第5話 これで火起こしも簡単に
「くそっ、ツノウサギってこんなに重かったか?」
本格的な狩り初日ということもあって、早めに切り上げて街に帰ろうとしたが、今日の収穫のツノウサギ三羽分の肉が予想以上に重かったので、帰宅した時にはすでに辺りが明るくなり始めていた。
白のたてがみ亭では、すでに朝の仕込みが始まっている頃だ。
従業員の中では一番序列が低いことになっている俺は、誰よりも早く調理場に入って準備しなければいけないのだけど、これじゃ完全に遅刻だ。
ゴードンがこのことを知った時の、時間が許す限り続く説教とペナルティを想像して頭が痛くなりながら、こっそりと調理場を抜けようとしていた俺に、渋めの声がかかった。
「それが、この前言っていた戦利品か、テイル?」
「ダンさん」
そう言いながら、調理場に立って水で濡らした砥石で包丁を研いでいたのは、太い皴を顔に何本も走らせた禿頭の男性。
この人はダンさん。白のたてがみ亭の料理長で、街で三本の指に入る凄腕の料理人だ。
「聞こえなかったか、テイル。その肉はうちで使う予定のやつなのかと言ってるんだが」
「は、はい!でも、ツノウサギの肉は最低でも三日の熟成が必要で……」
「そんなことはお前に言われなくてもわかっている。それよりも、ちゃんと血抜きは済ませてあるんだろうな?」
「もちろんです」
あの後。
計三羽のツノウサギを投石と剣鉈のコンボで仕留めた俺は、魔力の籠った素材である角と体内にある魔石を抜き取り、毛皮を剥いで可食部分を手早く解体した。
本当は、骨や内臓とかも使い道はあるんだけど、匂いや重量の問題から、残った部分は適当に森に放り込んだ。
街では何かと始末に困る魔物の残骸だけど、森の中に捨てれば食料として有効活用してくれる魔物がわんさかいる。
「……確かに、しっかりと血抜きされている。最初に聞いた時はまさかと思ったが、本当に短時間で血抜きを済ませられるとはな」
今回の俺の狩りには、大きな問題が一つある。それは、血抜きにかかる時間だ。
通常、血抜きと言えば、高い樹の枝などに仕留めた獣をつるして太い血管を斬り裂き、体内の血が全て抜けるまで自然に任せるのが、普通のやり方だ。
だけど、魔物の森の中でそんな方法を採れば、血の匂いに引き寄せられた魔物が次々とやってくることになり、非常に危険度が高い。熟練の冒険者ならまずやらないだろう。
そこで俺が考えたのが、ノービスの能力の一つで四元魔法の一つ、水魔法を利用した血抜きだ。
普通、生き物の血を水魔法で操ることは難しいらしいけど、相手が死んでしまえば、その辺に流れている川と同じで、他者からの支配を受けていない液体となる。
詳しい方法はダンさんにも言えないけど、水魔法で急速に血抜きをする方法を俺は思い付き、今日初めて実行したというわけだ。
「しかし信じられんな。これほど見事に血抜きされた肉が、ついさっきまで生きていたとは。これならまだ、昨日のうちに狩っておいたツノウサギだと言われた方が納得できる」
そう言うダンさんの、研石の上を往復する研ぎの手は、微塵もブレない。
それはきっと、いや間違いなくこの会話も、ダンさんにとっては仕事の一部で、高い職業意識と集中力の賜物なんだろう。
その姿に尊敬を憶えながら、ダンさんの疑問に答える。
「それはありえませんよ。これだけの量の肉を買う金なんか俺は持ってませんし、何より冒険者学校の勉強について行くのが精いっぱいで、これまで街の外に出る余裕なんかこれっぽっちもなかったんですから」
「そうだったな」
俺の返事にダンさんも頷く。
これは別に、ダンさんが俺のことを信用してくれているとか、そういう話じゃない。
ただ単に、あのゴードンの監視の目を掻い潜って、俺が無断で街の外に出られるだけの時間的余裕が無いのをわかっているからだ。
「それよりも、その肉を早く熟成蔵に放り込んで、とっとと着替えて来い。あいつらが来る前に準備が済んでいないと、何かとうるさいからな」
「は、はい。直ぐ戻ってきます!」
ダンさんの忠告にそう答えて、急いで屋根裏部屋に戻って仕事着に着替える。
すでに空は白み始め、早立ちの客が起き出す頃だ。
冒険者とはお世辞にも見えない、簡素な狩り用の服を脱ぐのに、思ったよりも手間取りながら、なんとか別館の厨房に戻るが、時すでに遅し。
「遅いぞ!何やってんだ!」 「雑用係が後から来てんじゃねえぞ!」
そう罵声を飛ばすのは、ダンさんの弟子を自任する二人の男たち。(名前は……マイクとマックだったか?違うかもしれないけど)
実は、白のたてがみ亭の従業員という意味では俺の方が先輩なのだけど、年下ということと、俺がゴードンに借金で縛られていることをかさに着て、色々と雑用を押し付けてくる奴らだ。
実際、白のたてがみ亭の客層と人気を考えれば、どう見ても厨房の人手は足りていない。
普段は俺をこき使うゴードンも、白のたてがみ亭の柱とも言えるダンさんに気を遣ってか、俺を調理場で使うことに関しては一切口を出さない。
「何をぼさっとしてやがる!火起こしはお前の仕事だろうが!」
「食器の準備もまだじゃねえか!早くしろこのウスノロ!」
まあ、こんな感じで次々に俺に仕事を押し付けてくるこの二人がいなければ、調理場は俺の極楽なんだろうけど、それを口に出しても良いことは一つもないので受け流す。
いや、この前までは受け流すなんて心の余裕すらなかった。特に面倒なのが火起こしだ。
貴族や金持ちの家では、魔力を使って一瞬で火を起こせる魔道具があるらしいけど、この白のたてがみ亭では、お目にかかったことは一度も無い。
外装や客室には途方もない金がかけられているらしいけど、客の目がないところ、例えば厨房なんかは、他の宿屋や料理店が見たら唖然として顎が外れそうなほどに、設備が古くてしょぼい。
今朝の本館の客に出す朝食が、まさか火打石で火起こししたかまどで作った料理だなんて、誰も信じないと思う。
「テイル、早くしろ」
さっきの会話がなかったかのように、ダンさんが俺に言ってきた。
特に料理の腕が上達するわけでもない自称弟子の二人に、ダンさんも思うところが無いわけでもなさそうなんだが、この二人に抜けられると調理場が回らないことも事実だから、俺も黙って言うことを聞く。
――まあ、今日からは火起こしが楽になることを思えば、悪態の一つや二つ、笑って許せるってもんだ。
俺は身体強化された体をフルに使って、調理場に三つあるかまどに次々と薪と着火剤を放り込むと、火打石が収められている戸棚には目もくれずにかまどの前に立った。
「おいテイルさっさと火をつけろと――」
『イグニッション』
ノービスが使える唯一の火の魔法。
その原理はなんてことはない、指先から魔力を放出しながら指を鳴らすことで摩擦を起こし、発火現象へとつなげるという、手品もどきと言われても仕方がない代物なんだけど、どんなにいつもと手順が違っても、「火起こし」ができたという事実は、決して揺るがない。
ボッ ボッ ボッ
「んなっ!?」 「はああ……?」
それぞれのかまどで、都合三度指を鳴らしただけで火を起こして見せた俺の耳に、二人の間の抜けた声が聞こえてきた。
ちなみに、この二人はダンさんと同じく通いの従業員なので、俺が冒険者学校に行っていたことを知らない。ダンさんが知っているのは、その内迷惑をかけることもあるかもしれないと、俺自ら打ち明けておいたからだ。
「て、てめえテイル……?」 「な、なに遊んでやがんだ?そうか、俺達をおちょくってんだな!?」
どういう思考回路でそういう結論になったのか、俺に凄んで見せてくる二人。
だけど、さすがにそれはやり過ぎだ。
「おい、お前ら」
「「は、はいっ!!」」
今の今まで俺に絡んできていた二人が、そのダンさんの声を聞いたとたんに背筋をピンと伸ばして向き直った。
その二人越しに見えるダンさんの目つきは、一度や二度くらいはヤッチャッテル感じのお方そのものだった。
「口を動かす前に手を動かせ」
「「了解しましたっ!!」」
さっきとは打って変わって、てきぱきと動き始めた二人を尻目に、俺は朝食の献立を頭の中で反芻しながら、必要な食器を戸棚から出し始めた。
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