第32話 ターシャさんの傷


 ガシャン


「おいっ!床が傷つくではないか!」


 さっきまで情けなく後ろに隠れていたのに、ソルジャーアントがすべて倒されて元気を取り戻したのか、ターシャさんが燭台を取り落とした音を聞いて怒り出す、ゴードン。

 普段は耳障りなその声は、俺はもちろんのこと、ターシャさんにも届いていないらしい。


「テイル、君?」


「はい」


「本当にテイル君?」


「はい」


「死んだって聞かされてたけど?」


「それは……まあ、誤報ってやつですよ」


「幽霊とか、アンデッドとかじゃなくて?」


「そんなに顔色悪そうに見えます?」


「触って確かめてみてもいい?」


「え……?ま、まあ、はい」


 カツカツカツ   ペタペタ


 そう言った途端、まっすぐにこっちに歩いてくるなり俺の顔を全くの遠慮なしに触りまくってきたターシャさん。

 その姿は、控えめながらも要所要所にアクセサリーをちりばめ、一着で俺の借金なんて軽く吹き飛びそうな豪華なドレスに身を包んでいる。

 会えなくなってからたった一年で、人ってこんなにも変わることができるのかと思うほど、ターシャさんの美しさは輝きを増していた。


 ――いや、一つだけ違う。


 俺の顔を撫でまわしている間も決して逸らそうとしない、まっすぐな視線。

 その瞳に宿る、純粋でどこかイタズラ好きな子供のようなどんな宝石にも負けない輝きは、あの頃と全くの同じだった。


「……うん」


「ターシャさん?」


「やっぱりテイル君だ」


「だからそう言ってるじゃ……え?」


 ようやく満足したのか、両手を俺の顔から離したターシャさんがにっこりと笑い――その両の瞳から一筋の涙を流した。


「あっ!わわっ、タ、ターシャさん、あのっ!」


 まずいまずいまずい!

 なんか脈絡がなさすぎてなんでこんなことになってるのか、ていうかなんで自分が慌ててんのかもわからないけど、とりあえずハンカチハンカチ――って持ってねえよ!


 と、サーベルをうっちゃって、持ってるはずもないハンカチを探して体中をまさぐる俺の右手を、ターシャさんの白い両手がそっと包み込んだ。


「あはは、驚かせちゃってごめんね。別に悲しいとか苦しいとか、そんなことは全然ないから」


「ケガとかもないですか?」


「ないない!ほら見て、ケガなんてどこにもしてないでしょ?」


 そう言いながら、ドレス姿でその場でくるりと回ってみせたターシャさん。

 その笑顔が、少しだけ曇った。


「ゴメン、ちょっとだけウソついた。ホントはちょっとだけケガしてる」


「えっ!?どこですか!すぐに治癒魔法を――」


「ここ」


 そう言ったターシャさんが手をやったのは、ケガどころか血の跡一つもない、胸のあたりだった。


「一年前にお別れも言えずに会えなくなって、久しぶりに耳にしたテイル君の噂が死んだってことだった時の、私の心についた傷」


「それは……」


「謝らないでね。これは私が自分で治すしかない傷だし、テイル君の顔を見ただけで、ほとんど治っちゃったようなものだから。えへへ」


 そうはにかむように笑って、まっすぐに俺を見てきたターシャさん。


「一年ぶりだねテイル君。こんなに背を伸ばしちゃって。さっき久しぶりに見た瞬間、もう昔みたいに簡単に呼び捨てにできなくなっちゃってたよ。男の子になったんだね」


「ターシャさんも、すごく綺麗になりました。俺の方こそ、気軽に声をかけちゃいけないと思うくらいに」


「やめてよ、そんなお世辞。私の中身なんて、全然変わってないんだから。それに、冗談でも『気軽に声をかけちゃいけない』なんて言わないで。お願いだから、テイル君はテイル君のままでいて」


「……はい」


 絶望の淵から生還したって、もはやノービスかどうかも疑わしい巨大な力を手に入れたって、俺とターシャさんが置かれた立場は変わらない。

 ひょっとしたら、これが今生の別れになってもおかしくない。


 それでも、このターシャさんの「お願い」に、たとえこの場限りだったとしても、小石ほどの嘘偽りもなく誠実に答えることが、今の俺の精一杯だった。






「あー、感動の再会のところ邪魔して悪いんだが、そろそろいいか?」


「わっ!」 「きゃっ!!」


 突然かけられた声に驚いて振り返ると、いつの間にかに追い付いていたらしいジョルクさんが、壊れた扉の近くで目を逸らしながら立っていた。


「な、なんだ貴様は!!」


「白のたてがみ亭の主、ゴードン殿ですね?俺は冒険者のジョルク。そこのテイルに協力して、皆さんを助けに来ました」


 どうやらすっかりいつもの調子を取り戻したらしいゴードンに、ジョルクさんが慇懃無礼に答えた。

 その時、一瞬だけ、ゴードンと目が合った。


 ……ターシャさんとの会話中に口を挟んでこなかったから少しは俺を気遣ってくれたのかと思ったけど、あの憎しみの籠った目を見る限り、ただターシャさんに遠慮をしていただけみたいだ。


「助けだと?そんなものはいらん!とっとと私の部屋から出て行け!」


「そうも言ってられんでしょう。一応、俺とテイルで、今この本館に入り込んでたソルジャーアントは始末しましたが、いつまた侵入してくるかわからない状況だ。生き残っている客の皆さんは、俺が一階の玄関ホールまで誘導しました。後はアンタたちだけだ。さあ、避難を」


「客を誘導?何を勝手なことを!冒険者だか何だか知らんが、私の白のたてがみ亭は下賤な者達が集まっている避難所よりはよほど安全だ!これ以上うだうだ言うようなら、ギルドに抗議するぞ!」


「……やれやれ、じゃあちょっと言い方を変えましょうか」


 そう言ったジョルクさんは、つかつかとゴードンのすぐそばまで歩み寄ると、耳元に手をやって何事かを囁いた。

 初めは、近くで見ると迫力のあるジョルクさんの顔を不快そうにしながら聞いていたゴードンだったけど、不意にその顔から血の気が引いた。


「まさかっ!そんなことは……!?」


「実際に被害が出てることを考えると、早く動くに越したことはないでしょう」


「くっ……ターシャ、テイル、行くぞ!さっさとここを離れるのだっ!」


 どうやら、今度は別の意味で頭に血が上っているらしく、ソルジャーアントの存在を忘れたかのように、自分の執務室を出て行ったゴードン。


「あ、旦那様!」


「じゃあ、俺達も行きましょうか、ターシャさん」


「う、うん」


 一人で行ってしまったゴードンを見ておろおろするターシャさんに、そう声をかけてエスコートしつつ、警戒のために先行していたジョルクさんに追い付いた。






 これは、ターシャさんとゴードンを護衛しながら、他の生存者が待つ一階の玄関ホールに無事に辿り着いた後、少しの間だけ彼らから離れ、ジョルクさんとちょっとした野暮用を片づけに行った時の会話だ。


「ところでジョルクさん」


「なんだ」


「さっき、ゴード――旦那様に何を言ったんです?」


「俺の前でいらん配慮はするな。特に、尊敬心の欠片もない相手を『旦那様』と呼ぶようなことをな――なあに、一つの事実と、誰にでもわかりそうな推測を吹き込んだだけだ」


「どんな?」


「このままここにいたんじゃ、客の死の原因を好き勝手に噂されて、全ての責任を取らされるぞ、とな」


「……なるほど、相手は上流階級ですからね」


「ああ。特にああいうところは、真実よりも噂の方が力を持つことも多いからな。特に、この巣穴という決定的な物証が、噂に尾ひれをつけまくるだろう。その結果、死よりもつらい責任の取り方が待っていたとしても、俺は驚かん」


「それにしても……」


 そこで言葉を切る――というより、切らざるを得ない。

 白のたてがみ亭本館を襲ったソルジャーアント。

 その侵入口が、一階食堂の奥、厨房の一角に黒々と開いていた。


 惨劇の影響だろうか、厨房の一角に今もくすぶり続ける真っ黒に焼けこげた跡があり、そこに数匹のソルジャーアントの死骸が転がっている。多分、あれが立ち上っていた煙の発生源だろう。

 そして、その近くで血だまりの中で倒れ伏している数人の作業着姿の男達と、見知った顔の男が一人。



「おそらくは、ここに地下貯蔵庫でも作ろうとしてたんだろう。作業着の奴らは、仕事を請け負った大工達だな。そこの男は――」


「本館の従業員です。間違いありません」


 この大通りに着いた時、ダンさんの弟子が一人しかいなかったことで薄々察してはいたけど、まさかこんなところにいたとは……

 多分、工事によって巣穴が開通した直後に襲われたんだろう。逃げる間なんてなかっただろうから、運が悪かったとしか言いようがない。


「……今こんなことをいうのは不謹慎かもしれんが、テイル、身の振り方を真剣に考えておけ。下手をすれば、あのゴードンという男の借金のカタとして、本物の奴隷として売り払われることもあり得るぞ」


「それは……」


 本当に今話すことじゃない、と言おうとしたけど、ジョルクさんの真剣なまなざしを見てやめた。


「相談ならいつでも乗る。困ったことがあったら遠慮せずに来い」


「……はい」






 そんな会話の後、ソルジャーアントの巣穴をクレイワークで手早く塞ぎ、最低限の始末を終えた後で玄関ホールの面々と合流。避難所まで付き添おうと外に出た、その時だった。


「お前達は……!?全員停止!!周囲を警戒しろ!!」


 俺達の姿を見て驚きの声を上げたのは、大量生産の軽鎧と槍を装備し、隊列を組んでいる集団。

 このジュートノルの街の衛兵隊だ。


「俺は冒険者のジョルク。こっちは連れのテイルだ。ここに残っていた客の生き残りを避難所まで送り届ける最中だ」


 ジョルクさんがそう衛兵隊に説明すると、先頭にいた隊長らしき人が叫んだ。


「ジョルクだと!?あのウルフイーターのジョルクか!」


「俺の方から名乗ったことはないが、そう呼ばれているのは確かだな」


「そうか!ならば、その避難者の護衛は私達が引き継ぐ!君達は即刻、臨時指揮所が立っている商業ギルドに向かってくれ!」


「……ひょっとして、何か出たのか?」


「詳細は聞かされていない!我々は命令を受けて、街に分散している中級以上の冒険者を臨時指揮所に集める任務を負っているだけだ!」


「……わかった。後は任せたぞ」


「心得た!」


「行くぞ、テイル」


「あ、はい――」


「待って!!」


 緊迫した空気にあてられて、流されるままに思わずジョルクさんに答えそうになった俺を止めたのは、ターシャさんの悲鳴にも似た声だった。



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