第56話 強者去り、恐者来たる


「うわあああ……あ?」 「な、なんだ?」 「オーガ達が退いてくぞ!!」


 人族の武器に攻撃されるのも構わずに、前線を離れていくオーガの群れ。

 命がけの防衛戦を続けていた衛兵達の声を聞くまでもなく、戦いの終わりは明らかだった。


 だけど、決して人族の勝利と言い難い状況だということは、一目見ればすぐにわかる。


 撤退する敵の背を討ってこそ勝ち戦と呼ぶことくらい、俺でも知っている。

 しかし、悠々と戦場を後にするオーガの群れに対して、追撃をかけるべき人族の混成部隊は、誰一人として動いていない。

 それどころか、主力の騎馬部隊はほぼ全滅、歩兵で最も頼りになる冒険者は砦の中、残る衛兵隊はオーガの進行を食い止めるために力を使い果たして、その場に座り込んだり倒れている人も多い。


 もちろん、俺自身も例外じゃない。

 久しぶりに使う武技スキルで、ジェネラルオーガの本気の一撃を正面から迎え撃ち、なんとか相殺することに成功したけど、その代償は小さくなかった。

 腕は痺れて足はガクガク。しかも、踏ん張ったせいで一番ダメージを受けた胴体は、骨が何本か折れている気がする。


 まさに満身創痍。


 だから、退却するオーガの群れに反してこっちにゆっくりと向かってくるジェネラルオーガに、抵抗する体力も気力も、これ以上絞り出せる自信はなかった。


「そう身構えるな。戦いは終わった。少なくとも、我と眷属の方から貴様を害することはない」


 そう言いながら、こっちに近づいてきたジェネラルオーガを改めて間近で見てみると、体格をはるかに超える存在感に圧倒されそうになる。

 正直、体調が万全だったら、すぐにこの場から逃げ出すか、逆に金縛りにあったように動けなくなるか――果たして俺は目の前の化け物に対してどっちの反応をするんだろうと思っていると、


「まあ、そうは言っても、つい先ほどまで殺し合いをしていた間柄だ。ましてや、人族とオーガ族の歴史を鑑みるに、容易に戦意を解けぬのも頷ける」


 ――スキルに全力を費やし、ジェネラルオーガの一撃を受け止めるのに全体力を費やしたと思っているけど、少なくともジェネラルオーガの方からは、どうやら俺はまだまだ戦う気満々に見えているらしい。

 そう指摘されて、自覚のない戦意をどう鎮めたものかと内心焦っていると、「応えずともよい。聞け」と、ジェネラルオーガは一方的に話し出した。


「我はここで退くが、これは決して人族の存続を許すものではない。我が退くのは、貴様を一人の戦士と認めたからだ。我の第三の奥義を避けるでもなく見事受け切った生命力と胆力は、生かすに値する。貴様が守ろうとしたものを見逃すのは、あくまでもついでだ」


 ――いやいや戦士じゃなくてノービスとか、第三の奥義?第一第二は知りたくもないけどとか、生命力はともかく胆力って?とか。

 割とどうでもいい考えばかりが堂々巡りして、やっぱり何も言えなかった俺に、ジェネラルオーガはくるりと背を向けた。

 その、巨体に似合わない身軽な動きを見て、あのまま戦いが続いていたらと思ってぞっとする俺に、毛皮に包まれた大きすぎる背中越しに最後の言葉が来た。


「果たして貴様ら人族が、これより本格的に始まる『大海嘯だいかいしょう』を生き残れるのか、神々の裁きを受けてもなお種を残せるのか、天の檻の外から見届けさせてもらうぞ」


 ズン   ズン   ズン


 そう言って、ゆっくりと戦場を後にするジェネラルオーガの雄姿を、俺は最後まで見届けることができなかった。

 自覚のない緊張が弛んだせいだろうか、晴れ渡っているはずの空が急に暗くなり、気づいた時には前のめりにその場に倒れ込んでいた。


 最後に聞こえたのは、俺の名を連呼するリーナの声と、彼女がこっちに走り寄って来てるらしい急いた足音だった。






「――以上が、僕からの奏上だ。速度は問わないから、しっかりと、そして正確に頼むよ」


「かしこまりました」


「どうせ、この戦いの一部始終は、砦の外に潜んでいた各方面の密偵が、情報を王宮に届け始めている頃だろうけど、『フクロウ』から直接陛下の耳に届くことこそを僕は重視する。そのために、中途半端な立場で潜入してきた君を、今まで見逃してきたんだ。しっかりと役目を果たしてくれたまえ」


「……よろしいのですか?私が言うのもおかしな話ですが、私は『フクロウ』の身の証を立てたわけでもなければ、陛下に正しい報告をするという確証を貴方様に与えたわけでもありません。そんな者を信用すると?」


「謙遜は良くないな。『フクロウ』以外に、この僕が指揮する砦に入り込ませる余地などは与えていない。それに、欺瞞はもっと良くない。今、王国を――人族を襲っている未曾有の危機に際して、この情報を歪曲して陛下に伝えることがどのような悲劇を生むか、一個人が背負うには重すぎる責任を自覚しない者が『フクロウ』の任に就いているなど、それこそあり得ない」


「……わかりませんぞ。人族は、人族が思うよりも愚かなものです」


「そうだね。その度し難い愚かさこそが、良くも悪くも今日の人族を形作り、滅びの道を歩ませようとしているのだから」


「……委細承知いたしました。私の身命と家名を賭して、必ずや陛下に御言葉を伝えまする」






 目覚めると、真っ白な布地――天幕の天井が見えた。


 ジェネラルオーガの撤退する後ろ姿を最後に気を失った俺は、どうやら砦の中の天幕に運び込まれたらしい。


「お、やっと起きたね、テイル。実に三日ぶりの目覚めだ。ああ、くれぐれも静かにね。今はまだ夜半時。夜警を除いて、ほとんどが眠りに就いている刻限なのだから」


 その声がした方を、軋む体に鞭打ちながら見てみると、ジオが一人、俺の顔を見ていた。


「といっても、別に僕が三日間ずっと、テイルの看病をしていたわけじゃあない。騎士団付きの軍医から目覚める兆候有りと知らせを受けてね、すっ飛んできた。看病の礼というのなら、君をここに運び込むところからずっと付き添っていたリーナに言うことだね」


「リーナが?」


 俺の返事も待たずに語り出したジオに、思わずそう言ってしまったけど、一番気になるのはそこじゃない。


 あのジオが、常に側から離れようとしない護衛のセレスさんを差し置いて、俺と二人天幕の中にいるということだ。

 これがリーナと二人きりなら、もうちょっとアレコレと妄想が膨らんだりもするんだろうけど、男同士という点を抜きにしても、ジオの雰囲気はそんな低俗な話に思えない。


「オーガの群れを退けてから、テイルが三日も眠り続けてしまったのは予想外だったけれど、これは事前には話せないことだった。果たしてオーガの脅威を退けられるかという問題もあったし、なにより、条件が整うまでに外に漏れる心配があった。アレックスにすら、実はオーガ族撃退がただの前哨戦であるなどと、口が裂けても言えなったからね」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。いったい、なんの話をしているんだ?予想外?前哨戦?ジオ、お前は何を……!?」


 ジオのわけのわからない言葉の連続に、頭が混乱する。

 だけど、ジオの表情は更なる絶望の到来を悲観しているものじゃなく、むしろ餌を見つけた獣ような、獰猛な目を爛々と輝かせていた。


「ううん、前哨戦という表現がまずかったかな。勘違いさせてしまったのなら謝罪しよう。より正確を期すのなら、オーガ族撃退は前哨戦ではなく、前半戦だ。むしろ、本番――後半戦は、オーガ族撃退を足掛かりにした、殲滅戦ともいえる。要は、楽しい楽しい狩りの時間というわけさ」


「か、狩り……?」


 いつものおちゃらけたボンボンのイメージからは一変、むき出しのジオの一面を見せられている気になった俺が絞り出せたのは、その一言だけ。

 だけど、そんな俺の言葉の意味するところを余すことなく掬い取ったように、ジオは語った。


「魔物ばかりを敵や獲物だと思っているだろうテイルには、縁のない話さ。僕の世界の獲物とは、この世で最も数が多くてありきたりで退屈で愚かで、それでいて最も狩り甲斐のある獲物――僕達と同じ人族のこと」


 ――さあ、狩りを始めよう。


 まるで、今日の御馳走を前にした獣のようにくつくつと笑ったジオは、ある意味でオーガよりもよっぽど恐ろしい生き物なのかもしれないと、この時の俺には見えた。

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