第90話 闇夜の散歩 黒く染まった村


 夜の平原を走る。


 空には薄く雲がかかってはいるけど、月光を遮るほどじゃない。

 視界を強化すれば、背の低い草に隠されがちな地面の凹凸も不自由なく見えて、今のところは足運びに大した影響はない。


 そう、影響はないんだけど――


「はっ、はっ、……テ、テイル、ちょっと待って……」


 俺の後ろをよろめきながら走るリーナに気を取られながらだと、どうしても足を緩めがちになってしまう。


「リーナ、大丈夫か?」


「こ、このくらい――はあ、はあ、大丈夫に、決まってるじゃない」


「息を切らしながら言われてもな……。だから待っていてくれって言ったのに」


「こ、こんなはずじゃ……」


 俺が足を止めると同時に、膝をついたリーナ。

 出発する前に、邪魔な鎧の類は全て置いて来させての夜の散歩なんだけど、それでもリーナの体力は限界に近付いているらしい。

 リーナ本人は、どうしてこうなっているのか分かっていない感じで愕然としているけど、俺には一目瞭然だった。


「もしかして、リーナ、夜間の移動の経験が無いのか?全然まっすぐに進めていないぞ」


 整地も何もされていない地面だからわからないじゃないけど、俺がちょっと後ろを気にしただけで視界に入ってくるくらいに右へ左へフラフラしていたんじゃ、いくら戦士のジョブの恩恵を受けていても、そりゃあすぐに疲れもする。


「け、経験くらいあるわよ。ぼ、冒険者としてこの二年以上、何回ダンジョンに潜ったと思って、いるのよ……はあ、はあ」


「ダンジョンって――月よりも弱い光源で、ここより足場の悪い環境で移動したことがあるのか?」


「そ、それは、ないけれど……」


 ――あんまり当たってほしくない、「予想通り」だったな。


 リーナが、夜の屋外での長い距離の走り方を知らないってことは、同時に夜の方角の見極め方も知らないってことになる。

 俺は、星の位置や遠くの山影なんかを記憶することである程度見当が付けられるけど、俺ほど視界の利かないリーナに即席で覚えろっていうのは酷な話だろう。

 多分、ここからジオ達のところまで一人で帰るのも無理だ。


 つまり、リーナをここで置き去りにすることはできない。

 かといって、リーナの足に合わせていたらまず途中で時間切れになる。


 ――なら、残る方法はただ一つ。






「う、ううっ」


「……」


「な、なんでっ、こんなことに……うぅ」


「なんだよ、一応先に要望は聞いてやっただろ?」


「そういう問題じゃないの――こんな姿、もし誰かに見られたら……」


 その時、強い向かい風が鋭い風切り音を発して、リーナの愚痴を聞いていた俺の耳を塞いだ。

 風に邪魔されたリーナの言葉の続きを催促したい気持ちはあったけど、大きな荷物が増えた分、足運びが緩まないように一層気をつけないといけない。


 そう、俺は今、リーナを負ぶって夜の散歩を続けていた。


 もちろん、メアリエッテさんとの約束の時間を考えた上での判断だ。

 ダンさんのようなガタイの良い男ならともかく、


「うううぅ、もうお嫁にいけない……」


 風切り音が続いているせいだろうか、いつものリーナなら絶対にありえない――多分雑音のせいで聞き間違いとしか思えない独り言が、俺の耳に入ってくる。


 ――最初は、冒険者としてふがいない自分を恥じているのかと思っていたけど、違うのか?

 ああ、そういえば、王都に婚約者がいるんだったっけか。

 確かに、思いを寄せる相手に、別の男の背に負ぶわれている姿なんて、死んでも見られたくないだろう。


 もちろん、これでも譲歩はしたつもりだ。

 速度を落とさずに進むためには、おんぶか、いわゆるお姫様抱っこのどっちかしかないと思って提案した結果、顔を真っ赤にしたリーナが前者を選んだに過ぎないし、他意は全くない。


 まあ、それでも、王都で似たようなシチュエーションに遭遇した時には、リーナの名誉のためにもう少し気を配るべきなんだろう。


 ――俺の中になぜか残る、この胸のモヤモヤを押し隠して。


 という考えに落ち着いて、前に集中した、その時だった。


「っ――!!」


「え、どうしたの?」


 靴底を滑らせながら急制動をかけた俺に、リーナが戸惑いの声を上げる。

 もちろん、その言葉の意味は理解しているつもりだけど、今の俺は風上から流れてくる臭いに集中していた。


 ――あの黒煙を見てから、もう半日近く経っている。

 それでも漂ってくる、木と生き物が焼け焦げたこの臭いは……


「リーナ、悪いけど、ちょっとここで待っていてくれ」


「え、テイル?」


「前の安全を確認しに行くだけだ、すぐに戻ってくる」


「ちょ、ちょっと待ってっ!?」


 まだ何か言いたそうなリーナを背中から降ろして、三回ほどその場で軽くジャンプして足の感覚を確かめた後、俺は村目掛けて一気に走り出した。






 目の前に広がっていたのは、黒い惨状だった。


 例の自称神が俺に与えた装備、『ギガンティックシリーズ』は、一応ライトアーマーの部類に入る、と思う。

 しかし、この金属だか石だかよくわからない材質の黒一色の軽鎧は、動き方を工夫すれば、驚くほど音を出さない。

 その上、五感強化で前方の安全を確認していたので、目的地の村にはすぐに辿り着くことができた。


 そこで待っていたのは、月明かりが当たっている部分ですら黒く染まった、村だったもののなれの果てだった。

 視界の中の全てが、木の柱は真っ黒に焦げ、土壁はボロボロと崩れ、石垣は煤まみれになっている。


 そして、雑多な不快臭の元となっているのが、道々に数体転がっている、黒い人型の何かだ。

 その正体は、確認するまでもないだろう(というより見たくない)――ましてや、生き物の気配が全くない家の中はなおさらだ。


 それでも、煤で汚れるのも厭わずに、慎重を期して建物の一つの陰から、村の中央部に立つ一際大きな建物をゆっくりと見上げる。

 周りとは違って、ほぼ原形を留めているその建物の扉には、等間隔の十字をマルで囲んだ金属製の御印が掲げられていた。


 ――冒険者学校時代に見たのと同じだ、あれは四神教の教会だ。


 よほど激しく燃えたんだろう、教会の象徴である鐘楼は燃え落ちているけど、それでも原形を保っているのは、四神教の威光を示すために頑丈に造られた証拠でもあった。


 そうして、村の主だった建物を一通り見たことで、ある違和感が浮かび上がってきた。


 ――他の死体はどこだ?


 村中が真っ黒になるほどに、たくさんの悲劇が起きたことは確かだ。

 だけど、村人もただ黙ってやられたとは思いにくい。全滅したとしても、それなりに抵抗したはずだ。

 だというのに、その相手の死体、あるいは死骸が一つも見当たらない。


 黒焦げ死体の中には、槍や農具を手にしていたと思われるものもあるにはあった。

 村を襲った何者かに対して、戦おうという意思があったのは間違いない。

 だけど、今思い返してみれば、見た限りの武器には血の一滴も付いていなかった。

 武器を振るう間もなく殺された?魔導士の仕業?それとも魔物の大軍?


 それからもう一つ、疑問がある。

 村のほとんどの建物が黒焦げの状態だけど、それにしては、倒壊しているものが思ったよりも少ない。


 そう思って、試しにいくつかの木の柱をナイフで傷つけてみたけど、そのうちのいくつかは木の地肌が見えていた。

 つまり、この柱は、高温かつごく短い時間で焼かれたという証になる。

 これが一体何を意味しているのか……


 ――駄目だ、俺程度じゃ、知識や経験が少なすぎて、答えを導き出せない。


 言ったそばから前言を翻すようでちょっと恥ずかしいけど、やっぱり、専門家に頼るしかないよな。



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