第26話 辿り着いた白のたてがみ亭別館


 ソルジャーアントとの思いもかけない遭遇戦に背筋の凍る思いをしたけど、どんなに緊張していても時間が経てば、それなりに落ち着いてくるものだ。

 後続の危険も考えて、しばらくの間、恐怖心を抑えながら目と耳の五感強化で穴の奥の様子を窺っていたけど、どうやらその心配は今のところ無さそうだと判断して安心した。

だけど同時に、別の心配事が首をもたげてきた。


 つまり、この穴をどうするか、だ。


 一番良いのは、街の中の衛兵なり冒険者なりを捉まえて、この穴の存在を報告することだろう。

 だけど、それをすれば、発見者である俺のことを話さないといけなくなる。

 その話の中で、行方不明になっているはずの俺の素性を知られれば、どう転んでも状況は悪化する。


 かといって、このまま放置は、さすがにもっとあり得ない。

 このジュートノルの街を捨てようとしてはいるけど、別に街に滅びてほしいと思ってるわけじゃない。

 腐っても長年住んだ街なのだ、できる範囲と時間の中でやれることをやってもいい、そのくらいの思いはある。


 ……やっぱり、埋める以外にないか。


 幸いなことに、この辺に残っている住民は、ソルジャーアントを恐れて家から出てくる気配がない。

 後は、巡回してくるかもしれない衛兵や冒険者さえ警戒していれば、誰にも見られることなく穴を埋めることができるはずだ。


 そう決断して、さっそく穴の周囲に積まれていた土砂を足で落とし、さらに穴の淵の地面を崩してしまおうと腰の剣鉈を抜いた時、違和感に気が付いた。


「……なんだこれ?」


 思わず声に出してしまったけど、二年もの間慣れ親しんだ剣鉈が、全く別の武器に変わっていた。

 まず、刀身が黒くなっていて、形状も若干変化している。剣鉈というよりは、片刃で幅広のショートソードといった感じだ。

 指でコンコンと叩いてみたけど、どうやら材質も違っているらしい。以前よりも澄んだ音で、はるかに硬度が高いことが分かる。


 ……いや、違和感を確かめる機会はもっと前にあった。

 今も左手に装着している、ガントレットを見た時だ。

 突発的な事態が起きた時は、まずは自分の状態を確認することは冒険者の鉄則だ。

 厳密には俺は冒険者じゃないけど、実際にダンジョンにいたのだから、そんなことを気にする余裕が無かったなんて、言い訳にもならない失態だ。


 そこまで考えて、改めて自分の恰好を、できるだけ素早く確認する。

 ……やっぱり、ダンジョンに潜る前とは大きく違うところがもう一つあった。


 これまで防具として身に着けていたのは、『白のたてがみ亭』の客からタダ同然で手に入れた革のジャケットだけだった。

 今はその上から、黒いライトアーマーを身に着けている。

 これまで気づかなかったのは、もちろん装備の変化に気づけないほど心の余裕が無かったせいもあるんだけど、俺の動きを一切邪魔しない上に重さを感じさせなかった、この高性能なライトアーマーのせいもある。



 黒一色の、ショートソードとガントレットとライトアーマー。

 そこまで確認して、それ以上考えるのはやめた。

 この三つの装備を手に入れた出来事に心当たりもあるし、もっと言えば、じっくりと観察して性能を確かめたいところではあるけど、それは今じゃない。

 使い慣れない装備を使うことに不安が無いわけじゃないけど、どういうわけかこの三つの黒い装備は俺の体にしっくりと来ている。


 今はとにかく動く時だ。

そう自分に言い聞かせて、黒のショートソードを両手で逆手に持って振りかぶり、ソルジャーアントの巣へと通じてるだろう穴を崩し始めた。






 意外にも、硬い地面をサクサクと突き崩してくれた黒のショートソードのお陰もあって、穴の埋め立て作業はすぐに終わった。

 さすがにそれだけじゃ、強靭な顎で地面を掘り進めるソルジャーアントを阻むのは無理なので、気休めにしかならないとわかってはいたけど、もうひと手間かけることにした。


『クレイワーク』


 ただ埋めて足で固めただけの柔らかい土を、初級土魔法でさらに補強する。

 魔力で圧縮して密度を高めるだけの単純な作業なんだけど、それだけに、クレイワークの出来は魔力量の多寡に直結する。

 魔導士でもない俺じゃたかが知れている――気休めにしかならないと、周囲の地面に魔力を流し込み始めた時には、そう思っていた。


ガシガシガシ


 ……うん、その辺の地面とそん色ないというか、むしろこっちの方が固い?


 この先のこともあるから、全魔力を注ぎ込んだわけでもない。

 崩した穴の分はちょっとへこんではいるが、それ以外の違和感を無くせたら十分だと思った程度のやっつけ工事だ。

 それが、ウォーベアが地団太を踏んでも絶対にヒビ一つ入らないと確信できるほどに、足で踏んで確かめたクレイワークの成果は固まっていた。






 黒の装備の疑問をうっちゃっておきながら、更なる謎にかかずらっているわけにもいかず、振り切るようにその場を後にする。


 ――――――!?   ………………!!


 道中、勝手に耳が拾ってくる、何かが破壊される音。どこからともなく聞こえる悲鳴。


 昆虫系魔物を相手取る時に最も危険な場所は、森でもダンジョンでもない。市街地だ。

 壁、天井、屋根の上。

 奴らにとってそれらは障害物ではなく、獲物に対して圧倒的に有利になれる足場になる。

 屋内に侵入したソルジャーアントとの戦闘は、熟練冒険者でも難しいらしい。それが一般人となると、待っているのは最悪の結末だけだ。

 聞こえてくる異音は、その数の分だけ命が失われている証拠だろう。

 

――全ては救えない。俺が救えるのは、俺の身近の人達だけだ。

そう言い聞かせて、異音の数だけ巻き起こっているだろう惨劇を、振り切って走る。


 そして辿り着いた先――俺が棲み暮らす白のたてがみ亭の別館。

 その裏口の扉を、三匹のソルジャーアントが今まさに破壊しようとする光景を真に当たりにして、俺の意識が一瞬で沸騰した。


「この……!!」


 腰のポーチに予備のために入れておいた魔石は三つ。

 その全てを使い切ることに、ためらいは一切無かった。


『サイクロンショット!!』


 狙いを定める余裕すら惜しくて遮二無二放った風の魔力を込めた投石は、案の定ソルジャーアントの体を大きく外した。

 当てる必要はない。要は、別館の中よりも俺の方に最速で注意を向けさせるための陽動作戦だった。


 しかし――


 スパパパパアアアンッ!!


 当たるはずのない魔石の軌跡は、小さくも凄まじいつむじ風を起こしながら三体のソルジャーアントの四肢ごと周囲の空間を斬り裂き、やがて強すぎる魔力に耐えられなくなったのか、魔石は無数のヒビを生じさせ、その先にあった別館の土壁をずたずたに引き裂いた後、砕け散った。


「な、なんだこれはっ!?――って、もしかしてお前、テイルか!?」


 自分が何をしたのか理解できず、様子を見に別館の中から出てきたらしいダンさんに声をかけられるまでの間、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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