第40話 真 リーナ襲来 


 一年前、冒険者学校を退学した俺は、ノービスの能力を生かして近くの森で狩りを始めた。

 その時に狩りの基本を色々と教えてくれたのが、監視役の冒険者のジョルクさんなわけだけど、その一つにこんなのがあった。


「テイル、日記をつけろ」


「日記ですか?」


「そう嫌そうな顔をするな。幸い、このジュートノルはそれなりに商業が発展していることもあって、紙の値段も大したことはない。筆記用具程度なら、お前の稼ぎの内から出せるはずだ」


「それはまあ、そうですけど」


「まあ聞け。日記をつけるのは、狩りの効率を少しでも早く上げるためだ」


「日記をつけるだけで上がるんですか?」


「ただ書くんじゃない。その日のことを克明に書くことで、経験をしっかりと記憶するんだ。失敗を刻みこめば次に生かせるし、成功を刻みこめばより効率を求めるきっかけになる」


 そのジョルクさんの勧めがきっかけで、毎日寝る前に日記をつけることになったわけだ。


 しかし、夜に日記となると、月明かりだけじゃちょっと心許ない。

 なので、日記を書くためだけにランプを買う羽目になり、思った以上の出費を強いられたのは、今でも記憶に新しい。もちろん、そのことも日記にも書いてある。


 だけど今日は、あることを日記に残そうか迷っていた。


 もちろん、リーナのことだ。


 冒険者学校の元同期で、当時からトップクラスの優等生で、今ではどんな危機でも勇敢に立ち向かう、将来有望な冒険者。

 正直、俺には眩しすぎる存在だ。


 そんな、冒険者学校を卒業前日に退学した後は、会うこともないだろうと思っていたリーナとの縁が、再び繋がり始めている。


 ……いや、どっちかと言うと、リーナが一方的に押しかけてきてるだけなんだけど。

 それでも、そのリーナの手をきっぱりと振り払わない以上、俺の中にそうしたくない思いがあるのかもしれない。


 しかも、今リーナは、俺が働く白のたてがみ亭別館に、客として泊まっている。


 ウチの客層は旅商人とか真面目な人がほとんどだし、女一人で泊まっても特に問題はない。

 そんなわけで、実質この別館を仕切っているダンさんがリーナを泊めると決めてしまった。

 もちろん、そこに俺の個人的な感情で口は出せないし、出すつもりもない。


 だけど、あのリーナが同じ一つ屋根の下にいるというだけで、なんだか落ち着かない。


 日記に書くことで、そんな葛藤を整理するべきなのか、それとも書かずに放置するべきなのか。

 ランプの明かり一つが頼りの屋根裏部屋で、独りそんなくだらないことで悩んでいる、そんな時だった。


 コンコン


 その、外から聞こえたノックの音に、椅子から立ち上がってドアノブに手をかけ、扉の向こうを見るまで、特に何も考えてはいなかった。

 あまり無いことだけど、明日のメニューや仕入れを変更する時にダンさんが夜に来ることも何度かあったので、今日もそうだと、無意識に思ったんだろう。


 思い込んでしまったんだろう。


「こんばんは、テイル。ちょっと今、いいかしら」


 普段着と言うには少しばかり以上に薄着のリーナが、俺の目の前に立っていた。


「は?……え?ちょっ!?」


 真っ先に思い浮かんだのは、宿屋の従業員が客に対して守るべき最低限のルール。

 どんなに魅力的な異性だろうが決して懸想してはいけないのはもちろん、夜這いをかけるなんてもってのほか。

 だけど、逆に客が従業員の部屋に来た場合はどうなんだろうか?

 考えもしてなかった事態に、頭が追い付かない。


「どうしたの、テイル。なんだか顔が赤いようだけれど?」


 次に意識を支配したのは、寝間着同然のリーナの格好だ。

 一応薄い上着を羽織ってはいるけど、どう見ても外どころか宿屋の中でさえ動き回っていい服装じゃない。

 特に、半ば以上にむき出しの足と腕は、ランプの弱い明かりの中だからこそ、蠱惑的に俺を刺激してくる。


「ねえ、ひょっとして熱でもあるの?」


 そしてなにより。

 これまでも、何度も無遠慮に話しかけてきたリーナだけど、今夜はさらに距離を詰めてくる。

 これまでのいざこざさえなければ、男女の仲だと勘違いしてしまいそうなほどに。


 だけど、そんなのはただの妄想なんだろう。


「だとしても、どうしても今日、言っておきたいことがあるの。時間は取らせないから、話を聞いてはくれないかしら」


 そう言うリーナの眼が、切ないほどに真剣だった。


 ――いったいなにを、どうして思い詰めているのか。


 それを知るには、話を聞くしかない。


「いいよ。入ってくれ」


「あ、うん、お邪魔します」


 そう言ってリーナを部屋の中に招き入れながら、今更無駄な足掻きだと思いつつも、目撃者は誰もいないか一通り警戒してから、そっとドアを閉めた。


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