第22話 夜の森と異変の連続
「はっ!?」
いつの間にかに気を失っていたらしい。
うつ伏せに倒れていた体を起こすと、地の底から這い上がってくるような冷気と、濃い緑の匂いが体を包んだ。
光らしい光がはないけど、さっきまでとは明らかに違う、慣れ親しんだ暗闇。
「ここは……森の中?」
辺りが暗いのは、どうやら木々によって星明りが遮られているかららしく、よく目を凝らして上を見ると、葉っぱの隙間から極小の星の瞬きがいくつか覗いていた。
少なくとも、ダンジョンという絶体絶命の閉鎖空間から逃れられたことは、確かなようだ。
その事実に一安心しつつも、未だ危機的状況にあることを思い出して、気を引き締め直す。
夜の森は、人族が一夜を過ごすには厳しすぎる世界だ。
街の夜とは比べ物にならないほどの視界が効かない闇。
絶えず聞こえる木々のざわめき。
平原ではまず出くわさない夜行性の獣や魔物。
そしてなにより、毛皮という天然の防寒具を持たない人族を、夜明け前のわずかな時間で凍傷に追い込む、極寒の冷気。
特に、今はまだ冬の時期で、通常は最も生存率が上がるはずの、朝まで待機という選択肢を取れば、待っているのは確実な凍死だ。
つまり、俺が生き延びるには行動しかない。
そう思って、まずは周囲の確認だと辺りを見回し始めた時、ふと違和感に気づいた。
「見える……?」
見ようとしてるんだから見えるのは当たり前だろ、そんな考えが一瞬頭の中をよぎったけど、そんな単純な話じゃない。
夜の森の暗闇は、本当の意味で見えないのだ。
一寸先は闇、という言葉があるけど、それを実際に体験しようと思ったら、夜の森に入るのが最もお勧めだ。
――命の危険を顧みないのなら、だけど。
例えば、手つかずの夜の森に二十歩分ほど入り込んでから目を瞑って十回その場で回ってみたとしよう。
たったこれだけで、立派な遭難者の完成だ。凍死の心配がない真夏の時期でも、成人男性の一夜を明かした後の生存率は、半分にも満たない。
それほどに、夜の森は何も見えないし、人族の方向感覚なんて全然当てにならない。
実際、ノービスのジョブを得た後の俺も、獲物を追いかけるのに夢中でうっかり森に入り込み過ぎてしまったことが、一度だけあった。
あの時は本当に恐怖を感じた。
幸いだったのは、夜明け前でうっすらと日の光が森を照らし始める頃合いだったことと、五感強化を最大限まで引き上げた俺の眼でギリギリ森の外が見える距離だったことで、大きな問題も起きずに脱出することができた。
だけど、今の俺には見える。暗闇じゃなくて、その
木々が、葉っぱが、雑草が。木々の隙間から流れ落ちる、夜露の一滴まではっきりと。
もう一度木々の隙間からわずかに見える夜空を見上げてみるが、やはり月は出ていなくて、星空が見えるだけだ。
でも、異変はこれだけじゃなかった――というより、やっとのことで更なる異変に気づけたと言うべきか。
「寒くない……」
繰り返すけど、ここは人里離れた手つかずの夜の森の中。
何の装備もなしに人族が一夜を明かせるような環境ではなく、特に一段と冷え込む夜明け前は凍死してもおかしくないほど気温が低下する――はずなんだけど、一応の冒険者装備に身を包んではいるものの、防寒対策など微塵も考えていなかった俺の体は寒さで震えるどころか、鳥肌一つ立っていなかった。
「どうなってるんだ……?」
異変の正体を突き止めたいのは山々だ。
どう考えてもこれまでの俺とは違う以上、この状態を放置することは絶対にできない。
しかし、夜の森で遭難中という事実を思い出し、取り乱したいほどの不安を押し殺して、周囲の把握のために辺りを観察することに専念する。
その成果といっていいのか、これまで一つの木のシルエットと同化していた、ある物に気が付いた。
ともすれば、偶然積み重なっただけの石の集合体にも見えるけど、この時の俺にはもう「それ」以外のものには見えなくなっていた。
「祠……?」
よく見れば、その黒っぽい石の材質も、そんじょそこらの路傍の石とは違って、空から届いた一筋の星明りを反射するほどに光沢があるように見える。
少なくとも、これだけの質の、それも一種類の石が、偶然森の中で積み上がっていったとは、俺にはとても思えない。
そこまで考えてふと、この石の祠に収まっているご神体が何なのか気になって、三方を石の壁で仕切られた祠の中を、しゃがんでのぞき込んでみた。
「これは……」
黒い石材の祠に祭られていたのは、白い小さな何か。
一見、また石なのかとも思ったが、それにしては形が変だし、なにより妙なオーラのようなものを感じる。
「……まさか、でも、なんで」
降って湧いたような、その荒唐無稽な考えを否定する。
そもそも、こんな森の中に祠があること自体が不自然極まりないし、一体いつからあるのか、なぜこれまで獣や魔物に荒らされることがなかったのか。
考えれば考えるほど気分が悪くなるような気がして、祠から目を逸らしながら立ち上がった、その時だった。
――――――ゥゥゥン
木々のざわめき、じゃない。
もっと遠くて、もっと力強くて、もっと意志のある生き物の気配。
そして、微かだが確かに近づいてくる四足歩行の足音。
異変だらけの夜の森の中で、更なる、そして最も警戒すべき危機が迫ってきていた。
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