第47話 高すぎた壁


 これは、俺達を残してさっさと天幕から出て行ってしまった、ジオとアレックスさんの会話だ。

 もっとも、俺がこの会話を知ることになるのは、ずっと先の話になるんだけど。


「若、よろしかったのですか?」


「ん、何がだい?」


「それはもちろん、リーナ嬢――リーナ様にあのような態度を取られたことです」


「いいんだよ。リーナとの婚約関係は、僕が出家した時にとっくに切れている。いくら還俗したからって、ハイ元通り、ってわけにはいかないさ」


「しかし、先方は婚約を解消した事実はないと、もっぱらの噂ですぞ」


「噂は所詮、噂だよ。その辺のことは、父上達が決めることだ」


「それはそうですが」


「それに、リーナもああやって冒険者の道を歩んでいるようだし、今更婚約も何もないんじゃないかな」


「若がそう言うのであれば……。しかし惜しい。あれだけの家柄と才気と器量、若に添わせれば、王国も少しは――」


「アレックス、その先は無しだ」


「は、出過ぎた真似を」


「ついでだ。アレックス、もう一つの間違いも正しておこう。態度態度と言うのなら、もう一人、丁重に扱うべき相手がいたはずだ」


「というと、あのテイルという若者ですか?確かに、並の魔導士が十人束になっても敵わぬほどの強力な魔法は見事でしたが、あれは平民では?」


「僕は、生まれのことを言っているつもりはないよ。あの魔法、あの力。僕の勘が正しければ、僕達は『始祖』の再来を目の当たりにしているのかもしれない」






 ジオとアレックスさんが出て行った後。

 リーナと二人きりで天幕に残され、昨日の夜のことを思い出して一瞬だけ気まずくなりかけたけど、幸運にもその時間は長くは続かなかった。


「失礼する!アレックス隊長より、君達二人の案内役を仰せつかった、ナルセルだ」


 勢いよく天幕に入って来るなり、そう自己紹介した騎士に、見覚えがあった。

 というより、俺にとって見覚えのある騎士は、アレックスさんを除いて一人しかいなかっただけなんだけど。


「あなたは……」


「ははは、先ほどはとんだ恥を掻いてしまった。隊長の命令とはいえ、騎士が剣を折るという醜態を晒してしまったのだからな。しかし、君の魔法は見事だったよ、テイル」


 そういう割には快活に笑うナルセルさんは、天幕の入り口を開けながら言った。


「早速で悪いが、護衛役のリーナ嬢と共に来てもらおう。なにしろ、オーガの群れはすぐそこまで迫っているのだからな」






「ところで若、あの者のことを、リーナ様にお伝えしなくてよろしかったのですか?」


「……あ」






「それにしても驚いた。まさか、王都以外にあれほどの土魔法の使い手がいるとは、夢にも思わなかった」


 半歩先を行くナルセルさんの案内で、リーナと一緒に天幕を出て歩き始めたところで、そう指摘されて、初めて自分の無礼に気づかされた。

 今更感が半端じゃないけど、それでもしないよりはと、謝罪の言葉を口にする。


「あ、さっきはすみませんでした。ナルセル、様」


「ふふふ、ははははは!」


「?」


「ああ、失敬。若様と対等に話す者に敬称で呼ばれることが、なんともおかしくてな。つい笑ってしまった」


「やっぱり、まずかったですか?」


「いや、若様がテイルに自由な物言いを許したのであれば、私が口を出すことではないよ。それに本来ならば、テイルのことは若様の御友人として遇さねばならないところだ」


 いや、それはさすがに――と、思っていると、ナルセルさんは爽やかな笑みを浮かべて、話を続けた。


「だが、君は平民だと聞いた。それなら、騎士の私が上位者として遇することで、逆に不便な思いをさせてしまうこともあるだろう。だから、私も他の騎士も、君のことはただのテイルと呼ぶ。その代わりに、私達のことも普通に呼んでくれればいい」


「じゃあ、ナルセルさんで……」


「ああ、短い付き合いになると思うが、よろしくな、テイル」


 そう言って、再び爽やかに笑ったナルセルさんが右手を差し出してきたので、こっちもおずおずと手を出すと、ガッチリを握手された。

 騎士のグローブ越しにもわかる握力と手の大きさに、内心ドキドキしていると、


「あら、それなら私は、どういう風に扱われるのかしら?」


 ちょっとすねたような表情で割り込んできたリーナに、ナルセルさんは困ったような顔をした。


「リーナ様、それは」


「様付けはやめてほしいわね。今の私は一介の冒険者で、平民と変わらないわ。せめて、テイルと同じ扱いでなくちゃ、つじつまが合わないわ」


「勘弁していただきたい。地方駐留の騎士ならともかく、私は王都所属の騎士です。貴方の御実家とも、全く縁が無いわけではないのですよ」


「なら、呼び方だけは許してあげるから、実際の扱いはテイルと同じにしてちょうだい」


「はあ……」


 歩きながらもなんだか難しい話をしている二人に、色々な意味で口を挟む余地がないので黙って付いていっていると、ナルセルさんの腰の剣が気になった。

 なんとなく、さっきよりも豪華な装飾に変わっている気がしたからだ。


「ナルセルさん、その剣は」


「ああ、気づかれたか。そう、これは、さっき私が未熟な腕で折ってしまった剣とは、別のものだ」


「私も気になってはいたけれど、ひょっとしてジオから?」


「はい、リーナ様。あの後、天幕を出たばかりの私の元に、若様の従者が近寄って来て、これを渡されたのです。なんでも、騎士の技を見せてもらった見物料だとか」


「……ジオ様がやりそうなことね。どうせ、テイルの作ったレンガを斬っても斬れなくても、その剣を渡すつもりで、予め用意してたんでしょう」


「あの時は、つい功名心に逸ってしまいましたが、明らかに私程度が持つには過ぎた業物です。これからしばらく、同輩からのやっかみが怖いですね――と、着きました。ここです」


 ナルセルさんの人柄もあってつい聞き入ってしまったせいだろうか、そんな会話を繰り広げている内に、陣地の外周部に到着してしまった。


 そこにいたのは、測量機器らしきもの越しに何もない方向を睨んでは話し合っている様子の数人の騎士に、外周部の地面に魔法をかけて土の壁を作っている、十人くらいの魔導士の集団だった。


「ああやって、大まかな縄張りをした外側の地面の土を魔法で掘り起こして、オーガの侵攻に耐えうる壁にしているのだ。さすがに水を入れるのは間に合わないが、空堀もできるし、一石二鳥の策というわけだ」


「でも、このままだと間に合わないのよね?」


「はい。百体のオーガの侵攻を受け止めるだけの強度と、ジュートノルからやってくる増援を含めた三百人を収容するだけの規模の砦となると、現状の魔導士の数ではどうしても足りないのです。昨日から取り掛からせてこの進捗ですと、現状厳しいとしか……」


 リーナの確認の言葉に、ナルセルさんが重々しく頷く。


 改めて見てみると、土魔法で作ったと思える壁は、陣地全体を四分の一も囲えていない感じだ。

 確かに、今のままだと、オーガの群れがこの陣地まで来た時に砦としての役目を果たさないだろう。


 それなら、少しでも早く始めた方がいい。


「それで、俺はどこの地面を使っていいんですか、ナルセルさん?」


「ああ、そこに縄張りがしているのが分かると思うが」


 そう言ったナルセルさんの指さす先には、一定の間隔で地面に打たれた木の杭をつかって縄を張られた、細長い四角の区画が見えた。


「あそこの土を縄張りの内側に移動させて、壁を築いてくれ。とにかく、テイルに要求するのは、早さと頑丈さだ。多少の誤差は我々の方で修正するから、思う存分に力を使ってほしい」


「わかりました」


 そうナルセルさんに言って、腰のショートソードを抜く。

 思えば、この漆黒の剣を抜くのも、十日ぶりだ。


 ギガンティックシリーズ。


 あの、神様を名乗る存在からもらったこの装備を、あの日から一度も使っていない。

 しばらく大人しくしておいた方がいいと思って狩りにも行っていないから、あの時のようにちゃんと魔法が使えるか、正直不安になる。


 と、その時、黒一色だったショートソードの柄の左端に、小さな紫色の宝石がついているのに気づいた。


 こんなもの最初からついていたかな?と眺めていると、あの時の記憶が自然と揺り起こされるのと一緒に、いつの間にかにショートソードに魔力を注ぎ込んでいた。


『使用者の魔力の限界を観測しました。ギガンティックシリーズ、マジックスタイルに移行します』


「テイル!?」 「これは……!?」


 黒い光と共に、リーナとナルセルさんの驚きの声が響く。

 だけど、そっちに気を取られたら魔法が失敗してしまいそうな気がしたので、集中力を切らさずに、大量の土を操るための力ある言葉を紡ぐ。


「四方の王の一角、南より隆起し大地を揺らせ『ガイア』!!」






 ――結論から言うと、ぶっつけ本番に近い土の魔法は、やっぱり失敗した。


 ただし、威力が弱すぎたとか、暴発したとか、他人に直接迷惑のかかるようなものじゃなかった。

 失敗したのはその「深度」。

 加減の利かなかった土の魔法は、その威力を横に広げるんじゃなくてひたすら縦に突き進み、やり過ぎに気づいた俺が、慎重に大量の土砂を引き抜いて即席の砦の壁を作った結果、高さはジュートノルの鐘楼を優に越え、空堀は底が闇に閉ざされて見えないほど深くなってしまった。


「さすがにこれは……」とだけ言ったナルセルさんの言葉を忖度して、壁の上半分をさらに切り取り、深すぎる空堀に埋め直す作業が終了したのは、その日の日暮れ前のことだった。

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