第一六話 緩慢な自殺

 メントは遅れてやってきた。彼女は真面目な生徒だ。わざわざ休み時間になるまで待機していたのだ。なので到着時間は一三時である。


「うわ、煙草臭せえ」


 教室番号は指定されていたが、それすらも必要なかったかもしれない。教室の前を通れば、鼻の器官が死んでしまうようなニオイが漂っていた。


「よくパーラは平気だな……。ヤニカスの考えてることはわっかんねえ」


 そんなわけで教室を開ける。


「ルーちゃん強すぎない!? もう二〇回以上負けてるんだけど!?」


「おまえが弱いだけだろ。ゲームなんてそんなにやらねェが、基本的な操作すらできていねェじゃねェか」


「……さすがオタサーの姫」


 灰皿……いや、花瓶から土と花を捨てて無理やり灰皿にしたそれには、もはや数えることも困難な吸い殻が溜まっていた。


「……女子のくせに臭くなること気にしねえの?」


「よォ」


「いや、アタシの質問に答えろよ」


「大丈夫。良い消臭剤を買ってな。口臭も歯磨きしてフリスク舐めればなんとかなる」


「そういう問題なのか……?」


「そういう問題だ」即答だった。


 ルーシは小型コントローラーを置いて、腕を伸ばす。


「さーて、役者は揃ったな。もう内容はわかっているよな?」


「そりゃもちろん」


「なら良いんだ。メリット、賛成か?」


「クソガキとオタサーの姫とおなべ女とワタシ。まともなのはいない」


「わかっているようでなによりだ」


 メントはただ、「派閥を立ち上げる」とだけ連絡されてここへ来た。この学校において、九割以上の生徒が属している、学生同士の連合体。

 では、なんのために派閥を立ち上げるのか。

 メントは四人の共通点を考えていた。パーラはともかく、ルーシとメリットはまったく知らない他人中の他人である。そんな他人を結びつけるものとは。


「じゃ、はじめようか。貧乳改善会を」


「……あ?」ルーシは目を見開いた。


「まず、ここのバストをいってって。アタシは──」


「メントちゃん……」パーラはいいにくそうにこちらを見る。


「なんだよ。おまえだって貧乳嫌だろ? 考えたんだ。なんでアタシに彼氏ができないのか。そして観察したんだ。男の子がどこを見ているか。やがてわかったんだ。彼らは胸を見てると」


 ルーシは非喫煙者の前では極力煙草を吸わないようにしている。了承を得るか、了承など必要ない連中の前以外で、ルーシは煙草へ火をつけない。

 そして、メントが煙草を嫌っているのはわかっている。だから彼女が来た瞬間、ルーシは煙草を灰皿へ押し付けた。

 そんなルーシが、思わず煙草を咥えたのはいうまでもない。


「そう、胸なんだ。アタシは正直モテモテになりたい。お金目的ってわけでもないし、アクセサリー感覚でもない。ただただモテたい。歩いてるだけでナンパされるようになりたい。なら、どこが重要かなんだ。もう性格は変えられない。でも、あからさまなシンボルがあれば──」


「熱く語ってくれてどうも。感動したよ」


 メリットは嫌味を込めてそういった。


「だろ? わかってるじゃねえか根暗女」


「よくわかった。アンタとお姫様がお友だちな理由が」


 パーラはあたふたと慌てていた。メントが天然なところがあるのは知っているが、メリットの口調はあからさまに喧嘩を売っていることもわかる。というか、特になにも考えていないと自負しているパーラですら、このままでは爆発するのが目に見えるくらいに、ふたりの馬はあっていない。

 では、ルーシはどう動く?


「あーあ、もうなくなっちゃったよ。ワタシ一日何本吸っているんだろうか」


 ……とぼけて逃げるつもりか?


「る、ルーちゃん……。この状況を見てなにも思わないの?」


「そういう常識的なキャラは似合わねェよ。どっちが喧嘩強ェか見るのもおもしれェじゃねェか」


「いや、メントちゃんもメリットちゃんもワタシの大切な友だちであって……」


「大丈夫。こんなところで力使われちゃ、陰謀にはかなわねェだろ? ここはワタシに任せろ」


 ルーシは立ち上がり、メントをじろりと見つめる。


「……なんだよ」


「いやー、確かに絶壁だなって思ってよ。一〇歳のワタシより小せェ。逆になんでそうなるのか知りてェなって思ってな」


 メントはルーシの胸ぐらを掴んだ。メントの身長は一七〇センチ弱くらい。必然的にルーシは持ち上げられることになる。

 されど、ルーシはまったく動じない。


「喧嘩してェのか? 今度は生きて帰す保証はできねェぞ? それにおまえが死んだらパーラが悲しむじゃねェか。いますぐ離せ」


「あ? 逆にてめえはこうやって煽られてムカつかねえのかよ?」


「煽っているわけじゃないのでね」


「……は?」


「ひとりの女のケツを追いかけるのが男の相だ。絆創膏で隠せるくらいの貧乳? だからなんだってんだ? どうせ告白もしたことねェんだろ?」


 見抜かれていた。それだけだった。

 メントは誰かに告白をしたことがない。それどころか、家族以外で男子の連絡先も持っていない。彼女は挑戦していない。なのにモテたい。わがままなのだ。

 しかし、彼女なりに努力をしようとはしているのも事実だろう。自分が男に相手にされないのは貧乳の所為だと考え、一〇才児であるルーシは別としても、同じく貧乳であるパーラやメントと一緒になにかしらの努力をすることで、問題解決を図ろうとしているのだ。


「そ、それは……」


「良いんだよ。女は勝手に男が着いてくるものだからな。だからそういう普通に憧れるってのもわかる。だが……」ルーシはメントの尻を叩き、「セクハラオヤジみてェなことしたが、おまえには下半身があるじゃねェか。フェチってのは多種多様だぞ? おまえはおまえが知らねェうちに誰かから恋愛感情を持たれているのかもしれない。おまえは普通じゃねェ。だが、一歩だけ踏み出せば普通になれる。わかったな?」


 ルーシのそんな言葉を聞き、メリットはフッと鼻で笑った。彼女は小声でつぶやく。


「下半身に魅力を感じる男がいると……。クソガキ、アンタ同性愛者というより、中身男みたい」


「おまえに男がわかるのかよ。貧相な身体しているくせに」嫌味な笑顔まじりだ。


「わかんないほうがおかしいでしょ。お姫様だってそれくらいわかってるはず」


 最前から嫌味しかいわれていないパーラは、されどまったく苛立ちなどを見せることなく、

「わかるよ~。だってよふたりきりで遊ぼうよって男子にいわれてたもん。んー、だいたい四〇人くらいかな? 全部断ったけどね!!」

 悪意なくメントを傷つけるようなことを口走る。


「……良いよな。おまえは」


 意気消沈としていたメント。彼女なりに理由を考えた結果、武器になるのかも微妙な武器を持っていると伝えられ、結果的に問題そのものは解決へと至っていないので、こうなるのも無理はない。


「良くないよ~! 興味ないものに興味持てって辛いじゃん! まあワタシにはルーちゃんがいるけどさ?」


 パーラはルーシと腕を絡め合う。


 ──……親友なんだよな? メリットやオレより付き合い長げェんだよな? なんだこんなに無邪気に小バカにできるんだ?


「……アンタのそういうとこ、結構好きだよ」


「え? なにが?」


「アタシに向かってそんな口叩けるヤツなんてそうはいないし。あーあー、本当……ないものねだりなんだな」


「男から求愛されるが同性愛者。女から求愛されるが異性愛者。だろ?」


「よくわかってるな。そうだ。それっぽい雰囲気をもった子に五回くらい告白されたことがある」


「だろうな……」ルーシは半笑いを浮かべ、「さて、諸君。話しを進めよう。ワタシたちは愉快な貧乳仲間じゃねェ。もうひとつ共通点があるだろ? メント、おまえだったら詳しいはずだ」


「ウィンストン・ファミリーの連中が喚いてたことから推測は立つけど……」


「なかなかおもしろそうな絵面」メリットの語気は楽しそうだ。


「そういうことだ。ワタシとパーラはウィンストン・ファミリーとやらに完全的な宣戦布告をすることにした。もうNo.2をやっちまったんだ。アイツらだって黙っていられねェはず。そこで同志がいる」


「パーラを守るためと。なら乗るがよ」


 メントの口調はあっさりしたものだった。パーラとメントの関係性など知らないし、知ったところでたいした意味があるとも思えないが、このふたりには確固たる友情がある。友情がなければ、パーラの親友は務まらないし、メントの親友は務まらない。


「メリット、おまえはもうわかっているようだな?」


「お姫様を守れミッション。報酬はビタ一文も発生しない。ワタシは落ちこぼれを守るほど余裕があるわけでもない。だったら、アンタはいったいなにを提示するわけ?」


「どんなスキルがほしい?」


「……はあ?」


「おまえはスキルがねェからランクDとかいうよくわからん落ちこぼれなわけだ。なら、スキルがありゃランクAまで到達できるんじゃねェか? まァ成功するかは未知数だが……やってみなきゃわからねェことだってたくさんあるんだ。新たなる世界を望むのなら、ワタシがなんとかしてやる」


 ルーシの前で本音を隠すことはできない。ルーシは必ず人間の秘所を見抜く。

 だから、メリットの表情はわずか揺らいだ。いつもどおりの不機嫌そうな表情、いつもどおりの不気味な雰囲気が崩れたのだ。


「おお、人間らしい反応できるじゃねェか。心を失った哀れなゴーレムとでも思っていたが……やはりおまえも学生だな。いまあるもので満足するという当然の判断ができていねェ」


「……それのなにがいけないわけ?」


「いけねェとはいわねェ。だが、それはガキの発想だ」


「だったら大人の発想こそ間違ってる」


「そうなんだよ。大人は常に間違えている。歯切れの良い正論並べときゃ自分は賢いと思えるからだ。昔よくいたんだ、そういうヤツがな。おまえのやっていることは間違っている。おまえはこんな環境から足を洗うべきだ……って」


 ルーシは一〇年前の記憶でも思い返すように、どこか感傷に浸った顔で、

「だからワタシはその度にいうんだ。だったら対案はあるのか、この環境以外で生きていくすべはあるのか、アナタが紹介してくれるのかってな。ほとんどの連中は黙り込む。おもしれェくらいにな。……ああ、話しがそれたな。要するに、おまえは他人と馴れ合うのに理由がほしいんだろ?」

 メリットを突く。


 結局、否定しようが肯定しようが、メリットの考えはルーシの掌の収められたのだ。所詮子どもが、所詮高校生が、ひとつの国の裏社会を征服した怪物にかなうどおりはない。これこそが「歯切れの良い正論」なのかもしれない。常に間違えている大人なのかもしれない。


「……クソガキが」


「ね、ねえ……ルーちゃん。さっきから険悪な雰囲気しか漂ってないけど!?」


「パーラ、よーく現状を考えろ。おまえはなにも考えていないように見えて、この場にいる誰よりもこの愉快な貧乳仲間たちのことを考えているはずだ。いまさら説明する理由もねェよな? 派閥ってものがあるのなら、それに属すこともできねェコイツらは一匹狼でもなんでもない。ただの社会不適合者だ。それはおまえが一番わかっているだろ? なァ?」


 ──それにしたって、ガキどもをねじ伏せるのは簡単だ。だが、ガキに強力な魔術があるから、余計に面倒な青春劇が生まれてしまうんだろう。青春なんて無縁なオレでも、コイツらがろくでなしに限りなく近いヤツらだってことはわかる。無法者よりろくでもねェヤツらかもな?


「女はなにかに属すから生きていける。決して女性をけなすつもりはねェし、ワタシだって女だが、普通に生きていればわかるはずだ。魔術のねェ世界を想像してみろ。おまえら、男に勝てるか? この世界は男を中心に回っている。男は簡潔な暴力で人を支配できるからだ。だが……諸君らは非常に幸運だ。その差を簡単に埋めてくれる魔術のある世界の住民なんだからな? なら、メリット……おまえの行動は実質一択だよな?」


 結局、ルーシに魅入られるというのは、緩慢な自殺にも近い。

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