第89話 闇夜の散歩 騎士の本分と本音


 同じ夜でも、土地が変われば空気もまるで違ってくるものらしい。


 ジュートノルでの日課の狩りの時には、そこら中から魔物の気配がしていたけど、ここで聞こえるのはせいぜい夜行性の小動物の微かな足音か、虫の鳴き声くらい。

 その音を運んでくる冷たい夜風に思わず身をすくめながら、さっきまで寝たふりをしていた天幕の近くにあったちょうどいいサイズの岩に腰かけて、ブーツの紐を締め直していると、


「お出かけですか?」


 夜警の最中だったんだろう、背後からメアリエッテさんの声が聞こえてきた。

 もちろん、手練れの騎士のメアリエッテさんの目と耳を掻い潜れるとは、最初から思っていない。

 そう自分に言い聞かせつつ、ゆっくりと振り返って、用意していた言い訳を口にしてみる。


「はい。いつも狩りのために早くに起きるせいか、眼が冴えちゃって。ちょっとその辺を散歩してこようと思います。メアリエッテさんこそ夜も大変ですね、朝まで起きてるんですか?」


「仲間と交代で仮眠を取りますからご心配なく。それよりも、私の質問に答えていただけませんか?」


「いや、だから散歩ですって」


「それにしては、物々しい装備ですね。ダンジョンに挑むとはいかずとも、先ほどあなたが言った通り、まるで狩りにでも行くかのようないで立ちですが?」


 ――やっぱり、付け焼刃の嘘八百じゃ通用しなかったみたいだ。

 それに、ジオの護衛を担っているメアリエッテさんが、あえて俺に声をかけてきたのはあのことがあったせいだろう。

 俺は、日中のジオの言葉を思い出していた。






「ちょっと勘違いさせてしまったかな。もちろん、僕もあの黒煙の正体を確かめたい気持ちはあるし、あの下で何人もの平民の命が失われているかもしれないと考えただけで、何とかできないものかと思うよ」


「だったら……!」


「でもね、そうもいかない事情があるのさ」


 相も変わらず冷静な物言いのジオ。その姿が停まった馬車から外に出たところで、思わず詰め寄ろうとしていた俺との間を、二人の黒マントが遮った。


「くっ、この……!」


 それでも怒りが収まらずに、黒マントを押しのけてジオに迫ろうと、さらに一歩を踏み出そうとした、その時――


「テイル、もうやめて」


 馬車の中から俺の肩を強く掴んで動きを封じたのは、リーナだった。


「悪いね、リーナ」


「別に、貴方のためじゃないわ」


「わかっているさ。テイルを止めてくれたことに感謝しているんだよ――そしてテイル、そのリーナの手を振り払うようなことはしないでくれよ。その先は、命の保証ができない」


 何を言っているんだ?と、思った瞬間、俺の横からを鋭い殺気が襲ってきた。

 その方向へと首を動かすと、


「そのまま、そのまま動かないでください。それ以上ジオ様に近づけば、斬ります」


 馬車の死角から出てきたメアリエッテさんが、腰の剣に手をかけていた。


 ――な、なんでここまでするんだ……?


 そう思いながらも、これ以上事態が悪化するのはまずいと、前に向き直りながら、メアリエッテさんの言う通りに後ずさりする。


 そうして、俺が下がった分だけ場の緊迫感が薄れたところで、再びジオが口を開いた。


「ついでにもう一つ、勘違いを正しておこう――テイル、この旅の主役は僕じゃあないよ」


「え?」


「テイルも含めて、僕達はおまけもおまけ、旅の厄介者だ。あくまで僕達は、メアリエッテ達の王都帰還の旅に同行させてもらっているに過ぎないんだよ」


「い、いや、だって……」


「もちろん、それなりの場で会えば、メアリエッテ達は僕に頭を垂れる立場さ。いや、近づくことすら許されないかもしれない。だけれど、彼女達には『任務』という、何にも増して優先するべき、騎士としての矜持と使命がある。この場合は『僕と共に王都に帰還する』ことのみを実行しようとしているわけだよ」


「今の彼女達は、上官の命令に忠実に従うだけの、人ではない何かだと思ってください。もしもの時は、ジオ様の護衛騎士である私ですらあっさりと切り捨てるでしょう。テイル、どうか自重を」


 それまで、ジオの後ろについて一言も口を出さなかったセレスさんの言葉で、全ては決まった。


 自分の体から力が抜けていく感覚を味わいながら、それでも何かできることはないか、表情に出ないように考え始めた。






 そうして、つらつら悩み続けた末に思い付いたのが、夜を待っての単独行動だったわけだけど、俺の浅知恵なんて、実力も教養もある騎士様には全てお見通しだったみたいだ。


 そう思いながら、どうやってメアリエッテさんを躱そうかと無い頭で考えていると、


「……はあ、そんなに警戒しなくても、あなたの行動を止めるつもりはありません。ただ、あまりに無謀な考えでしたら、助言の一つでもしなければと呼び止めただけです」


「え……?」


 メアリエッテさんの受け答えの、昼間と今とのあまりの落差に驚いていると、彼女は言葉を続けてきた。


「私達とて鬼ではありません。あの時のあなたの衝動は十分に理解できるものでしたし、昼間は申し訳ないことをしたとも思っています。ただ、あの勢いのままにジオ様を巻き込むような事態を止めたかっただけです」


「それは……本当にすみません」


 口調まで優しくなったメアリエッテさんの正論に、ぐうの音も出ない。

 ただただ申し訳ないという気持ちで項垂れていると、


「あなたの能力のことは、騎士セレスからおおよそのことを聞いています。夜明けまでに帰ってくることは当然として、どのような計画を立てているのか、私に話しなさい」


 親身な感じでそこまで言われたら、話さないわけにもいかない。


 俺はメアリエッテさんに、夜の単独行の行程を手短に話した。


「……なるほど、一応は理に適っているようですね。さすがは数年の狩りの経験を持っているだけのことはあります。それならば概ね心配はなさそうです。ただし、一つだけ不備がありますね」


「不備?」


 俺としては、メアリエッテさんにできるだけシンプルに説明したつもりだし、少なくとも言葉の上では欠点なんてなかったはずだって自信はある。

 その思いが表情に出ていたんだろう、メアリエッテさんは苦笑しながら教えてくれた。


「あなたの計画の外の存在で、今のところはあなたの思惑通りに動いてくれそうにない者が一人、そこにいるではないですか――そこにおられるのは分かっています。出て来てください」


 そう言った途端、メアリエッテさんは俺から視線を外して、あらぬ方向に向き直った。


 そして――


「え、ええっと……」


 果たして、メアリエッテさん向き直った方向――俺がさっきまでいた天幕の陰から、いつもの凛々しさとは真逆の気まずそうな顔をしたリーナが、気まずげに半身を覗かせた。

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