第80話 変化と名前と看板と
ゴードンから解放されて、一番の変化は何だろう?
もちろん、ターシャさんの顔をいつでも見られるようになったことは、素直に嬉しい。
過労死しそうなほどの仕事量が減って、生活に張りが出てきたのも大きい。
だけど、一番の違いは――
俺は、この間のことを思い出していた。
「さて、テイル」
「は、はい」
「さっき、商業ギルドでの野暮用ついでに、この別館の登記を確認してきた」
「そ、それでどうだったの、ダンさん?」
「急かすなターシャ。窓口でそう言った途端、職員たちがざわつきだしてな、お前の予想通り、奥で事情聴取みたいなものを受けた」
「ええっ!?まさかそのまま捕まって、牢屋に入れられちゃったりしたの!?」
「だから急かすな、ターシャ。そもそも、牢屋に入れられた俺が、どうやったら今ここで話ができると言うんだ?」
「あ、そっか。ごめんごめん、あはは」
「まったく……、まあ、ギルド幹部らしき数人に色々聞かれたりもしたが、テイルの言う通りに知らぬ存ぜぬで通したら、思ったよりは時間がかからずに登記簿を見せてもらえた」
「それで、どうだったんですか?」
「お前の言った通りだった。この別館の所有者が、ゴードンからお前に書き変わっていたぞ、テイル」
そこまで聞いたところでようやく、全身から力が抜けた思いがした。
『もしくは、養子のテイルを成人させた上で、こちらで指定した従業員と財産を分与することで、刑の執行を十年間猶予するものとする』
ジュートノルの中心である政庁舎で、ゴードンに向けてその言葉を言い放った、ジオ。
これまでの色々で、それなりに為人を知ったつもりになっている。未だに正体が知れないというのがずっと引っかかっているけど。
「つ、つまり、どういうことなの?」
「つまりもなにも、この別館の主はテイルだということだ」
「えええええっ!?」
どうやら、ジオの言ったことは本当だったらしい。
ターシャさんの驚きの声を聞きながら、内心胸を撫で下ろしていると、ダンさんの顔がこっちに向いた。
「それでテイル、どうするつもりだ?」
「え、なにがですか?」
「なにがもなにも、全部に決まっているだろう」
「は……?」
「そうよねえ。いつまでも『白のたてがみ亭別館』じゃいけないし、一度商業ギルドにあいさつに行くべきよね。お得意様にもお知らせしないと」
「あ、あの、ターシャさん?」
「他にも、取引のある店も選び直さんとな。食材の仕入れは俺の伝手で何とかなるとしても、ゴードンとの繋がりでこれまで付き合ってきたところは、場合によっては契約を切るべきだろう」
「そ、それ……一体誰がやるんですか?」
「「もちろん、テイル(君)の仕事だ(よ)」」
「ええぇ……」
幸いなことに、あの数々の無茶ぶりは、ダンさんとターシャさんの小粋なジョークだった。
とりあえず、年長者のダンさんを料理人兼店長に、ターシャさんが接客係兼渉外担当、俺が今までの通り雑用係として、再スタートを切ることになった。
――え?店の主?
経営のけの字も知らない俺に、店の主面ができるとでも?
「もちろんテイル君にも、私とダンさんの仕事を少しづつ覚えてもらうからねっ!」
……ターシャさんの笑顔には勝てないので、新しい仕事を覚えることになりそうだ。
まあ、覚える量が量なので、その辺はおいおいということになるんだけど、早急にやっておくべきこともあった。
「テイル、新しい名前を決めろ」
「名前、ですか?なんの?」
「もうっ、さっき私が言ったばかりじゃない。この宿の名前よ」
「さすがに今までの名前は使えんだろう。本館の方は今、評判がガタ落ちだ。いつまでも名前を変えないと、こっちにまでとばっちりが来るぞ」
「それは分かりますけど、なんで俺が?」
「「テイル(君)がここの主だろうが(でしょうが)!!」」
ていう感じの、二人からの有無を言わさない命令?の後で、一人で学のない頭を悩ませた結果、こういう名前に落ち着いた。
『白いウサギ亭』
「ふん、まあ無難なところか」
「かわいいっ!」
ダンさんからは並、ターシャさんからは良の評価をもらったので、これで商業ギルドに届けを出した。
まあ一応、理由のようなものはある。
一つは、旧名となった、白のたてがみ亭の名残を残したかったことだ。
ゴードンを始めとした嫌な思い出もあるにはあるけど、良くも悪くも俺の全てと言っていい場所だし、何より名前そのものに罪はない。
あの頃のことを忘れないためにも、雰囲気程度は残しておきたい。
もう一つは、単純に宣伝のためだ。
始めたころは、単なる借金返済の手段でしかなかった俺の狩りだけど、幸か不幸か、俺が獲ってくるツノウサギを使ったダンさんの料理が、客の口コミで徐々に評判を呼んで、今ではうちの名物の一つにまでなっている。
まあ、ウサギと名のつく宿でウサギ料理を出すのはどうなんだ?と思わなくもなかったけど、それで客の気が引けるのなら万々歳だ。
それに、ダンさんの料理を食べた後で文句を言う客なんて一人もいないと、自信を持って言えるからな。
とまあ、そんなことを思いながら、ダンさんとターシャさんの助言をもらって、素人ながら『クレイワーク』で作った置き看板の出来に、玄関の前で独り悦に入っていると、
「おいテイル!!床磨きが終わっていないぞ!!どういうことだ!!」
「すぐ行きます!!」
朝のピークを終えて誰もいなくなった玄関に、厨房の方からダンさんの怒声が響き渡る。
それにすぐさま返事をして、追い立てられるように仕事に戻る。
だけど、今までとは違う明るい声を出している自分に気付くのは、ターシャさんにそう指摘されるもう少し先のことだった。
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