第46話 虎の尾ならぬリーナの尾


 ガタッ


「そ、そんな、まさか……」


 思わず椅子ごと後ずさるリーナ。


 その気持ちはよくわかる――とは言えない。

 だって、俺自身は、アレックスさんの口から出た衝撃の事実を受け止めきれずに、ただ黙っていることしかできていないんだから。


「……そんな、国難と言えるほどの大災害の真偽を、あなた達の言葉だけで信じろと言うの?」


 ようやくと言った感じでリーナが言葉を絞り出したけど、ジオ達の返答は簡潔で迷いが無かった。


「いくら僕だって、こんな大掛かりな舞台まで用意して、酒場でするような与太話で君達を引っかけようとするほど暇ではないし、悪趣味なつもりはないよ」


「今はまだ、ソルジャーアントの被害を受けた各地の物流が止まっているので、情報が拡散していないが、それも時間の問題だ。本来王都を守護すべき我らが、このような辺境くんだりまで出向いてきていることで、信じてもらうしかあるまい」


 確かに、ジオ一人ならともかく、アレックスさんを始めとした百人の騎士が、こんな何もない土地にいること自体、普通ならあり得ない。

 少なくとも、俺とリーナを騙すためだけに、あれだけの人数と装備が用意されたと思うには、仕掛けが大掛かりすぎる。


「……でも、本当にそれが事実なのだとすれば、まさか、ソルジャーアントは――」


「リーナ、悪いけれど、根拠に乏しい推測はそこまでにしてほしい。本題はそこではないのだから」


 聞かされた話がショック過ぎたのか、うわごとのように呟くリーナを、ジオが止める。


 確かに、騎士団がここにいることで、俺とリーナがアレックスさんの話を信じる根拠にはなっても、陣地を作っている理由にはなっていない。

 ジオの言葉で、本題に入るきっかけを得たアレックスさんが、これまで以上に重々しい雰囲気で、口を開いた。


「……ソルジャーアントの脅威を切り抜けた直後で、このような話は受け入れ難いかもしれんが、よく聞いて欲しい。現在、このジュートノルのはるか北部にある魔物の領域、ガルガラナ山脈から、百体のオーガの群れが南下してきている。すでに、進路上にあった三つの村落は壊滅、住民の安否は絶望的だ」


「ちょ……、ちょっと待ってよ。オ、オーガ?何かの間違いじゃ――」


「順を追って説明した方が良さそうだね。まずは、オーガの強さからがいいだろう」


 またも、動揺するリーナの言葉を遮ったジオが、アレックスさんに視線を送り、続きを促した。


「では、リーナに聞くとしよう。オーガの基本情報と、特徴は?」


「……え?」


「早くしたまえ」


「は、はい!」


 いきなり指名されて驚いたんだろう、あたふたしたリーナはそれでも、一度きちんと椅子に座り直すと、記憶を辿るように語り出した。


「え、ええっと――魔物の中でも、二足歩行や原始的な武器を使うなど、特に身体的特徴が人族に近く、エルフやドワーフと言った亜人族と同じとする説もあるわ。だけれど、亜人族にはあり得ない人族への強烈な敵意と、飛びぬけて強靭な肉体を持っていることから、数ある魔物の中でも特に脅威と見なされている」


「まあ、及第点としておこう。では、一般的なオーガの戦力は?そこのテイルにもわかるように、ソルジャーアントとの比較で説明したまえ」


「……ソルジャーアントは、ジョブの恩恵を受けていない一般人でも、武器の扱いに馴れた衛兵なら一人で対処できると言われているわ。熟練の冒険者なら、条件次第では一人で十匹を相手取れる。対する、オーガは……」


「熟練冒険者三人でオーガ一体。しかもこれは、オーガが単独で行動していた場合の基準だ。そのオーガが百体も群れを成しているとなると、その危険度は万の軍にも匹敵する」


 途中で言い澱んだリーナの代わりに、アレックスさんが後を引き継いで、残酷な現実を告げた。


 それを聞いて、遅きに失した感はあるけど、今更ながらに気づくことがあった。


「ひょっとして、この陣地って――」


「そう、ここは、絶賛南下中のオーガの群れを迎え撃つための、防衛拠点――その予定地というわけさ」


「いくら街壁があるとはいえ、ソルジャーアントに内側から襲われ、復興もまだの今のジュートノルに、オーガの群れを受け止める余裕などは無いからな」


「それでテイルを?無茶よ!テイルはただのノービスなのよ!ジオ、冒険者ですらないテイルに、あなたは……」


 ――リーナの思いのたけを聞かせてもらったのは、つい昨日の夜のことだ。

 あの時の言葉、あの時の重なり合った肌の熱さを忘れるわけがない。


 それでも、言葉に詰まるほどに俺の為に怒ってくれているリーナを見て、頭をガツンと殴られた気分になった。


 そして、そのリーナを見てか、それとも俺がただのノービスだと知ったからか、アレックスさんの表情も強張る。


 だけど、ジオだけは違った。


「悪いけれどリーナ、君の幻想に付き合っている暇はない。さっきもそう言ったはずだ」


「私のどこがっ――」


「つい先日、僕はテイルの力の一端を、この目で見た。やや賭けの部分もあったけれど、今さっきも、僕達に助力するに足る力を見せてくれた。この際、テイルが冒険者かどうかという問題は関係ない。ジュートノルの街と、人と、テイル自身を守る力がテイルにある以上、僕は躊躇うことなく利用する。それだけだ」


 これまでの、どこか浮世離れしていた雰囲気とは違って、聞く者の心を打つようなジオの言葉は、困惑しっぱなしの俺の心を激しく揺さぶった。

 そして、その言葉を直接ぶつけられたリーナは、反論する気配もなく黙り込んだ。


「リーナ、改めて訊いておく。このままここに残ってジュートノル防衛のために力を尽くすか、それとも僕に逆らって一人でジュートノルに帰されるか。好きな方を選ぶといい」


 その時、これまで誰もいなかったはずの天幕の外側に、いつの間にかに何人もの騎士の気配が息を殺して潜んでいることに、初めて気づいた。

 どうやら、こういう展開を予想して、ジオかアレックスさんがあらかじめ指図しておいたらしい。


 そのことを知ってか知らずか、俯いていたリーナが少しの間考え込んだ後に、顔を上げて言った。


「あなたに従うわ、ジオ。でも勘違いしないで。私がここに残るのは、あなたがいざという時にテイルを見殺しにしないか、監視するため。もし、テイルに命の危険が迫ったら、私はテイルを助けるためだけに動く」


「それでいいよ。僕としても、テイルの護衛役を、初対面かつ身分違いの騎士にやらせるのはどうかと思っていたところなんだ。リーナがその役を買って出てくれるのなら、願ったりかなったりさ」


「あなたまさかっ……!!」


 その、いつものジオのふざけた笑みを見た瞬間、何かを理解した様子のリーナが一瞬激高しかけて、すぐに元の冷たさを感じる表情に戻った。


「……いいわ。今はあなたの言う通りに踊ってあげる。でも、この件が片付いた時には、覚えていらっしゃい」


「……ハハハ、それは楽しみだね――ところでアレックス、緊急時の脱出手段について緊急に相談したいのだけれど――」


 ……どうやら、踏んではいけない虎の尾ならぬリーナの尾を、ジオは踏んでしまったらしい。

 冷や汗を額に浮かべながらリーナから視線を逸らしたジオは、わざとらしくアレックスさんの肩を抱きながら天幕から出て行ってしまった。


「……なんだかよくわからないけど、良いのか、リーナ?」


「ふん、少しくらい本気で言わないと、全く反省しないのよ、あいつは」


 フォローになっているかもわからない俺の言葉に、リーナは鼻息荒くそう返してきた。


 それもまた、俺がこれまで知らなかった、感情豊かなリーナの一面だった。

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