第4話 石を投げればウサギに当たる


 宿屋の朝は早い。


 この世界では一歩街の外に出れば、盗賊とか、獣とか、その他諸々の脅威がわんさかといる。

 ましてや視界の利かない夜は、戦闘系の『ジョブ』を持たない一般人には、一夜を生き残ることすら難しい、まさに修羅の世界だ。


 なので、大抵の旅人は夜が明けきらない早朝に出発する。

 白のたてがみ亭では、客の要望に応じて朝食や弁当などを有料で提供していて、毎朝(毎夜?)その準備に追われている。


 つまり、俺が自由な時間をゲットしようと思ったら、一日で最も危険な時間となる明け方前に起きるしかない。


「よし、ここなら誰にも見つからないだろ」


 そう、口癖の独り言を言った場所は、ジュートノルの街から少し離れた森の入口。

 普通の人が訪れるにはちょっと遠く、かといって冒険者が狩場にするには定期的に魔物が間引かれていて旨味の少ない、俺にとっての穴場だ。


 俺は森の中には入らずに、あえて存在をアピールするように、物音を立てながら歩く。


 すると、


「キュイイイイッ!!」


 森の茂みから躍り出た小さな影がくるりとこっちを向いた姿が、ノービスになって強化された視界に飛び込んできた。

 以前なら、深夜には黒一色にしか見えなかったその影も、周囲のわずかな光だけで、そのくすんだ白い毛並みと、額にあるナイフほどの長さの尖った灰色の角がはっきりと見える。


「ツノウサギか」


 額の角以外は、愛玩動物として知られるウサギと外見の変わらない魔物だけど、その脅威度は比べ物にならない。

 唯一最大の特徴である角にはツノウサギの魔力が集まっていて、見た目以上の硬さと切れ味を持っている。

 ツノウサギの恐ろしさを知らない人族が不用意に近づいて、胸や腹を貫かれて死亡する事件は、毎年後を絶たない。

 ついでに言うと、オリジナル?とは違ってツノウサギは肉食で、倒した獲物の肉を貪っているところを救助が遅れた冒険者が始末することがよくあるそうだが、被害者の遺体は遺族には見せられない惨状になっていることがよくあるらしい。


「キュキュキュイイイイイッ!!」


 そんな、冒険者学校で教わった知識を反芻しながら、威嚇行動に入ったツノウサギを迎撃する準備をする。

 といっても、戦士の様に剣を抜いて構えるとか、魔導士の様に詠唱の準備に入るとか、そんな大仰なものじゃない。


「お、あったあった」


 俺がやるのは、近くに転がっていた石を三個ほど拾うだけだ。


「キュイイッ!!」


 しゃがんだ俺を隙を見せたと思ったんだろう、ツノウサギが鋭く鳴きながら俺目がけて突進してきた。


 ナイフの攻撃で一番恐ろしい使い方はなんだろうか?

 俺も冒険者学校に入るまでは勘違いしてたけど、「ナイフで切る」攻撃は、実は致命傷になりづらく、軽傷で済む場合が多い。

 ナイフを持つ相手に最も警戒すべき攻撃、それは全体重を乗せた刺突だ。


「シャアアア!!」


 ツノウサギの突進に迷いはない。


 成体で、子供でも両手で抱えられるほどの重さしかないツノウサギだが、ナイフを持った小人くらいの恐ろしさがあることを、ほとんどの人族は認識していない。

 加えて、この俊敏な動きでまっすぐに突進されれば、冒険者のたまご程度では躱すことすら困難だ。


 スパッ


「くっ、痛ってえ……!!」


 案の定、魔物とまともに戦うのが初体験な俺では、ツノウサギを完全には避け切れずに、穿いていた布のズボンごと右脛を斬り裂かれた。


 ツノウサギの知能はそこそこ高い。

 少なくとも、獲物を仕留めるための胴体への刺突を避けようとした相手を見て、即座に足を狙って機動力を奪う戦法に変える程度には賢い、と冒険者学校で習った。

 その実例を、まさにこの体で体験したわけだ。


「キュイッ、キュイッ!!」


 獲物に手傷を負わせて喜んでいるんだろう、ツノウサギの癇に障る鳴き声が夜明け前の空に響く。


 この時、もし俺が戦士だったら、退却も視野に行動するだろう。

 だけど、それには及ばない。

 退却なんかしなくても、ノービスの俺なら今ここで傷を癒すことができる。


『ファーストエイド』


 軽度の傷、および状態異常を回復、または緩和する、初歩の回復魔法。


 魔力を込めた言葉と共に、空いている左手でズボンを赤く染めていた右脛を触る。

 すると、淡い緑色の癒しの光が左手に宿り、傷口の出血を止めた。


「キュキュッ!?」


 足をケガしていたはずの俺がスクっと立ち上がるのを見て、驚いた様子のツノウサギがその場で足踏みをする。

 自信をもって斬り裂いた自分の攻撃が効いていないと思ったんだろう、苛立ちをそのまま攻撃に込めるように、赤い目で俺を睨みつけながら再び突進してきた。


 ――好都合だ。


 スキル『投石』


 まあ、有体に言えば石を投げるだけの、なんてことのない攻撃なんだが、投げる立場としては少々感じ方が違ってくる。


 まず、投石モーションに入った段階で、ツノウサギへの集中力がぐんと上がる。

 没入感と言ってもいいその感覚に入ると、どこへ投げても必ず当たるという気分になってくるのだ。


「キュウウワアアアア!!」


 そして、投げようとするコースが、幻の軌道となってはっきりと見えてくる。

 特に今は、ツノウサギが俺目がけてまっすぐ突進してくるので、外しようがない。


 シュシュシュ――!!


 そのイメージをはっきりとえた瞬間、俺は右手で遊ばせていた三つの小石を一斉に放った。

 普通なら小石同士がぶつかり合いあらぬ方向へ飛んでいくはずが、スキルの恩恵によって、直前までこの目に見えていた幻の軌道を、そのままなぞっていく。


 そして、


「ギュアアッ!?」


 ゴロゴロゴロ


 一見でたらめに放たれたように見える三つの小石は、俺の狙い通りに、ツノウサギの右目と左右の前足にことごとく命中し、その小さな体を転倒させた。


『投石』の良いところは、中、遠距離攻撃でありながら、費用も魔力も一切必要ないところだ。

 その辺の石を使えばいいだけだから、当たり前と言えばそうなんだけど。

 スキルの恩恵で、このくらいの距離なら外すこともないし、威力や飛距離は石のサイズである程度調整できる。

 これほど使い勝手が良くて、安全な距離から攻撃できる手段も、そうはない。


 ――それこそ、冒険者の代名詞と言える武器攻撃という手段が必要ないほどに。


「キュ、キュ、キュウ……」


 一歩も動けない、という感じでうずくまっているツノウサギに、後ろ腰に差していた剣鉈を革の鞘から静かに抜く。


 いくら俺でも、丸腰で街の外に出たりはしない。

 万が一、街の外で他の人に出くわした時の言い訳のための武装なんだけど、実は本当の理由は別にある。

 どんな冒険者も、魔物を倒しただけじゃ稼ぎにならない。

 有用な素材を回収して初めて、街で報酬にありつけるのだ。


「森の恵みに感謝します。いただきます」


「キュイイィ……」


 元冒険者見習いとして、最初の一回だけは言っておこうと決めていたセリフを口にしながら、解体用の剣鉈をツノウサギ目掛けて振り下ろした。

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