第69話 二人が歩く帰り路
一階に降りた俺とターシャさんを待っていたのは、フロア内を忙しく動き回る衛兵隊を指揮する、ロナルドさんだった。
「おや、テイルさん。その様子ですと、無事に騎士は姫を助け出せたようですね」
「はい。おかげさまでターシャさんもこの通り――」
なぜか、さっきより笑みを深くしている(というよりはニヤニヤしている)ロナルドさんにそう言って、ターシャさんの方を振り返ると、
「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。皆様のご尽力の賜物により、この通り何事も無く、無事に済みました。本当にありがとうございました」
ジュートノル一番の美貌と接客力を駆使して、ターシャさんはロナルドさんに懇切丁寧なお礼の言葉を言うに違いない――はずが、
「あ、あの、テイル君、もういいでしょ、もう大丈夫だから、その、手というか、なんていうか……」
実際に俺の後ろにいたのは、恋する乙女のように顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている、ターシャさんの姿だった。
「ターシャさん?」
「ああもうっ!だから、この手を離してってば!」
ああ、そういうことか。
最上階の部屋でターシャさんの手を取ってからずっと、今になるまで握りっぱなしになっている自分の右手を見て、ようやく何を言われていたのか気づく。
だけど、
「嫌です」
「え?今なんて?」
「嫌です。二度と離しません。俺にとって、ターシャさんはこの世界で一番大事な人なんです。ターシャさんの安全が確認できるまで、絶対にこの手は離しません」
「あ、あうう……、そんな、大事だなんて……」
「いやあ、お安くないですねえ」
なんだろう?
俺としては、ターシャさんのことを家族のように思っていると素直に伝えたはずなのに、思っていたのと反応が違う、気がする。
顔どころか首元まで真っ赤にしているターシャさん。
そんなターシャさんと俺を見比べてはニヤニヤしているロナルドさん。
……おかしい。
まるで、人が通った跡と思って進んでいる道が、実は魔物が作った獣道でした、くらいの違和感がいつまで経ってもぬぐえない。
引き返すなら今しかない――そう思って、「俺、何か変なこと言いました?」と聞こうとした、その時だった。
「テイル!無事だったのね!」
「あ、リーナさん、まだ入ってはいけないとあれほど――」
ロナルドさんの制止も聞かずに正面玄関から入ってきたのは、止めようとする衛兵を押しのけてこっちに向かってくる、リーナだった。
俺のことを心配してくれていたんだろう、いつものクールビューティの顔を脱いで、安堵と喜びの表情を見せてくれるリーナの視線が、ちょうど俺とターシャさんの中間に行ったと思った瞬間、
「……ふうん、察するに、その人がターシャね」
――セレスさんがジオを見る時にたまに見せる、極寒の眼差しに変わった。
「テ、テイル君、この人は……?」
「あ、ええ、こいつはリーナ。冒険者学校の時の元同期です。――リーナ、この人はターシャさん。俺が働く白のたてがみ亭の先輩だ」
「よろしくね、リーナさん」
「こちらこそ。何でも、テイルの
ピキッ
ん、なんだ?今なんか、呼吸がしづらくなったような……
「あら、あらあらあら。こっちもテイル君からよーく聞いているわよ、リーナさん。冒険者学校では成績優秀だったけど、いっつもキツイ表情でピリピリしていて、正直近づきにくかったって」
ピキィッ
「へえぇ。私ももちろんテイルから、あなたのことは聞いてるわよ。仕事はできるし人当たりもいいし、もう姉じゃなくて母親のようだって。あれ?それとも、お婆さんのようだ、だったかしら?」
「うふふふふふふふふふ」
「ウフフフフフフフフフ」
……どうしよう。
なんだかよくわからないけど、俺の発言のあることないことが混ざり合って、ターシャさんとリーナの間で飛び交っている。
少なくとも、魅力的なターシャさんのことをお婆さんと呼ぶわけがないし、同じように、密かに憧れていたリーナのことをキツイ表情でピリピリしているなんて思ったことは一度も無い。
理由もなく変な嘘をつく二人じゃないし、何か原因があるとしか思えないけど……
「それはそうと、その手、もう離してもいいんじゃない?夫婦じゃあるまいし、あんまりはしたない真似を年頃の女性がするものじゃないと思うけれど?」
「あら、私とテイル君の関係は姉弟なんでしょう?だったら手を繋ぐくらい、当然じゃない。それとも、私達が羨ましいのかしら?あら、年頃の娘さんがはしたないこと」
ビキイイイイイイィッ
いつも鈍い方だと言われる俺でも、さすがにターシャさんとリーナの間に走った雷は、見えないけど見えた。
理由は全く思い当たらないけど、本当は優しい性格の二人だ、話せば分かり合えるはずだ。
そう思って、笑顔なのに目が全然笑ってない二人の間に入ろうとしたその時、
「お二人ともストップです!!――リーナ様、貴方を衛兵隊の任務を妨害した容疑で、一時拘束します」
「なんで私がっ!?」
「テイルさん!!ご用はお済みでしょうから、今日のところはこのままお帰りいただいて結構です。もちろん、そちらのターシャ嬢と一緒にね」
「え?で、でも、リーナは……」
「安心してください。リーナ様には、一晩ほど衛兵隊の詰め所で供述書の作成に付き合ってもらうだけです。明日の朝には必ず解放します」
「そ、そうですか?じゃあ、御言葉に甘えて。リーナ、また今度な」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
「リーナ様、これ以上抵抗するのなら、私の上司の上司に報告しますよ」
「なんでジオ様の名前が出てくるのよ!?」
「さあテイルさん!!あなた達がいると任務の邪魔――お二人の邪魔をしたくはないですから、私達がリーナ様を抑えているうちに早く!!」
「あなた達!私に槍を向けてどうなるか分かっているの!テイルも待ちなさいよ!!」
ロナルドさんに命令された衛兵隊と対峙しているリーナには悪いけど、今はターシャさんを安全なところに連れて行くのが先だ。
ちょっと騒がしくなり過ぎているので、ロナルドさんに無言で会釈をした後、
「行きましょう、ターシャさん」
「え、う、うん」
ずっと握っていたターシャさんの手を引いて、本館から抜け出した。
長く長く、石畳が続くジュートノルの大通りに、その優しい声が流れる。
「変なの。テイル君と手を繋いで、大通りを歩いてるなんて」
そう言うターシャさんの横顔がオレンジ色に染まるのを見て、今が夕方なんだと初めて気づく。
確かに、付き合いはけっこう長いはずなのに初めての体験だなと思いながら、何かを言い澱んでいるターシャさんの次の言葉を待つ。
「ごめん、ちょっと言い間違えちゃった」
「なにがですか?確かに、ターシャさんとこうやって堂々と一緒に歩いたことなんて一度もなかったはずですけど」
「そうだけど、そうじゃなくって」
そう言ったターシャさんの手が少しだけ強く握って来て、温もりが伝わってくる。
「こうやって誰かと歩くことなんて普通のことなのに、相手がテイル君だって言うだけで、こんなに嬉しいんだなって」
「ターシャさん……」
「お姉ちゃんでも良いと、本当に思ってたんだけどなあ……気づかされちゃった」
「え?」
「ううん、なんでもない。それよりも、私と手を繋いだままで、どこに連れて行こうとしてるの?唯一の居場所だった本館にいられなくなっちゃったから、どこへでもテイル君について行くつもりだけど」
――なんだか誤魔化された気もしないでもないけど、確かにまだ、ターシャさんに行き先を言っていなかったと思って、歩きながら打ち明ける。
そもそも、秘密と言うにはあまりにも馴染みがあり過ぎる場所だから。
「俺達の職場でもあり、俺とターシャさんが出会った場所でもある、別館ですよ」
「別館に?でも、それじゃ旦那様が……」
「大丈夫です。ちょっとややこしいんで説明は省きますけど、今の別館の所有者は俺ってことになっているらしいです」
「テイル君が?ふーん、そうなんだ」
「驚かないんですか?」
「驚くって、なんで?」
「いや、普通は疑うものなんじゃないかと思って」
「疑わないよ。だって、テイル君はそういう嘘は絶対につかないもん。さっきまでのこともあるから、テイル君が騙されているってこともなさそうだし」
「ターシャさん」
「でもそっか、……じゃあ、これからは、テイル君のことを新しく旦那様って呼ばなきゃいけないのかな?」
「か、勘弁してください!」
「あははは!冗談だよ。じゃあ、それなら安心だね」
「はい。ターシャさんは俺が守りますから」
「もう、大人をからかわないの!」
「からかってなんかないですよ」
「でも、本当に旦那様呼ぶかどうかは、テイル君が大人になるまでに考えておかなきゃね」
「え?何か言いました?」
その時、ちょうどすぐそばを一台の馬車が大きな音で通り過ぎた。
とっさに、ターシャさんを守らないとと思った俺は、馬車に気を取られて、ついその言葉を聞き逃した。
「ううん、何でもない。何でもないことが、うれしいの」
だけど、そう言うターシャさんの柔らかな笑みと、ほんの少し目元がきらりと光った眼差しを見た時――この顔が見たかったんだと思った時、どうでもよくなってしまっていた。
「じゃあ、帰ろうか、テイル君」
「はい」
そう言って、ターシャさんの手を握り直し――ターシャさんも同じ力で握り返してくれる。
今はそれだけで十分だと思い、二人の帰り路の行く先を示す夕日を追いながら、赤々と染まったジュートノルの大通りを、同じ速度で歩いていった。
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