第42話 リーナと夜 下


 将来を嘱望される冒険者のリーナと、卒業直前で冒険者学校を退学した俺。

 どこからどう見ても、その後の人生で関わり合うことなんてない二人だ。

 仮に、憧れの存在として俺が気に掛けるならともかく、リーナの方から俺を意識する必要なんて全くない。


 ない、はずだ。


「成績は中の中、特に取り柄もない、コネもない、それどころか冒険者ですらない。そんな俺を、リーナはどうして気遣ってくれるんだ?」


 言った瞬間に後悔した。でも、それと同時に、リーナに何かを期待している俺がいる。

 その何かがなんなのか、考えようとする前に、伏し目がちなリーナの濡れた唇から囁くように声が漏れた。


「……わからない」


「え?」


「わからないの、私自身にもこの気持ちが何なのか」


「いや、だって」


 ――何か理由があったから、あそこまで俺に突っかかってきたんじゃないのか?


 そう言おうか言うまいか、迷っていた俺の心を見透かしたように、リーナが首を振りながら言った。


「私、不真面目な人が嫌いなの」


「ああ、知ってる」


 というより、リーナのマジメぶりを知らない奴は、冒険者学校の同期の中に一人もいないだろう。

 朝は誰よりも早く来て自習、講習中は無駄口一つ叩かず、疑問があれば解決するまで教官を逃がさない。

 身なりや装備もそうだけど、あのマジメぶりを平民ごときが備えていたら、悪い意味で目立ってしょうがないだろう。

 その辺が、リーナの育ちの良さを証明してるようなものなんだけど。

 互いの詮索は極力しないという、冒険者の掟が無ければ、リーナは格好のゴシップになっていただろう。


「お父――父や母からも程々にしなさいと昔から言われてきたし、ルミルやロナード、レオンにさえ呆れられたこともあるわ」


 その冒険者への姿勢が元々あった才能をさらに伸ばしたのか、リーナは同期の中でもトップクラスの成績で卒業した(らしい)。

 ただ、同じ上位成績グループとだったレオン達パーティ仲間は、講習中以外は適当に遊んでいたはずだ。

 こと努力で言えば、リーナは他の追随を許さなかったと断言できる。


「直接言葉にはしてこなかったけれど、みんなの眼が――同じ女のルミル達でさえ言っていたわ。『女のくせにそんなに頑張ってどうする?』って」


「そんなこと――」


 ないと言おうとして、あの頃のリーナのことを思い出してみる。


 同じ女子はもちろん、男子の取り巻きもいて、外から見ている俺には眩しく見えた。

 だけどリーナの言うように、彼女と同じくらい努力していた奴が――彼女と並び立つ存在がいたかと言うと、いくら記憶を辿っても見当たらない。

 実力的にはレオンが対等と言えるんだろうけど、あいつが講習以外で練習していたところを見たことがない。

 むしろ、努力家のリーナとは対極と言っていい。


 ――そうか、リーナは独りだったんだ。


 そう思って悲しさが込み上げてきた俺の心とは裏腹に、ほんの少しだけど、リーナは微笑んで見せた。


「でも、それは私の思い違いだった。そう気づかせてくれたのはテイル、あなたよ」


「俺?」


「ある日、家の事情でいつもより遅く学校に来た私の眼に入ったのは、テイルの姿だった。その時、初めて気づいたの。私の次に早く来てたのは、いつもテイルだったって」


 確かに、朝の仕事を終わらせて冒険者学校に行く俺は、同期の中じゃいつもリーナの次の二番目の早さだった。

 でも、いつも見るリーナの姿は一心不乱に勉強している姿ばかりで、俺のことなんて眼中に無いと気づいた。

 いつからかリーナのことは視界の端に留めるだけで、彼女の方から俺を意識しているなんて思いもしなかった。


「それから、テイルのことを見るようになって、正直驚いたわ。テイルったら、教官から教えられたことを、奇を衒うこともせずに忠実に再現してるんだもの。多分だけれど、あれ、スキルや魔法の発動速度を度外視して、確実に成功させることを優先してたのよね?」


「……うん」


 正直、リーナが思っていた以上に俺を見ていたことに驚いた。


 冒険者たるもの、基本こそを頼りに。

 教官達から手を変え品を変え教えられる大原則なんだけど、実際に身につけるとなると話は別だ。

 ましてや、未成年だらけの冒険者学校となると、どうしてもスキルや魔法の派手さや速さにばっかり目が行きがちになって、基本がおろそかになりやすい。

 だけど、初めから冒険者になるつもりのなかった俺は、退学後は本当に一人。教えてくれる人も、失敗した時に助けてくれる人も、誰もいない。

 だから、教官から教わるスキルや魔法は、その場その場できっちりとマスターしておくべき、切実な理由があった。

 それをつまらないとか言われる覚悟はあったけど、まさかあの時、俺の真意をリーナに見抜かれていたとは、夢にも思わなかった。


「あの時のテイルの眼を、多分私は一生忘れない。私と同じくらいに、もしかしたら私以上に真剣に生きてる人がいたんだ、って。それが分かっただけで、私の心は軽くなった。だけれどその分、テイルが卒業間近で退学したって聞かされた時、失望もした」


「リーナ」


「ううん、わかってる。それもまた、私の勝手な思い込みだったんだって。冒険者にはならなかったけれど、テイルはやっぱりテイルだった。冒険者学校で学んだことをちゃんと覚えていて、レオンにも負けないくらい勇敢で……」


「ただ、必死だっただけだよ」


 真剣?そんな格好いいものじゃない。

 奴隷同然の自分に嫌気が差して、客に聞いた話からヒントを得て、自由な冒険者になれなくてもその手前のノービスになれば少しは先が見えるかなと思って、無理をして借金をして、冒険者学校で教わることを僅かでもこぼすものかと無我夢中だっただけだ。


「でも、そんなテイルを、私は見捨ててしまった……」


「リーナ……?」


 その言葉を繰り返したリーナの眼から、つうっと、一筋の涙が零れ落ちた。


「私の努力の全てが、あの時全部壊れる思いをしたわ。これまで大した努力もしていないと心のどこかで軽蔑していたみんなと――いえ、みんな以上に、私は冒険者失格だった。ギルドの人達は賢明な判断だって言ってくれたけれど、そう言われるたびに心臓にナイフを突き立てられる思いだった。なにより、そう言われて反論できない愚かで無力な自分に、何よりも失望した」


 そんなことはない、とは、簡単には言えない。

 俺とは似て非なる絶望を味わったリーナだからこそ、許しも断罪も俺からは口にできない。

 もし、かける言葉があるとすれば、それは――


「気にするなよ」


「テイル?」


「確かに、あの時の俺は見捨てられた気持ちだったし、リーナがそう思ったのも確かなんだろう。でも、俺は今こうして生きてる。そして、リーナも生きてる。だったら、今までの自分が嘘だったなんてことにはならないはずだろ。大事なのはこれから、どうやって嘘じゃなかったことを証明していくかだ。そう思えば、迷ったり立ち止まってる暇なんか、これっぽっちもない。そうだろ」


 ――自分の言葉ながら、恥ずかしいことを言ってしまった。

 できればリーナから目を逸らして退散したいところだけど、ここは俺の部屋だし、言ったのも俺だ。


 半分諦めの境地でリーナのことを見つめていると、しばらく呆然とした様子だった彼女の表情が、ふっと憑き物が落ちたように緩んだ。


「……そうね、色々と迷ってばかりの私だけれど、確かに私も、テイルも、生きてる。私が私に冒険者としての評価を下すのは、この先でも遅くはないかもね。それから――」


 もうひとつ。


 そう言ったリーナの突然の行動に、とっさに反応できなかった。


「テイル、生きていてくれてありがとう」


 背中に両の手を回され、たわわな胸を押し付けられ、密着した頬の熱と耳元でささやかれた言葉は、鮮明に覚えている。


 だけど、リーナの香りと体温が俺の体から消えるまで、彼女がいつ部屋を出て行ったのか、気づくことはできなかった。






 翌朝。


 寝不足な目を擦りながら危なっかしくも屋根裏から一階まで降り、どこかで鳴いている小鳥のさえずりを聞きながら(これが世に言う朝チュン……違うか)、井戸で顔を洗おうと外に出ると、


「やあ、テイル!!早速出発するとしようか!!」


 この辺では滅多に見かけない上等な服に身を包んだ同年代の男――ジオが、大型の馬車を背景に仁王立ちで立っていた。

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