第21話 クラスチェンジ


 落ち着け、落ち着け……!!


 そう自分に言い聞かせながら、できるだけ冷静に今の状況を整理する。


 まず、緊急で何とかしないといけないのは、この胸を貫いている騎士鎧の剣だ。

 とりあえず引き抜こうと、多少の怪我を覚悟しながら両手で刃を掴んで押し出そうとするけど、前どころか左右にすら一向に動く気配がない。


 それならと、ダメ元で剣を収めるように懇願しようと口を開きかけるけど、


「ん、なにかな?」


 にこやかに俺の心臓を貫き続けるソレを見て、すんでのところで説得を思い留まる。

 それでやめてくれる相手には見えないし、情に訴えたところでまともな奴ではないことは確かなのだから、無駄なことだ。そもそも、余計な口を叩いて出血が増えるリスクに成功率が見合っていない。


「ほらほら、どんどん血が流れていってるよ。うかつに動かないのは賢明だけど、かと言って熟考してる時間もないはずだ。であれば、テイル君ができる限りのことをやるしかないんじゃないかな」


 ソレの言葉に完全に同意する自分と、道理を説かれて癪だと思う自分。

 それらの余計な思考をねじ伏せつつ、できるかもしれないことではなく、できることだけを確認し、唯一の手段を実行する。


『ファーストエイド』


「そうだ。それでいい」


 胸の傷口を両手で押さえつつ、初級治癒魔法で治療する。

 剣が刺さったままじゃ焼け石に水なことは百も承知だけど、それでも少しでも命を、可能性を残すために、ひたすら治癒の魔力を心臓に注ぎ続ける。

 やがて、なけなしの延命策が功を奏したのか、胸の出血量が目に見えて減り、急速に命が流れ出ていく感覚が薄れていった。


 その事実をソレも確認したんだろう、再び話しかけてきた。


「では、少しだけ時間もできたことだし、神として一つ、テイル君に問おうか。なぜ、ここまでして生きようとしてるのかい?」


「な、なぜって……」


「ああ、君は喋らなくていいよ。血が気管に詰まったらそれこそ命に係わるし、君の思考は言葉に出さなくても僕には伝わるから」


 ソレの言葉を信じるわけじゃないが、確かに今喋るのはきついので黙ることにする。

 そして、ソレが放った問いについて考える。


「だってそうじゃないか。家族、家、仲間、友人、職場。そのいずれも恵まれなかったテイル君。そしてついさっき、昔の仲間に見捨てられ、たった一人で置き去りにされた。今のテイル君には、何もない」


 どの口が言うんだと睨んでみるけど、ソレは自分には関係ないとばかりに首をすくめた。


「僕はただ、愚かな冒険者達に試練を与えただけさ。選択したのはテイル君であり、テイル君の仲間達だ。その意志に、僕は何の手も加えちゃいない。君達がそれぞれで選んだ結果、君は今ここで、たった一人で死の淵をさまよっている。さあ教えてくれ、なぜ今君は必死になって生きようとしているんだ?」


「何もなかったら、必死に生きようとしちゃダメなのか?」


「む」


 口を開いてケガが悪化するリスクを知りつつも、あえて言葉にして言う。

 俺の口元から血が流れだしたのを見て最初は渋い顔をしたソレも、俺の思考を読んだのか口を挟むことはしなかった。


「確かに、今の俺には何もない。親も兄弟もいないし、金もない。一人で生きていくことすらままならない。あるのは、厳しすぎる環境と借金だけだ。このまま無気力になって一生を終えるのも有りかもな」


 だけど、絶望したからって終わりにしなきゃいけない法なんて、どこにもない。


「俺は知っている。どんなに孤独に思えたとしてもいつかは声をかけてくれる人が現れることを。永遠に思える悲しみや苦しみの中にも、優しさや楽しさを見つけることができることを。身動きが付かないほどの閉ざされた狭くて暗い世界の中にいても、いつかは光が差すこともあると」


「でも、それは今のテイル君の境遇ではないよ」


「だから生きるんじゃないか」


 そう、生きてみなければ先のことは誰にもわからない。

 少なくとも、俺の短い人生の中でそう思わせてくれる人達がいた。


 ターシャさん、ダンさん、ジョルクさん、リーナ。


 それぞれに俺を見る表情は違ったけど、だからこそ暗闇ばかりを見がちな俺の脳裏に、今この瞬間も強く焼き付いている。


「だから俺は生きる。たとえこの瞬間に命が終わるとしても、生きることを諦めるという選択だけは選ばない。最後の最後まで生き抜いてやるっ!!」


 再び喉からせり上がる血に溺れそうになるけど、それでも言いたいことを全て言い切る。

 だけど、やっぱり無理をし過ぎたようだ。言葉を終えた途端に、再び命が零れ落ちていくような感覚が襲ってきた。


 あ、これダメなやつだ。視界が急に暗く……


「……ふう、ギリギリ合格、ということにしておこうか。そもそも、僕の方にこそ、他に選択肢なんてなかったわけだしね」


 視界が闇に閉ざされて意識も微か。

 今まさに死を迎えようとしている俺の眼に、もう見えるはずのないソレの姿が映った。


「実はねテイル君、動く鎧のトラップを解除できた時点で、君への試練は終わったようなものだったんだ。あのトラップの完全解除は、四元魔法をまんべんなく扱えるノービスにしか成しえないものだから。その先のあれこれは蛇足でね、言ってみれば、テイル君の心底を確かめたい僕の我がままみたいなものだった。だが、君はよく答えてくれた。これで心置きなく『クラスチェンジ』を行うことができる」


 ボッ


 その言葉を聞いたその時、暗闇の中に火が灯った。

 ――いや、正確には、破壊されたはずの俺の心臓が燃え始めた。


「『災厄』を生き抜くにはこれしか方法がないとはいえ、旧文明の人族でさえ扱いかねた力だ。それを三千年後に復活させることに、この期に及んでまだ僕は躊躇っていた。与える者を間違えると、逆に人族滅亡の原因になりかねないからね。だが、テイル君なら、道を誤ることなく正しい力の使い方を心掛けてくれそうだ。この『エンシェントノービス』の力をね」


 心臓に灯った火がどんどん大きくなる。

 俺の体を、目の前のソレを、世界を閉ざす暗闇の全てすらも飲みこんで、なおも火は広がり続ける。


「ここからは忠告だ。この先、スキルを使う時はくれぐれも慎重にね。元々は『災厄』から人族を守るための力。普通のノービスのスキルとは威力も桁違いだ。加減一つで楽園も地獄も創り得る。そう心得ておいてほしい」


 世界を燃やす火の中で平然としゃべるソレに、向こうから見えているかもわからないけど頷く。

 それというのも、今まで俺の生命力を奪い続けてきた胸に刺さったままの剣が、今は逆に俺の体に膨大な力を注ぎ続けているからだ。

 確かに、これほどの力なら、ソレの大言壮語にも納得できる。


「二つ目は、異種族との付き合い方だが――ああ、テイル君はまだ人族以外を見たことがないのか。なら、とりあえずいきなり敵対するようなことだけはしない、そう覚えていてくれればいい。彼らは人族と違って、単独で『災厄』を乗り切る力を有しているが、互いに協力できるなら生存者を増やせる可能性もあるからね。気が合うようなら仲良くするのもいいだろう」


 異種族と言われてもピンとは来ないけど、特に否定する理由もないのでこれも頷いておく。


「三つ目は、いくら『エンシェントノービス』でも、守れる力には限りがあるということだ。間違っても全ての人族を救おうとは思わないことだ。でないと、三千年前の悲劇が繰り返されかねない。助けを求める声に手を伸ばす時こそ慎重になることを、お勧めするよ」


 そんなつもりはない――と言いきれればよかったんだけど、いきなり世界だなんだと言われても想像すらつかない。

 さすがに頷けずにいたけど、俺の逡巡を見越していたかのように、ソレは話を続ける。


「最後に、クラスチェンジのお祝いを僕から送っておくよ。『ギガンティックシリーズ』。旧文明がかつて世界を支配していた巨人族に対抗するために作り上げた、エンシェントノービスの専用装備だ。意匠自体は至って地味なものだから変に勘繰られることもないし、他のジョブでは装備不可の逸品だ。ああ、ノービスには手に取らせない方がいいかもね。生兵法は大怪我の基とも言うし」


 これも納得できたので頷く。

 しかし、そんな暇すらないと言わんばかりに、ソレは言葉を続けた。


「色々ときつい思いをさせて悪かったね。しかし、時間が無いと言ったのは本当のことだ。『災厄』がいつ来るのか僕にはわからない以上、少しでも早くクラスチェンジを行い、エンシェントノービスの力に慣れてもらう必要があった。エンシェントノービスも、『災厄』も、全ては適応できるかどうかだ。この先にテイル君以外の資格者が出てきても、それは変わらない」


 最後によくわからない事を言ったソレが、火に遮られた視界の中でなぜか笑った気がした。


「じゃあ、ひとまずお別れだ。もしこの先、僕に用がある時は、ショートカットを使うといい。テイル君が良く知っている場所だから迷うことはないだろう。じゃあ、健闘を祈っているよ」


 そう言ったソレの顔は相変わらず見えない。

 それどころか、暗闇を支配していた火が急激に強くなって――違う、火が俺の元に集まっているんだ。

 勢いを増しながら収束した火は、やがて一点――いつの間にかに元通りに修復していた俺の心臓に収まり、まさに命の灯火のように小さく燃え続けるだけになった。


 その時を見計らったかのように、暗闇の中に別の光が放たれる。

 

――これは見覚えがある。俺を無慈悲の水底に沈めた、転移の光だ。


 一体どこへ飛ばされるのかはわからないけど、まだ、一つだけ聞き逃したことがあると思い至った。


「お前の名前は!?」


 どうやら神様らしいソレに対してあまりにも不敬だと思うけど、まだ神様に相応しいことをしてもらった覚えはないので、そう叫ぶ。


「……そうだね。他の眷属と会った時に、僕の名前を知らないじゃ話にもならないか」


 ノービス神カナタ


「それが僕の名前さ」


 その言葉を確かに記憶した時、俺の体は転移の光によってノービス神殿から消え去った。

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