第72話 SS リーナの悩み 1
※このSSは、「戦力と権力編」完結直後のお話となっています。
本編につながるストーリーですので、できれば読み飛ばさないことをお勧めします。
(本編では、このSSをものすごく簡略化して差し込んでおく予定です)
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「はぁ……、暇だわ」
朝の仕事を一通り終えて、仕入れに出ているダンさんの代わりに、自慢の煮込み料理の火の番をしている俺の耳に、リュートの調べのような涼やかな声が、溜息と共に聞こえてくる。
大抵の男なら一発で反応してその声の主を捜して、その麗々しい姿を視界に入れた瞬間に、心を奪われるんだろう。
まず目を引くのは、煌びやかな金属鎧。
要所要所に細かな細工が施された逸品は、王国で中規模の街と言われているジュートノルじゃ、ちょっとお目にかかれない。
次に目が行くのは、その腰にある細身の剣だろう。
体を覆っている金属鎧よりは主張は控えめなものの、見る人が見れば剣の方が金がかかっていると思うことだろう。それくらい、金銀の装飾で彩られた鞘と柄は素晴らしく、どこかの名工の傑作だと信じるに違いない。
だけど、それらを凌ぐ形で見る人全てを魅了するのが、鎧と剣を従えた彼女の容姿だろう。
一言で言うなら、男装の麗人。
俺が前に持っていた剣鉈百本分でも太刀打ちできないだろう高価な装備を、普段着でも着こなすかのように身につけて、颯爽と街の大通りを歩く姿なんて、物語や演劇で出てくる理想の女騎士そのものだ。
宿の客の中にも男女問わずファンが多く(むしろ女性の方が多いらしい)、ある時年上の女性から「お姉様!」と呼ばれたこともあるとかないとか。
古ぼけた木の椅子に座って、テーブルに片肘をついて頬を乗せて溜息をついている姿すら、絵になるくらい綺麗なんだから、神様が天使と人族を取り違えて作ってしまったとつい思ってしまう。
しかも最近は、女の子らしい柔らかい表情やドキッとさせる意外な一面も見せたりして……
――はっ!駄目だ駄目だ、火の番に集中しないと。
ちょっと火が弱すぎるか?でも、火を強くするときは慎重にって、ダンさんから言われてるしな。
「あーあー、本当に暇だわ」
料理の火の番の間は、本当にすることが無い。
もちろん、同じ厨房でできる皿洗いや道具の手入れなんかは合間にやるんだけど、今日はそれも終わってしまった。
かといって、他の仕事のために厨房からいなくなることは、ダンさんが許さない。
火事の心配というのもあるんだけど、「料理を笑う奴は料理に泣く」というダンさんのポリシーの元で、火の番の片手間に別の仕事をやるのは良くても、別の仕事の片手間に火の番をやるのは、タブー中のタブーだ。
――仕方ない、水瓶の水を使って魔法の練習でもするか。
「ヒ、マ、な、の、よ!!」
見ると、俺が故意に無視していることにようやく気付いたらしい、男装の麗人――リーナが、厨房の入り口まで来ていた。
これ以上無視し続ければ、どんな癇癪が飛び出すか分からない――相手をし始めたら長くなりそうだと覚悟して、かまどの前に据えていた椅子ごと、リーナに向き直る。
「奇遇だな、俺も暇だよ。仕事中だけどな」
「あら、それは偶然ね!だったら今から、私と外に出かけない?」
「駄目だ。帰ってくれ」
まるで台本ありきのセリフを言っているくらいに、俺の話を聞いていないリーナに思わずそう答えてしまいそうになったけど、出かける前にダンさんからの忠告を思い出して、済んでのところで思い留まる。
「いいかテイル、おまえの女だか元仲間だか知らないが、こうして金を払ってもらっている以上は誰だろうがお客だ。そして、お客の要望に応えるのは当たり前。営業妨害でもない限りは追い出すなどもってのほかだ。そんなことをすれば、お客の前にお前を追い出してやるからな」
色々あって、今は俺のものになっているはずの白のたてがみ亭別館から、不条理にも追い出すと言い切ったダンさん。
そのゴツイ手には、ずしりと重そうな小さな革袋が握られていた。
……リーナの奴、ダンさんに一体いくら払ったんだ?
その後、いつの間にかに背後にいた笑顔のターシャさんに引きずられるように仕入れに行ったけど、あれはいったいなんだったんだろうか……?
最近、ターシャさんが妙な威圧感を出すことがあるけど、気にかかっていることでもあるんだろうか?
悩みがあるのなら打ち明けてほしいけど、なんだろう、なぜか俺だけは聞いちゃいけない気が……
「テイル、どうなの?」
気づけば、座っている俺の横でかがんで、じっと目を見てくるリーナがそこにいた。
「まあ、もうすぐダンさんも帰ってくるだろうから、その後だったら」
「本当ね?約束よ?」
安請け合いとも言える俺の言葉に、予想外に食いついてきたリーナ。
やり取りこそ何気ない風だったけど、ゴードンとの契約があった以前の俺だったら考えられないことだ。
夜も明けきらないうちから街の外で狩りをして、その後は一日中ずっと別館の雑用に追い回される毎日。
僅かな休憩以外に休みと言えるほどの時間はなく、奴隷同然の――もしかしたらそれ以上に過酷な日々だったかもしれない。
もし、ノービスの恩恵を受けていなかったら――そう思うと、今でもぞっとする。
まあ、愚痴めいたモノローグはこのくらいにしておこう。
ダンさんの言う通り、仮にも客を前にした態度じゃあない。
それになにより、リーナに一つだけ、どうしても言っておくことがあるからな。
「リーナ」
「ん?なに?」
「お願いだから、まずは鎧を脱いできてくれ」
俺としては、高価な装備に身を包んだリーナと、平民感丸出しの俺が並んで歩いていると、腕利き冒険者とその従者の関係に見られてしまうと思って、言ったつもりだった。
まあ、些細であっても誤解をされたくないっていう、しょうもない理由なんだけど、俺のお願いを聞いたリーナの反応は劇的だった。
「すぐに着替えてくる!!」
なぜかいきなり顔が赤くなって叫ぶように言ったリーナは、その足で別館を出て行ってしまった。
そして、帰ってきたダンさん(なぜか顔が引きつっていた)に事情を話して後をお願いして、ダンさんのすぐ後ろでニコニコしていたターシャさんに、
「そういうわけなので、ちょっと行ってきます」
と声をかけると、
「テイル君、いくらお客様相手でも、許されるのは手を握るところまでだからね」
と返された。
――にこやかで愛想のいい、いつものターシャさんのはずなのに、目は全く笑っていなかった。
まあ、それはそれとして、別館の表に出てしばらく待っていると、
「お、おまたせ」
街娘風の女の子が、俺の前にやってきた。
いや、街娘と言うにはちょっと背が高いし、立ち姿が素人じゃないというか、凛々しすぎるような――
「ちょっとテイル、貴方が着替えて来いって言ったのよ。何か感想はないの?」
と思ったら、リーナだった。
なんか、可愛いな。
「なんか可愛いな」
「にゃっ!?いまにゃんて……!!」
「え、あ!!」
ぼーっとしていて声が漏れてた!?
「あ、あうあうあう……」
「え、ええっと……」
リーナが両手を合わせながらもじもじするのを見て、俺もどうしていいか分からずに顔を背けていると、
「……二人一緒に出掛けるのは許したけれど、表でイチャイチャするのを許した覚えは、私はないんだけれどなー」
「きゃあああああっ!?」
「うわあああああっ!?」
玄関の陰から顔を半分覗かせながら、ターシャさんがこっちを見ていた。
「まったく、どんな強敵かと思ったら――これじゃ、子供のおままごと以下じゃない」
「あ、あの、ターシャさん?」
「ほらテイル君、さっさと行きなさい!そんなんじゃ、あっという間に日が暮れちゃうわよ!リーナさんも!せっかく勇気を出したのに、何もしないでいいの!?」
ターシャさんの言っていることは曖昧で俺にはよくわからなかったけど、とにかく早く行けということだけは分かった。
確かに、別館の表に出ただけで外に出かけたというのは、ただの屁理屈にしかならない。
「じゃあ、リーナ、行こうか?」
「う、うん……」
リーナの返事を聞いた俺はその手を取ろうとして――ターシャさんの時とは違うと思い直し(何か鋭い眼光が俺を射抜いた気がしたけどきっと気のせいだ)、リーナが歩き出すのを見てから、その横に並んだ。
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