第60話 ジュートノル政庁舎 代官執務室


 政庁舎について、俺が知っていることは少ない。

 俺のような、奴隷同然の身分じゃ一生縁のない場所だって言うこともあるんだけど、そもそも普通の平民だって、関わり合いになることはほとんどない。


 ただ、白のたてがみ亭の客から聞いた話を総合すると、ジュートノル中のギルドから税を集めたり意見や要望を聞いたり、逆に王都から発せられた布告なんかをギルドに伝えたりと、ジュートノルの中心みたいなところらしい。

 政庁舎のトップは、王都からやってきた代官なんだけど、俺にとっては雲の上の存在のお貴族様だということで、実際にこの目で見たことは一度も無い。

 ただ、客の話や、時々ゴードンが漏らす愚痴を聞く限り、今の代官はあまり評判が良くないらしい。

 もっとも、ゴードン自体が悪人なので、あまり信じてはいなかったんだけど、ターシャさんから愛人の話を聞いて以来、俺の中ではゴードン以上の極悪人で通っている。


 まあ、それでも相手はお貴族様。

 仮にターシャさんを助け出すとしても、まさか代官相手に戦うわけにもいかず、せいぜい逃げ出すことくらいしか思いつかなかったんだけど、そんな俺の常識をジオが完膚なきまでにぶっ壊した。


 まさか、正面から堂々と喧嘩を売りに行くなんて。






「なんだ貴様らは!ここがどこかわかってい――ガハッ!?」


 ドサッ


 集団で入ってきた上に、不穏な空気を出しているジオと黒マントの一団を制止しようと近づいてきた、警備兵らしき男。

 そのみぞおちに問答無用で拳を入れて気絶させたのは、ジオにロズと呼ばれていたリーダー格の男だ。


 その様子を見ていた数人が驚いて声を上げそうになったところを、政庁舎内に響き渡るほどのロズの鋭い声が機先を制した。


「一同、静粛に願おう!!我ら、故あってこの庁舎の主である代官に用あって参上した。我らが主との会談が終わるまでのわずかな間、申し訳ないが諸君らにはこの場に残っていただく!!」


 バタン!!


 そのロズの演説を見計らっていた、正面玄関脇に控えていた黒マントの内の二人が、ドアを閉じて封鎖した。

 さらに、遠くの方からも勢いよくドアを閉じる音が聞こえてくる辺り、政庁舎の全てのドアが封鎖されたらしい。


 だけど、政庁舎の封鎖ともなれば、守る側としては黙ってはいられないだろう。


「狼藉を許すな!リーダー格さえ取り押さえればあとは雑魚だ!」


 唯一声を発したロズをそうだと見做したんだろう、それまで動揺していた警備兵達が隊長らしき男の発破で、槍を手に一斉に襲い掛かった。


「……己が職務に忠実であることには敬意を表するが、相手を見るべきだったな――!!」


 そう言ったロズの漆黒のマントが翻った時には、すでに勝敗は決していた。


 戦闘にすらならなかった代わりに聞こえたのは、ロズに襲い掛かった警備兵の数と同じ、空気が爆ぜる六つの音。

 それが鳴り終わる頃には、一様に悶絶した六人の警備兵が、次々とその場に崩れ落ちていった。


「……テイルには、見えた?」


 隣にいるリーナが震える声で聞いてきたので「いいや、全然」と答えると、


「あれは、自分の体の動きを起点として、拳の届かない距離にいる敵に、風魔法の打撃を食らわせたのよ。強力かつ相手を過度に傷つけない繊細な風魔法と、距離感を瞬時に把握する戦闘センスがないと、決して成しえない技。噂には聞いていたけれど、私達は今、とてもすごいものを見ているのよ」


「若、お待たせ致しました。若の通る道を塞いでしまった不手際、事が終わった後に如何様にでもお受けいたします」


「なに、構わないよ。大して遅れるわけでもないし、ここには非公式な立場で来ている。罰を与える謂れもない。じゃあ、行こうか」


「御意」


 リーナを震撼させるような戦闘があったにもかかわらず、ジオとロズの会話は俺達の関係ないところで淡々と進み、移動が再開された。






「く、曲者――がはっ!?」  「下の警備は何を――ぐふっ!?」


 ここと同様、途中何度かあった警備兵の出現も、特にジオの歩みを妨げることもなく黒マント達に排除された

 そして俺達は今、政庁舎の最奥らしい、無数にあった部屋の中でも一際豪華な扉の前に立っていた。


 今ここにいるのは、ジオとセレスさんに、ロズを含めた黒マントが三人。

 他は、新手の邪魔が無いように、要所要所の警戒のために別行動を取っている。

 ――それと、未だに同行者なのか厄介者なのか、役割というか立ち位置が全く見えてこない俺とリーナの、全部で七人。


 ガチャリ


 響いたのはドアのロックを外す音だけで、二人の黒マントが開く時には全くの無音だった。

 さすが豪華な意匠のドアだけはあると、現実逃避気味に感心していると、これまた音もなく部屋の中に入り込んだ二人の黒マントが中の安全を確認した後、「若、どうぞ」と言われたジオが、セレスさんを従えて堂々と部屋に入った。


 ドアの豪華さに見惚れてよそ見をしていた俺を、なぜか手を握りっぱなしのリーナが誘導、ドア同様に意匠を凝らした調度品の数々で彩られた部屋に入った時には、すでに会話は始まっていた。


「貴様らは誰だ!!警備は何をしている!!」


「まあまあ、少し落ち着いたらどうだい、サツスキー子爵。あまり興奮しすぎると体に良くないよ」


 中にいたのは、俺達より先に部屋に入ったジオと、両脇を固めるセレスさんとロズ。

 そして、飴色の光沢がまぶしい大きな机を挟んで座っている、小太りの中年男だった。


 いつもとは違って、ここに至るまでほとんど無駄口を叩いてこなかったジオ。

 それが、こうして会話しているところを見ると、ここが代官の執務室で、ジオと相対しているサツスキー子爵と呼ばれた小太りの男が、この部屋の主ということになる。


「面会の約束もないどころか、私の仕事の邪魔をする無礼者と話すことなどない!帰れ帰れ!」


「ひどいな、子爵。これでも一応、アポイントメントは取ったんだ。それを口実にもならない言い訳で、さんざん面会を引き延ばしてきたのは、そっちじゃないか」


「なんだとっ!?では、まさか貴様が監察局の……!?」


「うん、その通り。――と言いたいところだけれど、実はその肩書は嘘でね。色々と探られたくない腹を持っている子爵が監察官との面会を断ることを見越して、監察局局長のヘラルド伯爵に特別監察官の肩書を貸してもらっただけなんだ」


「バ、バカなっ!?私がどんな貢物を用意しても、決して受け取ろうとしなかったヘラルド伯爵だぞ!!それをどんな手を使えば、貴様のような若造にそこまでの横紙破りを許すというのだ!?……そうか、わかったぞこの偽監察官め!!私の仕事を邪魔した上にヘラルド伯爵の名を騙るとは、貴様のような平民ごとき、一族郎党まとめて死刑にしても飽き足らぬ大罪だぞ!!覚悟はできておろうな!!」


 どうやらまだ自分の置かれた状況を理解していないらしく、まるで鬼の首を取ったかのように、自分勝手な論理に酔いしれながら立ち上がるサツスキー子爵。

 その様子を、少しの間きょとんとした顔で見ていたジオが、大げさにため息をついた。


「……やれやれ、これだけヒントを出してあげればさすがに気づくかと思ったんだけれどな。僕の力を信じないだけならまだしも、言うに事欠いて平民呼ばわりとはね。幼い時分だったとはいえ、こんな愚物に担がれかけていたと思うと、涙が出てくるよ」


「貴様、一体何を……?」


「おいおい、つれないじゃないか、子爵。かつて、兄上達に見向きもされなかったからと言って、僕に縋りついてきたのはどこの誰だろうね?」


「き、貴様。いや、まさか貴方様は――っ!?」


 そこで、サツスキー子爵の言葉が途切れた。

 と言っても、サツスキー子爵自身が急にセリフを止めたわけじゃない。

 止めたのは、サツスキー子爵の口をそっと左手で塞ぎ、いつの間にかに右の手に握ったナイフをその喉元に這わせたセレスさんだった。


「子爵、それ以上は口を慎んでいただこう。ジオ様がなぜ、お忍びという形で卿に会いに来られたのか、その意味に気づかぬほど愚かなわけではないはずだ」


 さっきの立ち上がった時とは正反対。

 ナイフの冷たさが体の熱を奪ったかのように顔を真っ青にしたサツスキー子爵が、首を動かせない中で頷きの代わりに一度、ゆっくりと大きく瞼を閉じた。


「話が通じて何よりだよ、子爵。では、交渉を始めようか」


 そう言って、満足気に頷いたジオ。


 その表情が、いつものジオと全く変わらないことに、逆に背筋が凍る思いがした。

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