王都争乱編

第77話 新しい日常


 その門戸を叩きたいと思わなかった奴は、一人もいないと言っても過言じゃない。


 ある者は魔物を狩って貴重な素材を手に入れ、ある者は大商人や貴族の専属となって上流階級の仲間入りの足掛かりとし、ある者は未踏のダンジョンを攻略して秘宝と名声を一気に手に入れる。


 ジョブの恩恵を得て、一般人では想像もつかない力を手に入れ、魔物を始めとした外敵と戦い、人族の領域を広げて、繁栄の歴史を紡いできた。


 これが、みんなが知る冒険者のイメージだ。


 だけど、みんなは忘れている。いや、気づこうとしない。


 確かに、戦士、スカウト、魔導士、治癒術士の四つのベースジョブのバランスと連携は素晴らしいし、人族の発展には欠かせない要素だったと、ノービス信者と言っても過言じゃない俺ですら思う。

 だけど、「ジョブ」という絶大な力は本当に人族だけのものなのか?


 そもそも、「ジョブ」ってなんだ?


 人族に欠かせない要素でありながら、その源流を知る人は周りには誰もおらず、気づいてみれば大穴だらけの土台の上に立っているような、不安な感覚。


 なんで誰も、そのことに気づかないんだ?






「……ふう。今日はこれくらいでいいか」


 夜明け前。


 そう独り言ちる俺の周りに、人族はいない。

 いや、今すぐに危害が及ぶ範囲内に敵対的な生き物はいない、というべきだろうか。


 ジュートノルでのゴタゴタが片付いた数日後、それまで自粛していたジュートノル近郊の森での狩りを、久しぶりに再開していた。


 ダンさんからは、


「正直、お前が狩りを再開してくれると、こっちとしても助かる。今は、少しでも節約して資金に余裕を持たせた方が、何かと都合がいいからな」


 とのお墨付きを頂いた。


 それに、ターシャさんからも、


「これからは、森の果実とか木の実なんかも採って来てくれると嬉しいな。私がこっちに来たからには昼の営業もやりたいし、そのためには女性のお客様へのアピールも考えないとね」


 との、将来の展望まで披露してもらった。


 そんなわけで今日の収穫は、いつものツノウサギが五羽。それに、俺の獲物を横取りしようとしたから返り討ちにした、ベリルスネークという蛇の魔物一匹。

 もちろん、血抜きは十分に済ませてある。

 さらに、ターシャさんから持たされた袋に一杯に詰めた、森の恵みの数々だ。



 ――でも、本当に手際が良くなったな。


 こういう独り言は慢心の元になるから慎めと、ジョルクさんの声なき声が聞こえてきそうだ。

 だけど、十分な量の狩りを終えた上に森の恵みの採取まで済ませて、まだ完全な夜明けまでに余裕があるんだから、俺の動きが良くなったのは動かしようのない事実だ。


 と、物思いにふけっていたその時、森の奥で小さく、だけど確かにに光る眼差しと、目が合った。


 あのつぶらで真っ黒な目――間違いない、ウォーベアだ。


 今の俺が立っている場所は、いつもと同じ森の外周部。

 普通なら、森の奥を縄張りにしているウォーベアと出くわすことはない。

 多分、ツノウサギとベリルスネークから抜いた血の匂いを辿って、ここまで出てきたんだろう。


 ウォーベアは、その眼差しはもちろんのこと、身じろぎ一つすらしない。


 俺もまた、ウォーベアから視線を逸らさない。


 ウォーベアと初めてエンカウントしたのは、あの悪夢の先の地獄を経験した直後のこと。

 それも、転移の力で森の奥に飛ばされた時に、突然襲われて辛くも撃退した一回きりだ。

 もし、目の前のウォーベアが、あの時斃した奴の仲間だとしたら、戦いは避けられないかもしれない。


 でも、俺はこの森の恵みを必要な分だけ頂いている身、いわば余所者だ。

 ウォーベアは、森の生態系で頂点に位置する絶対的強者。

 一度目の時はやむにやまれずに倒すしかなかったけど、できれば無用な殺生は避けたい。


 あまり褒められたやり方じゃないけど、エンシェントノービスの能力を駆使して、ウォーベアが追ってこなくなるまで森の中で追いかけっこに興じる選択肢も考え始めたその時、


 フイッ


 何の前触れもなく、ウォーベアの眼差しが森の闇の中に溶けていった。


 俺は、ウォーベアの視線が戻ってこないことをしばらく確認した後、これ以上森を刺激しないように手早く後始末を済ませて、静かに街への帰路についた。






「テイル!水瓶の残りが心許ない。ついでに薪も追加で持ってこい。おい!聞いてるのか!!」


「お待たせしました!今日の朝食ですっ!」


 ――ああ、ターシャさんが尊い。


 俺がターシャさんの働く姿を最後に見たのは、一年以上前。

 それも、本館への使いの最中に、客を案内する後ろ姿をちらっと一瞬見ただけで、働きぶりどころかどんな雰囲気だったかも感じ取れなかったくらいだ。

 それ以来、俺は別館専属、ターシャさんは本館専属になって、お互いに顔を合わせる機会すらなくなっていた。


 それが今じゃ……ああ、まるで夢のようガン!!


 脳天が痛いっ!!


「いつまで呆けてる!!さっさと水汲みと薪割りに行ってこい!!」


「は、はいいいいいっ!!」


 久々のダンさんからの鉄拳制裁で夢から覚めた(ある意味では死んでも覚めてほしくないけど)俺は、追撃が来ないうちにと、ターシャさんを見守っていた厨房の柱の陰から出て、一目散に外の井戸へと走った。


『ストリーム』


『サイクロン』


 ノービスの頃より格段に威力の増した魔法で、井戸には必須な釣瓶を使うことなく水を汲み上げ、小屋から取ってきた薪を風の刃で八等分にする。


「水汲みと薪割り、終わりました!」


「おう。客への配膳も一段落したし、ターシャが戻ってきたら朝飯にするか」


「はい!」


 最初の頃は、エンシェントノービスの力の凄さに驚いていたダンさんも近頃は慣れてくれたようで、普通の従業員では考えられない早さで雑用をこなす俺の使い方を(鉄拳制裁も含めて)掴まれてきたように思う。


 多少の変化はあったけど、あの頃のような――いや、あの頃よりも楽しくて嬉しい生活が始まった。


 そう実感したその時だった。


「すまん。朝早くから邪魔するぞ」


 その声がしたのは、客が出入りする玄関からじゃなく、俺達従業員が使う裏口の方。


「お客さん、こっちは従業員用だ。ちゃんと表から入って来てもらわんと困るんだが」


「え、なになに?裏口からお客様なの?」


「それについても済まない。だが、客ではない。そこのテイルに用がある」


 ダンさんだけじゃなくターシャさんまで見に来たところに、そう言って、裏口から姿を見せたのは、


「さらに謝っておく。ちょっとよんどころのない事情でな、しばらくの間、テイルを借りるぞ」


「ジョルクさん?」


 これまで数えきれないほど顔を合わせておきながら、実は一度も俺のプライベート――白のたてがみ亭別館には滅多に近寄ったことのないジョルクさんの姿が、そこにあった。

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