第68話 ゴードンからの解放 4


 幸いにというか、拍子抜けというか、白のたてがみ亭本館の二階以降では、俺の行く手を阻むガラの悪い輩に出くわすことは一度も無かった。


 いや、それよりも、もっと気になることがあった。

 白のたてがみ亭本館に相応しくない男もそうだけど、街一番の宿の名にふさわしい客の気配が、一つもなかったのだ。


 一応、奇襲や挟み撃ちへの用心として、階段の近くの部屋は待ち伏せがないか確認するようにしていたんだけど、その扉のどれもが開け放たれていて、清掃員の姿すら見つけられなかった。


 かつては本館にも出入りしていて、清掃作業なんかは数えきれないほどやった俺が――しかも、ノービスのジョブの恩恵で鋭くなった五感が、人の気配の有無を見逃すことはありえない。

 ソルジャーアント襲撃以降も、俺が働く別館の客足は大して変わっていなかったので、本館のこの凋落ぶりは全く想像していなかった。

 はっきり言って、ショックだ。


 それと同時に、別の疑問も湧いてくる。

 もはや無人の宿と化した本館に、なんであんなならず者が出入りしてるんだ?


 でも、その疑問も、できるだけ足音を立てないように、軋む木の階段を上りながら消去法で探っていくうちに、すぐに分かった。

 客もいない、従業員が働いている様子もない。あと、ゴードンにとって価値があるものといえば、自分の執務室の金庫に大事にしまっている金と――


 決まっている、ターシャさんだ。


 代官に差し出すターシャさんが逃げないように、ならず者達に監視させているんだ。


 万が一、一階の三人を倒した事実を最上階にいるだろう奴らに知られていたら。

 そう考えると、ぐずぐずなんてしていられない。


 それでも、逸る気持ちを抑えつつ、周囲に気を配りながら、一歩一歩確実に階段を上る。

 対人戦でも豊富な経験を持っているという、ジョルクさんの教えだ。


 それが、今の俺にできる、最速で最大限のことだった。






 そんな決意が、一瞬で吹き飛んだ。


 きっかけは、最上階と下のフロアを繋ぐ階段での察知。

 階段の段差を利用して、最上階の床すれすれの高さで周囲を窺っていた、その時だった。


「――、――っ!」


 何枚もの壁越しのさらに向こう側からくぐもった物音が聞こえたのは、ほんのわずかな間。


 だけど、物音に紛れて聞こえた微かな声は、五感強化が無かったとしても聞き逃すわけがなかった。


「っ――!!」


 息を飲む間も惜しんで、階段から弾けるように飛び出す。

 矢も楯もたまらずにとった無謀な行動は、最上階の通路の奥の方に椅子を持ち込んでたむろしていた四人の男達に、予想通りに発見されてしまった。


「襲撃か!?」 「相手は一人だ、手はず通りにホッドとドルグで足止めしろ!俺が弓で仕留める!」


 おそらく、あれがロナルドさんの言っていた、冒険者崩れのパーティだろう。

 最初に見た瞬間は、四人で固まってカードゲームにでも興じていたはずが、


 椅子を蹴飛ばし、

 壁に立てかけてあったそれぞれの得物を手に取り、

 陣形を整えて、


 あっという間に、俺という襲撃者に対応してきた。


 ――もしここにジョルクさんが居たら、俺の肩を掴んで落ち着くように言ってくれただろう。

 普段の俺なら、その助言をありがたいと思って、素直に聞いていただろう。


 だけど、今の俺は止まれない。止まるわけにはいかない。


「どけえええええええええっ!!」


 自分でもちょっと驚くくらいの声で叫びながら、冒険者崩れ達に向かって駆け出す。


「来たぞ!」 「槍で進路を塞げ!近づかせるな!」


 さっきの動きで予想はついていたものの、一階のならず者たちと違って、油断が微塵も感じられない冒険者崩れの四人。

 しかも、槍を持つ前列の二人の後ろ、弓使いがつがえている矢じりの異様なテカリが、エンシェントノービスの強化された視力に映る。


 あれが毒矢だとしたら、馬鹿正直に喰らうわけにはいかない。

 かといって、いつものように投石で牽制しようとしても、この狭い通路じゃ、あの二本の槍で叩き落とされる可能性が高い。


 なら、仕方がない。

 幸か不幸か、あの四人はジョブの恩恵を今も受けているようだし、投石よりも、痛い思いをしてもらうしかない。


 そう決めて、腰の革ポーチから四つの魔石を取り出す。

 大きさも、内包している魔力量もバラバラだけど、今回に限って言えば関係ない。


 左右の手に二つづつ魔石を持ちながら魔力を込めつつ、前進していた体にその場で急制動をかけた俺は、その反動を利用して四つの魔石を同時に放り投げた。


「んなっ――!?」


 ――ただし、あくまで軌道は低く、冒険者崩れ達の足元へ転がすように。


 そして、


『イグニッション』


 両手のを鳴らしながら、冒険者崩れ達の足元に転がった四つの魔石――炎の魔力を込められて今にも弾けそうな危険物に、さらに着火の魔法を飛ばした。


 ボボボボン!!


「ぎゃっ!?」 「っ!?」 「ぐあっ!!」 「がはっ!!」


 響き渡る破裂音に、舞い上がる白煙と塵芥。

 しかし、爆発の規模は抑えたので、それもすぐに晴れる。


 そして現れたのは、いずれも服のどこかしらを血に染めて、持っていた得物を取り落として倒れる、冒険者崩れの四人。

 それを見た瞬間、煙幕程度の威力のつもりが、火球魔法くらいの代物になってしまったらしいと反省する。


 だけど、それはほんのわずかな間。


 もしかしたら四人の冒険者崩れの中に治癒術士がいて、すぐに治癒を終えて俺を追ってくるかもしれない――そんな危惧を蹴っ飛ばして、うめき声を上げながら通路を塞ぐ四人を飛び越える。


 今はそんなこと、気にしてる場合じゃない!!


 もう、俺の行く手を阻むものは、この最上階には何も無い。

 それでも、周囲の警戒を怠るべきじゃないんだけど、それすらも満足にできている自信がない中、狭い通路を壁にぶつかりそうになりながら駆ける。


 そして、一番奥にあるゴードンの部屋の手前、そこにあったドアノブを掴み、一気に開けた。


「やめてっ!!放して!!」


「へ、へへへ、もう逃がさねえぞ、ターシャ。ずっと前からモノにしてやるって思ってたのによ、あんな腹の出っ張った代官の妾になるなんてな。だったら、一度くらい俺の相手をしても罰は当たらねえだろ?なあ、ターシャ」


「私、そんなつもりなんて……!!」


「うるせえっ!!なけなしの金であいつら買収して、俺にはもう後がねえんだ!!くそっ!!毎日毎日、そのエロい体を見せつけやがって!!せいぜい代官のところに行って恥を掻かねえで済むように、一晩かけて俺が教え込んでやるよ!!」


「いやあっ!!」


 ……これまで、怒りや憤りを感じたことは星の数ほどあったと、そう思い込んでいた。だけど違った。

 本当に怒った時っていうのは、怒りを外に吐き出すんじゃなくて、手足の先が冷たくなるほどに、胸の奥底に溜め込むものなんだ。


 決して大きくはないベッドで両手首を掴まれて押し倒されているターシャさんと、その上に乗っている生き残った方のダンさんの弟子の二人がもみ合う光景を見て、そして、ダンさんの弟子の自分勝手にもほどがある暴論を聞いて――


「テ、テイル君――!?」 「あ――っ」


 そう思った時には、俺の体は史上最低のクソ野郎の後ろに立ち、その首根っこを右手で掴んで、全力で振り回して放り投げた。


 バゴオゥン!!


「ゲエエッ!!」


 後ろの潰れたカエルのような声を無視して、ベッドの上で起き上がったターシャさんを怖がらせないように、ゆっくりとその場で跪く。


「テイル、君?」


「すみません、ターシャさん。助けに来るのが遅れました。どこか痛いところはないですか?」


 こういう時、ただ「大丈夫ですか?」と聞いても、大抵の人はオウム返しに「大丈夫」としか答えないものらしい。

 ターシャさんならなおさら、絶対にやせ我慢するのが目に見えている。

 完全に冒険者学校の受け売りだったけど、果たしてターシャさんは、


「大丈夫、だよ?」


 気丈にも震える声でそう答えて、長袖の上から手首をさすった。

 そのターシャさんの無意識の手つきが、怪我の箇所を言葉以上に物語っていた。


「見せてください」


「あっ」


 ターシャさんの腕を取って袖をまくると、あのクソ野郎に強く掴まれたせいだろう、手首が青あざで覆われていた。


『ファーストエイド』


「んっ」


 ターシャさんの了解も取らずに、初級治癒魔法をかける。

 万が一にも傷になって残ったら、後ろに吹っ飛ばしたクソ野郎を殺しかねないと思ったからだ。


 そう思ったその時、


 チャキ


「テイル君後ろっ!!」


 ――いや、怒りが爆破するシチュエーションが、もう一つあった。


「死ねえええっ!!」


 起き上がったクソ野郎が、懐にでも持っていたらしいナイフを取り出して、俺の背中目がけて襲い掛かってきた。


 もちろん、見るまでもなく音と気配でわかってる。

 たとえ直接肌を斬り裂かなくても、辛うじて保っている俺の理性を失わせるには、そのナイフは切れ味が良すぎた。


「ターシャさんの痛みと恐怖――」


「おらああ――」


「思い知りやがれ!!」


 ターシャさんへの治癒魔法を中断、同時にガントレットをつけた左腕を、確認もせずに後ろへと振り抜いた。


 メキメキメキッ   ドオォン!!


「へぶうわあああああああああっ!?」


 俺のガントレットの裏拳で、再び、いや、それ以上の勢いで吹き飛んだクソ野郎。

 その顛末を確認することよりも――百万倍もターシャさんの方が大事だったので、後ろを振り向くことなく言った。


「ちょっと、ここだと騒がしすぎますね。とりあえず外に出ましょうか」


「え?で、でも……」


「さあ」


「う、うん……うん」


 俺が差し出した手に、一瞬だけ泣き笑いの表情を見せた後、おずおずと手を乗せてきたターシャさん。


「なんだかテイル君、大人の男の人みたいだね」


 それは違いますよ、ターシャさん。


 ターシャさんを助けられて、

 ターシャさんとまた会えて、

 ターシャさんと手を繋げて、


 俺の心臓は、死ぬほどバクバクいってるんですよ。

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