第6話 ノービスになった理由は
「っと、こんなもんでどうですかね」
「うーん、ちょっと右が偏りすぎかな。ほんの少しだけ、左側に持ってこられたりする?」
「了解です」
そう返事した俺は、壁紙のない剥き出しの壁に向けて、さっきと同じ魔法を使う。
『クレイワーク』
土属性の初級魔法――といえば聞こえはいいけど、一部の魔導士からは魔力の扱いに慣れるための練習用のお遊び程度にしか思われてなくて、魔法のうちに入らないとあからさまに差別する奴までいるそうだ。
原理自体は簡単で、そこら辺の土に魔力を流し込んで自由自在に操る、ただそれだけの魔法だ。
自分の魔力の流れがはっきりと見えるので魔法の手ほどきには最適なんだけど、一度に大量の土を操るには効率が悪く、効果範囲もそれほど広くないので、はっきり言って戦闘には向かない。
ただし、あくまで戦闘には向かないというだけで、それ以外の分野では無限の可能性を秘めていると、俺は思う。
そう、例えばこんな感じに。
「……ふう、今度はどうですか、ターシャさん」
「うん、バッチリだね!あとは壁紙を張り直してしまえば、昨日酔って暴れたお客様が壁を壊してしまったなんて、誰も気づかないと思うよ」
ターシャさんからのお墨付きをもらい、俺は壁の土に込めていた魔力をゆっくりと抜き取る。
すると、さっきまでうねうねと蠢いていた壁の土は、ヒビ一つ入ることなく完全に同化した。
惜しむらくは、元の壁土と同じ色のものを用意できず、少々不格好な補修となってしまった点だけど、どうせこの上から壁紙を張るので、客に気づかれる心配はまず無い。
「まあ、応急処置だけでもできて良かったよ。あとは、予約に余裕ができた頃にちゃんとした補修工に依頼すればいいんだけど……」
「あの旦那様のことだから、望み薄ですね」
「あはははは……」
これでも十分に気を遣った言い回しにしたつもりだったんだけど、乾いた笑いのターシャさんを見る限りでは、見事に失敗したらしい。
「まあ、テイル君はまだまだ若いんだしね、言葉遣いはこれから直して行けばいいよ。それより、一仕事終えたわけだし、ちょっと休憩しない?お向かいのパン屋さんからもらったビスケットがあるから、いっしょにどう?」
「ぜひ」
ゴードンに見つかった時のことを考えるとちょっとためらうけど、奴は今本館で大事な客の接待中だ。
なにより、数少ない甘味が食べられる機会な上に、他ならぬターシャさんからのお誘いだ。万難を排してお呼ばれすることにした。
「それでテイル君、なんでわざわざ冒険者学校に行こうと思ったの?しかも、卒業直前で退学したりして」
「……ずいぶんといきなりな話ですね」
接客係に割り当てられた部屋で、年に一度食べられるかどうかという貴重なビスケットを頬張りながら、信頼厚いターシャさんだからこそ許される上物の紅茶を頂いていると、彼女の方から思いもかけない話題を振ってきた。
「いやね、半年前に噂を聞いた時には、テイル君は入学の手続きとかで忙しくしてたから、なんか聞きそびれちゃって。だって、ここで働くだけなら、別に冒険者学校に通う必要なんてないじゃない。入学金もだけど、学校に行ってる間の時間も借金に上乗せするって、旦那様と約束したんでしょう?」
「そうですね。旦那様からは、全部で金貨五枚分だと言われてます」
「金貨五枚!?なにそれ!ぼったくりもいいところじゃない!私がその場にいたら、そんな無茶苦茶な契約なんか結ばせなかったのに……!!」
ターシャさんはそう言ってくれるけど、ゴードンとはもう約束してしまったのだからどうしようもない。
それに、普段はターシャさんに色々と甘いゴードンだけど、こと金に関しては妥協するとはとても思えない。下手をすれば、俺の巻き添えになってターシャさんが罰を受ける危険だってあったから、あえてターシャさんが間に入れないように、半年前に立ちまわったのだ。
という事情があるんだけど、じーっとこっちを見ているターシャさんには、生半可な言い訳は通用しそうもない。
「俺は、旦那様に金で買われた孤児ですから。給金を溜めてもらっているだけでもありがたいと思ってます」
「で、でも、旦那様はテイル君のことを違法な手段で手に入れたって聞いてるよ。それなら、この街の代官様に訴えれば、ごまかされた給金だって戻って来るかも」
「それじゃダメなんですよ、ターシャさん。これは旦那様からの受け売りなんですが、俺の存在は、そもそもジュートノルの街で法的に認められてないらしいんですよ。だから恐れながらと訴えても、逆に俺が罰を受けるかもしれないんです」
「そんな……」
俺も決して頭の良い方じゃないし、守銭奴のゴードンのことを心の底から軽蔑しているけど、あいつの話に全く耳を貸さないというほど、ズレてもいないつもりだ。
高級路線の本館と違って、この別館に泊まるのは中級以下の客層だけど、その会話の内容は俺にとっては宝の山と言ってもいい。少なくとも、俺の戸籍がジュートノルの街に存在しないだろうと思える程度の知恵はついたのだから。
「ほら、俺って、ここに引き取られた時から体力が無い方だったじゃないですか。戸籍もない体力もない、しかも一年前から大人と同じくらいの仕事を任されるようになって、けっこうしんどかったんですよ」
「……ごめんね。本当は、あたしがテイル君を庇えたらよかったんだけど、白のたてがみ亭の人手不足は深刻だから、旦那様にあまり強く言えなくって……」
「謝らないでください。先代が死んでからというもの、一番貢献しているのはターシャさんじゃないですか」
そう、先代が死んで、ゴードンが白のたてがみ亭の主になってからというもの、人気の宿と言うには悪すぎる待遇に、昔からの従業員が次々と辞めていっているのだ。
そのしわ寄せが、様々な理由で残るしか選択肢のない従業員に重くのしかかり、賃金の低さから新入りも定着しない苦しい日々が続いている。
「体力のない俺は、このままだと大人になる前に体を壊しかねないと思って、色々調べたあげく、ノービスというジョブに行き着いたんですよ」
ノービスになれば、肉体が自動で強化されるだけじゃなく、四大属性の初級魔法やちょっとした武技や治癒術まで身に着くと知って、いつからかこれしか道は無いと思うようになった。
「俺の目標は、三年後です」
「三年後?」
小首をかしげるターシャさんに頷きながら、まだ誰にも話したことのなかった決意を言う。
「ここに引き取られた時に、俺の身柄は三年後にいったん自由になると、契約書を見せられました。だから、その時までにこの間の借金も全部返済して、大手を振って大人になりたいんです」
「確か、テイル君が来たのが5年前で、その3年後だから……ちょうど成人と認められる18歳で、契約が切れるのね」
「はい。でも、その時に借金が残っていたら、契約は延長になるはずです。そのためのノービスなんです。ノービスの能力をフルに使えば、これまで以上に働けてお金も稼げて、借金もきれいに返せると考えました。多分ですけど」
「……えらい!!」
突然、外に聞こえるんじゃないかと思うほどの大声に俺が思わず周囲を警戒していると、声の主のターシャさんが俺の手を両手で包み込むように握ってきた。
「大半の平民の子供はその時その時のことしか考えないものだけど、テイル君はちゃんと将来を見据えているんだね!すごいよテイル君は!あたしも応援しちゃうからね!」
「は、はい。ありがとうございます……」
顔はもちろんだけど、耳たぶまで熱い。
ターシャさんに握られている手も、魔法を使って自分で燃やしたみたいだ。
この3歳年上のお姉さんは、俺がゴードンに引き取られるちょっと前に、白のたてがみ亭で住み込みで働き始めたらしい。
両親はすでに亡く、隣町に親戚がいるらしいが、ターシャさんがそこへ帰ったことは一度も無いと思う。
まあ、だからといって、戸籍のない俺とは、同じ二親無しの身でも天と地ほどの差があるんだけど。
3年後、自由の身になるためにはどんな努力も惜しまないつもりだけど、その後に白のたてがみ亭を出て行くかどうかは、実はまだ迷っている。
少なくとも、ずっと何かと世話を焼いてくれているこの親切な年上の
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