第85話 王都への旅路 出発


 王国の中で中規模の街と呼ばれているジュートノルだけど、そう呼ばれるまでに発展するためには、どうしてもある資源――つまり水が必要不可欠になる。


 これを一度に、しかも大量に利用できるそれなりの大きさの川がジュートノルの側を流れていて、そこから用水路を引くことで、街の生活と発展に利用している。


 ただ、世の中そう上手くは行かないようで、川の有効活用のもう一つの柱――水上輸送には、ジュートノル近郊の川は全くと言っていいほど向かない。

 川幅も深さもそれなりにあるんだけど、河口に達する前に何度も緩やかに曲がっている上に流れも早く、所々に大きな岩があったりして、王国で最も危険な川だなんて呼ばれている。

 それでも、川を横断する橋を架けないわけにはいかないんだけど、どれだけ頑丈な橋を造っても、大きな嵐がジュートノルを襲う度に洪水で押し流され、その度に橋を架け直して結構な出費になっているらしい。


 今では、流されてもすぐに架け替えられる簡素な木製の橋(それでも十分立派に見えるけど)を、俺達を乗せた馬車は、朝靄がまだ残る中をゆっくりと渡り切った。


「うーん……、ジュートノルの発展を考えると、早急に治水工事に手を付ける方がいいんだけれど――」


「そうなれば、陸上輸送の中継拠点であるジュートノルに、水上輸送という二本目の柱が立つことになります。まさに、オーガに金棒ですね。ですが」


「そうなんだよ、セレス。水上輸送という手段は、情報伝達の観点からも確かに魅力的だ。だけれど、それは同時に、人族の天敵である魔物にも移動の便を与えることになってしまう。特に、水辺や水中を棲み処とする種類にはね」


「では、やはり綿密な調査が必要ですね」


「そうなんだけれどね、危険な水辺の調査を引き受ける実力があって、かつ信頼のおける資料を作るための地味の極みとも言える測量に何日も付き合ってくれる人材なんて、冒険者を含めてもそうそう転がってはいないんだよね」


 俺の向かいに座って、何やら小難しい話をしているのは、ジオとセレスさんの主従コンビ。

 その二人の眼が、さっきから話が途切れるたびに、チラチラと俺の方へ向いていると感じるのは気のせいだろうか?






『テイルは着の身着のままで来てくれればいいよ。王都への足から替えの下着まで、僕の方で用意しておくから』


 あの話し合いを終えた後でジオからそう言われたのが、二日前。

 王都に来てほしいというジオの頼みに安請け合いしたものの、旅の支度にどれだけの日数と金がかかるかと頭を抱えそうになっていた俺にとって、この言葉は渡りに船だった。

それから、ミルズの力も借りて、急ピッチで白いウサギ亭の改築を済ませて強度と使い勝手の確認が終わった頃には、すでに昨日の夜になっていた。


 ――さすがに、替えの下着まで用意してもらうほど肝が太いつもりはないから、服とかと一緒に後ろの荷馬車に入れてもらってるけど。


 まあ、それは些細なことだ。

 些細じゃないことは、俺の隣にある――隣にいる。


「……なあ、ジオ」


「なんだい、テイル?」


「いい加減に、自由にしてやったらどうだ?」


「うーん、僕としては、このまま王都まで大人しくしてもらっていた方が、面倒が少なくていいんだけれどね」


「いや、さすがに可哀そうだろ」


「まあ、テイルが説得に一役買ってくれるというのなら、やぶさかではないけれど」


「決まりだ。じゃあ外すぞ」


 そう言った俺は、隣で手足を拘束され、騒げないように猿轡までかまされていた美少女――リーナの口を塞いでいた布の結び目をゆっくりと解いた。


 その瞬間、


「よくもやってくれたわねっ!!」


「だってしょうがないじゃあないか。僕自ら足を運んで頼んだというのに、ろくに話も聞かずに拒絶するものだから」


「当り前じゃないっ!!私が帰りたくないのを知ってて、よくも来れたものよ!!」


「僕の身にもなってくれよ。君がいるジュートノルに僕が行ったとわかった途端、どうか連れ戻してくれと兄君から矢の催促だ。このまま手ぶらで王都に帰るわけにはいかなかったんだよ」


「だからって、あの場を衛兵隊に包囲させておくなんて普通じゃないわよっ!!完全に実力行使する気満々じゃない!!」


「いやあ、あれで大人しくしてくれると思ったんだけれどね。奥の手まで使う羽目になってしまったよ。まったく、君のお転婆ぶりも相変わらずだね。ほどほどで卒業しておかないと嫁の貰い手がなくなるよ」


「大きなお世話よっ!!あんな冒険者たちまで雇った上に、わざと包囲の穴を作って待ち伏せさせておくなんて、悪辣にもほどがあるわよ!!」


「そこまでやってようやく捕まえられたっていうんだから、僕の用心は適切だったというわけだ。ジョルクが褒めてたよ、大型のダークウルフ並みに手こずらされたって」


「なんで獣と一緒にされて私が喜ぶのよっ!!」


 そう叫ぶリーナの顔を見る限り、そう例えられてもおかしくないくらいに、オオカミ特有の恐ろしさと美しさを兼ね備えてるなって思うのは、俺だけだろうか。


 ――まあ、わかりやすく言うと、間近に見るリーナの横顔は、何度でも見惚れるほど綺麗だってことだけど。


「ああ、先に言っておくけれど、外すのは足までだ。馬車の中でまで暴れられたら敵わないから、手の拘束だけはそのままにさせてもらうよ」


「……別に暴れないわよ。どうせ無駄だろうし」


 最近、ジオに対する言葉遣いが特に雑になってきたリーナの視線の先には、正面に座るセレスさんがいた。


 俺は一度、リーナがセレスさんにあっさりと制圧されているところを見ている。

 俺よりもはるかにセレスさんのことを知っているリーナのことだ、抵抗は無駄だと思っているのかもしれない。


「それに、、誰にも邪魔されることなく関係を深めるチャンスもあるんじゃないのかい?」


「うっ……」


 それまでジオに噛みついてばかりだったリーナが、その一言で唐突に黙った。


「わ、私だって、最初から知っていたら、抵抗なんかしなかったわよ……」


 そう口ごもるリーナは、さっきまでの狼の威嚇のような雰囲気とは一転して、恋に恥じらう女子の様に頬を染めて自分の膝を見始めていた。


 ――なんだか知らないけど、ひょっとして王都に許嫁でもいるのか?

 なんだろう、ちょっとモヤモヤするというか……

 急速にジオの顔を殴りたくなってきた。

 

「よし、これで全員の合意が成ったわけだ。ジュートノルから王都まではそれなりに長い道のりだからね。仲良くやっていこうじゃないか」


 もちろん、乱闘ができるまでには広くない馬車の中でそんなわけにもいかず、場を仕切るジオの言葉を大人しく聞く。


「ジオ様、さすがの下劣ぶりです」 「セレス!?」


 そう言いながら拍手をして、ジオを貶すセレスさんに、


「ふんっ――あっ」


 その様子を見て顔を背けて、俺と目が合ってなぜかまた俯いたリーナ。


 もうすっかり顔なじみとなった三人。

 これまで経験したことのない長旅の始まりも相まって、俺の中で期待よりも不安の方が大きいのは、早めに何とかしたいところだった。

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