。こんな、人族の領域の奥深くまでドラゴンが飛来したというのは、あまり例が無いはずですが」
「そうだね。僕の知る限りじゃあ、無害な例はともかくとして、村単位で全滅したというレベルは、アドナイ王国内で十年に一度あるかないかってところだね。しかし、目撃例イコール甚大な被害を及ぼす、まさに飛行する災厄――ドラゴンが出たかもしれないとなれば、王国の一大事だ」
「それがあの村で……!?」
ジオの言葉を聞いて思わず隣のリーナを見たら、血の気の引いた顔で小さく頷いた。
「ジオ様、それよりも――」
「わかっているよ、リーナ――セレス、メアリエッテ達に事情を伝えて、ただちに出発の準備を整えてくれ。前方の村を避ける以外は、最短ルートで頼むともね」
「承知いたしました」
ジオの命令に、即答したセレスさんが馬車を降りていったけど、俺には何が起きているのか――みんなが何を急いでいるのかがまるで分らない。
「さてと、リーナ」
「はい、ジオ様」
「君は、相手がドラゴンかもしれないと承知の上で、僕達の元へと戻ってきた、そういう認識でいいのかな」
「……はい、申し訳ありません」
疑問ではない、非難めいたジオの言葉だったけど、リーナの返事は自分の罪を認めたかのような感情がこもっていた。
「……まあ、その泥だらけの姿を見る限りは、一応痕跡を消す努力はしたみたいだし、僕としても知らせを聞かずにうかつに村に踏み込んでいた可能性が高かったわけだから、一概に君を責めるのもお門違いなんだけどさ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!さっきから何の話をしているんだ?」
「テイル、ドラゴンは縄張り意識の強い魔物でね、自分の巣やエサ場に侵入者の痕跡を見つけると、自慢の翼で地の果てまでも追ってくるんだよ。つまり、今僕らは、この世界で最強の種族の一角と呼ばれているドラゴンに襲われるリスクを常に抱えているってことさ」
目の前の理解のつかない会話にこらえきれずに質問した俺に、ジオは間髪入れずに、残酷な事実を伝えてきた。
「そ、そんな、だって、俺達が行った時にはもう――」
「そこがドラゴンの厄介なところだ。空を自由に飛べる翼を持つ奴らでも、一番近い生息地からここら辺までは片道一日はかかるはずなんだけれど、たった一度の襲撃でも終生エサ場と認識する例が過去にいくつかある。そして、ドラゴンには、通常ではあり得ない鋭い感覚で、間違ってエサ場に侵入した哀れな人族を、はるか遠くまで追跡して喰ったなんて伝説が、世界中に転がっている」
「じゃ、じゃあ、どうすれば……」
「空を飛び、強力な火の魔法に匹敵するブレスを吐き、ナイトアントなんか比べ物にならない硬い鱗を持つドラゴンを、何とかしようとは思わない方がいい。仮にテイルが戦えたとしても、テイルの周りの人達がそうとは限らないからね」
「っ――!?」
思ってもみなかった、戦闘という選択肢に、思わず体が震える。
だけど、それ以上に恐ろしかったのは、そうと知っていれば俺が必ずしも逃げようと思わなかったかもしれない、ということだった。
下手をすれば、見ず知らずの人達を巻き込んでいたかも――
「だから、僕達ができることは、二つだ」
「二つ?」
「一に、前方の村がドラゴンのエサ場と認識されていないことを祈る」
「あ、ああ」
なんだか拍子抜けだけど、少なくとも無謀にもドラゴンと戦おうとした俺よりはマシな案に思える。
「二に、一直線に王都まで馬車を走らせる」
「あっ!!――ああ、うん……」
二つ目でまともな案が出てきたと思ったら、よく考えてみると俺の出番が全くない。
だけど、冒険者のリーナから異論が出ない辺り、ドラゴン相手となったら逃げの一手こそが最善の策なんだろう。
「ああ、忘れていた、三つ目があるんだけれどね」
「なんだ?何でも言ってくれ!」
思わず前のめりになった俺に、今思い出したという風でジオは粛々と告げてきた。
「その泥まみれの姿のままで、一日中馬車の中で共に過ごすのは、僕的にちょっといただけない。外でしっかりと払い落としてきたまえよ。ついでに、馬車の中に落ちた泥も、君の魔法で掃除を頼むよ」
「……はい」
こうして、セレスさん達の準備が終わるまでに、リーナも含めて体についた泥を初級の水魔法と風魔法で綺麗にする任務を負った、俺だった。
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