第38話 ターシャさんの一生のお願い


 翌日。


 またも少なかった宿泊客の最後の一人を送り出した後、客室の清掃に追われる俺の元に、普段は料理の仕込みに専念しているはずのダンさんが珍しくもやってきた。


「テイル、客だ」


「客ですか?もしかして、またジョルクさんが?」


「いや、違う。薪小屋に待たせているから、とにかく行け」


「は、はい」


 別館の表じゃなくて、なんで薪小屋?

 そう疑問に思ったのを見透かされたんだろう、ダンさんが俺に詰め寄った。


「いいから早く行け。それと、絶対に他の奴には喋るなよ」


「は、はいぃ」


 なぜかは全く分からないけど、とにかくすごい迫力のダンさんに押される形で、一目散に別館裏にある薪小屋に向かった。






「あ、テイル君。えへへ、久しぶり――ってほどでもないか」


「は?……えへ?」


「ふふ、思った通りのリアクションだね。ダンさんに内緒にしてもらって正解だった。こんなに面白いテイル君の顔が見られて、ちょっとスカッとしちゃった」


 面白いかどうかはともかく、今の俺はすごく変な顔をしてるんだろう。

 そして、俺にそんな顔をさせられる相手は、一人だけだ。


 今は本館の看板娘として忙しい毎日を送っているはずの、ターシャさんがそこにいた。


「タ、ターシャさ」


「しっ。テイル君を驚かせたかったのは本当だけど、他の人に見つかりたくないのも本当なの。静かにして」


 思わず叫ぼうとしたところに、ターシャさんの手が俺の口をふさぐ。

 手首につけてあるんだろう、香水と汗が入り混じった匂いが俺の鼻を刺激して、つい五感強化を使ってしまった。


「~~~~~~~っ!?!?」


「あ、ごめん、今すぐどけるね。もう大声は出さないよね?」


 思いっきりターシャさんの香りを嗅いで悶絶する俺を見て、何か勘違いしたターシャさんが急いで俺の口から手をどけた。


「ターシャさん、どうして――」


 あまりに良い匂い過ぎて、無意識のうちに漏れた俺の声を誤解したんだろう、一瞬だけきょとんとしたターシャさんは、自分の姿を見てからスカートを軽く持ち上げた。


「ああ、これ?だって、あのキラキラした格好じゃ動きにくいし、外に出た途端に目立っちゃうから、昔の服を引っ張り出したの。やっぱり地味かな?」


「いや!そんなことないです!ターシャさんはどんな服でも素敵だと思いますっ!!」


「ふーん、前に見たキラキラした格好も、テイル君は好きなんだ?」


「い、いや、好きというかなんというか、どっちのターシャさんもターシャさんなので、どっちも素敵というか、でも、やっぱり見慣れた姿の方が安心できたりしないでもないというか……」


「ぷくっ、あはははははは!」


「タ、ターシャさん?」


「あははははは、ごめんごめん。うん、私も、この服の方が落ち着く。テイル君にもそう思ってもらって、うれしい」


「あ、あの……」


 いつもの明るい感じでもなく、あの時の美しい感じでもなく、柔らかく笑うターシャさんから目が離せない。

 もうどんな表情、そして顔色をしているのか分からない俺を見て、しばらく笑っていたターシャさん。

 その顔がふいに、わずかに暗く沈んだ。


「今日はね、旦那様が外に出られている隙を見て、買い物と嘘をついて抜け出してきたの。こんなチャンス、あと何度あるか分からないから」


「ターシャさん?」


「なんか私、近い内にお妾さんにさせられるみたい」


「っ……!!」


「この間のことで旦那様、お客様やその遺族から、多額の賠償金を請求されてるんだって。旦那様は必死に隠してるけど、お客様が私に漏らす話まで止めるわけにはいかないから、自然と耳に入っちゃった。なんでも、この街の代官様に差し出して、裁判にならないように便宜を図ってもらうみたい」


「……」


 言葉は、一つも出ない。

 なにより、ターシャさんが望んでいるのは、俺が何も言わずに話を聞くことのような気がしてならない。

 その証拠に、ターシャさんは俺の相槌一つ待つことなく、淡々と話を続ける。


「すごいよね、ただの街娘だった私が、代官様の愛妾になるんだって。そうなれば、一生働かずに贅沢し放題の幸せな生活が送れるんだって、旦那様が言ってた」


 そう言ったターシャさんが、自分の姿を見る。


 自分の服を見る。


「別にわたし、そんなこと望んでないんだけどな。普通に朝起きて、普通に働けて、普通にテイル君やダンさんとお喋り出来て、普通にご飯が食べられて、普通にベッドで眠れたら、ただそれだけでよかったんだけどな。どこで間違っちゃったんだろうね、テイル君」


「俺は……」


「あ……」


「ターシャさんが、ターシャさんがどうしてもって言うなら、俺が――」


「……ごめん、今のなし。お願いだから、忘れてくれないかな」


「でもっ……!!」


「一生のお願い。でないと私、もう立っていられない」


「っ……!?」


「ここには、ほんのちょっとだけでもテイル君の顔が見られたらいいな、それで話せたらいいな、そう思って来ただけ。だからお願い、ね?」


「……わかり、ました」


 これしか言えない。


 俺を説得する間、俺の目に映っていたターシャさんの姿を、表情を、目を、少しでも明るいものに変えるには、これしか言葉が見つからなかった。


「うん、ありがと。じゃあ、そろそろ行くね」


 じゃあね。


 そう言って、ターシャさんは一人、薪小屋から出て行った。

 その顔がどんなだったか、見ることができなかった。






 事情を察したダンさんなら、しっかり働きさえすれば、多少暗い気分を持ち込んでも文句を言ったり説明を求めたりはしないだろうと思って、別館に戻った。


 だけど、さすがにこういうことなら、ダンさんも声をかけずにはいられない。


「おいテイル、客だぞ」


 人付き合いなんてほとんどない俺に、一日に二度の客。

 さすがにうんざりした様子で厨房に引っ込んでいくダンさん。

 そのダンさんと入れ替わるように別館の表に入ってきたのは、確かに俺の顔見知りだった。


「テイル!!本当に生きてたのねっ!!」


 二人目の、しかもターシャさんとほとんど年の変わらない異性の客。


 かつては冒険者学校で共に机を並べたこともある元同期、今は新進気鋭の冒険者、リーナだった。


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