戦力と権力

第37話 戻ってきた日常


 十日間。


 それだけの時間があれば、ソルジャーアントの大軍襲来の傷跡を、ジュートノルの街並みからある程度は消し去ることも難しくはなかったようだ。


「テイル!」


「今行きます!」


 そう答えて、荷物を両手に抱えて歩きながら、大通りの様子を横目に見る。


 ソルジャーアントの大軍が残した傷跡は、大通りからはほぼ消えている。

 瓦礫を撤去し、壊れた箇所は取り換え、掃除も行き届いて、戦いの痕跡を見つけるのも一苦労だ。


 だけど、大通りから道を一つ外れただけで、景色は一変する。


 抉れた壁、砕け散って片隅に転がったままのレンガ、崩されて使い物にならない井戸。

 人が住める状態にない建物も、まだまだ少なくない。

 俺が今歩いている裏路地には、そんな惨状が手つかずのまま残っている。


 一割。


 ソルジャーアントの手にかかって死んだ、ジュートノルの住人の犠牲者の割合だそうだ。

 決して仲が良かったとは言えないけど、人付き合いの少なかった俺ですら知り合いが死んでいる。

 今は、遺体の埋葬と街の復興の忙しさで大勢が動いているように見えているけど、それが一段落した時に街が元の活気を取り戻すのか、不安に思ってる人は少なくないはずだ。


 そんなことを考えている俺が今何をしてるかというと、


「テイル!ぼさっとするな!仕込みの時間は待ってはくれんぞ!」


「はい!」


 街からも借金からも逃げ出すことなく、相も変わらず白のたてがみ亭で、ダンさんの雑用を続けていた。






「ごっそさん。今日の朝飯も旨かったぜ」


「まいど、また来てくださいね」


 今日の最後の宿泊客が出て一息つく――余裕も無いままに、今夜の客を迎えるための仕事に移る。


 後片付け、清掃、ベッドメイク、消耗品の買い足し、その他の諸々の雑用。


 これまでは、俺以外にも二、三人の接客兼雑用係がいたけど、今は俺一人だ。

 もちろん、一日ではとても終わらない仕事量になってしまうので、今は別館の半分の部屋を閉鎖して、なんとか俺とダンさんの二人で回している。

 それと言うのも、


「人手を募集してから三日、一人も来ないな」


「そりゃあ、あんな噂が出回ってしまうと。別に、別館には何の関係もないんですけどね」


「だが、その影響で新しい従業員が雇えないのは事実だ。もっとも、同時に客も減っているから俺とお前の二人だけで何とか回せているのは、皮肉としか言えんがな」


「ははは」


 朝の仕事終わりと、今夜の宿泊客を迎える準備のわずかな合間に、厨房にてお茶休憩を兼ねた食事。

 そこでダンさんと世間話をするのが、新しい日課兼息抜きになっていた。


「だが、街の連中の言い分ももっともだ。ましてや、相手は魔物だからな」


 例え決して分かり合えない魔物の襲撃でも、人々のやりきれない怒りや恨みの矛先は、同じ人族に向くものらしい。


 ジェネラルアントが倒されて、街に侵入していたソルジャーアントが残らず駆逐され、避難所にいた人たちが家に戻って落ち着き始めたころ、街の人の関心はある一点に移った。


 つまり、「なぜジュートノルの内部に魔物が入り込むことになったのか」、だ。


 その噂が回り回って、俺やダンさんに影響を与えているらしいんだけど――


 カランコロン


「お客さん、まだチェックインは――」


 勘違いか早とちりか、まだ開けてない別館に入り込んできた客を断ろうと、厨房から表に出る。

 だけど、どう見てもウチの客層には合わない、それでいて見覚えのあるシルエットを、日の光が差し込む玄関を背景に見た時に、勘違いしたのは俺の方だと気づいた。


「邪魔するぞ」


 入ってきたのは、商業ギルドの前で別れて以来、十日ぶりに会うジョルクさんだった。






「どうぞ」


「すまんな、客でもないのに賄いを出してもらって。なにしろあの日からこっち、ソルジャーアントの掃討を含めた後始末に追われて、まともな食事にありつけてなかったんでな。にしても、旨いな」


「いえ、それはいいんですけど」


「……食べながらだが、用件に入るとするか」


 そう言ったジョルクさんは、テーブルの向かいに座ったまま、ダンさんが作った、賄いの野菜のスープとパンを本当に旨そうに口に含みながら、話を始めた。


「まず、ジオからの伝言だ。概ね、お前に約束した通りに、例の魔法の件は隠蔽できたらしい」


「そうですか」


「どうやら、肝心なところを見た部外者は一人もいなかったようだ。実際にお前の姿を目撃した人間は数人いるが、一応俺の手伝いという設定で押し切る。誰かに聞かれたらそういうことにしておけ」


「……わかりました」


「……ホッとしてるわけじゃなさそうだな。かといって、ジオの隠ぺいに感謝してるわけでもない」


 俺の興味なさげな態度に気づいたジョルクさんが、思わせぶりにそう言ってきた。


「そうですね。どっちでもないのは確かです」


 強いて言うなら、どっちでもいいというのが、一番本音に近い。

 

 あの時のことがバレなくてよかったと思うと同時に、別にバレても良かった――そんなつもりで、この十日間を過ごしてきた。

 結局、俺の境遇は特に変わってはいないんだから、当然のことだ。


「まあいい。ジオも、隠蔽は自分の都合でやったことくらいにしか思ってはいないだろう。奴のことだ、借りを返す時はもっとわかりやすい形で返すだろうからな。もちろん、お前に命を助けられた俺も含めてだ」


「そんな、借りだなんて」


「まあ、楽しみに待っていろ。街から逃げるのは、奴がお前に借りを返してからでも遅くは無いと思うぞ」


「でも、俺は……」


「馳走になった。料理人に旨かったと伝えてくれ」


 そう言いかける俺に、いつの間にかに賄いを食べ終えていたジョルクさんが、椅子から立ち上がりながら言った。


「これは経験を基にした俺の推測だが、奴の仕事に抜かりはない。おそらく、お前の弱点も含めて、お前が満足する形で借りを返すはずだ。期待しろとは言わんが、頭の片隅にでも入れておけ」


 そう言い残したジョルクさんは、返事に困る俺を待つことなく出て行った。


 俺がゆっくりと顔を上げた時にはすでに姿はなく、代わりに賄いの代金と思える一枚の銀貨が、テーブルの上で光っていた。

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