第一〇話 一〇〇億円の幼女

 三月某日。まだまだ寒い時期だ。いや、この国において寒くない時期は少ない。七月、八月に入っても最高気温は二五度前後。夏になると半袖の人も増えるらしいが、そんな光景はつい最近この国に来たルーシ・が見たわけでもないので、未だに信じがたいものがある。

 ルーシ・レイノルズ。偽名に偽名を重ね、ついには本名すら忘れてしまった無法者は、新しい名字に違和感を覚えながら、子どもらしいちいさな手で書類へのサインを終える。


「ルーシ・レイノルズ。一〇歳。性別女。……これって、トランスジェンダーの人はどうするんだ?」


「さァ。でも、制服さえ着ていれば問題ない学校だからよ。男だったら女のを着て、女だったら男のを着るんじゃねェの? それ以外にも問題はありそうだが、オレのときはLGBTなんて被差別民以外のナニモンでもなかったしなァ。それに比べりゃ、マシにはなってると思う」


 ──だったら、心理上の性別は男で、見た目は女ってことにしとけばよかったな。男ってほうがやりやすいし。どうしても一八世紀の常識が抜けていねェ。


 そう思った少女、いや、幼女、ルーシは、いまひとつ価値を見いだせなかった長髪が比較的短髪になったことに、すこしばかりすっきりした気分でいた。

 銀髪碧眼。身長一五〇センチジャスト。バストは八〇センチ。体重は四〇キロ。引き締まった身体。童顔ながらも整っていて、特徴的な座った目。身体中を駆け巡る和彫りとタトゥー。ほんのすこしだけ施された、いや、自分で行った化粧。デパートに行った際ついでに買っておいた、程よい香水の匂い。そんな少女である。


「それで? 下ごしらえは済んでいるのかい?」


「ああ、仰せの通りに」


 それに答えるは、クール・レイノルズという男だ。年齢は三二歳。しかし三二歳に見えないほど若々しく、それでいて童顔──幼い顔にも見えず、あくまでも男前に整った顔立ちである。身長一九〇センチを超える巨漢で、身体は鍛えられており、タトゥーの類いは入っていない。髪の毛は明るい茶髪。彼の家族は大半が茶髪らしい。なので、ルーシと親子という設定で行くには少々度胸がいるかもしれない。しかし、今回の作戦でクールの存在は欠かせない。そのため、多少の無茶は承知の上だ。


「戸籍謄本も改ざんしておいた。かなり時間を食っちまったが、仕方ねェよな? CEO」


「ああ、おまえはよくやっているよ。さすがはクールの懐刀だ」


 そうやってルーシへ話しかけたのは、ポールモールという男だ。年齢は二九歳。こちらは歳相応といった顔立ちで、クールほどではないが顔立ちは整っている。身長は一七五センチほどと、この国における平均身長とまったく同じだ。


 そんな三人の無法者は、この国──ロスト・エンジェルス最大の学園「メイド・イン・ヘブン学園」から、合法的に一〇〇億円に及ぶ金をかすめ取るべく、きょうを迎えた。

 これは、彼らの所属する組織「スターリング工業」の最初の大仕事である。


 *


 そんなわけで、さっそくメイド・イン・ヘブン学園──MIH学園へ向かいたいのだが、ルーシにはひとつ懸念材料、いや、行わないといけないことがあった。


「なァ、ヘーラーはどうすんの?」


 クールがいったように、ルーシにはヘーラーという存在がいる。天界、とやらから降りてきた使。スタイル抜群で顔もよく、この国ロスト・エンジェルスの女性平均身長一六七センチを上回る一七〇センチ以上の背丈をほこる、スペックだけはモデルか女優にでもなれそうな女である。


「……そうだったな。あのアル中、ポールとおまえの部下が記念に持ってきた酒類全部飲みやがった。越してきて一週間だぞ? どう考えても三ヶ月は持つ酒を一週間で飲んで、いまだに寝てやがる」


「最低な女だな。別に男を立てろともいわねェし、たまには羽目を外すのも悪くねェけど、アイツはそもそも人間として終わってやがる」


「アニキ、ルーシ、どうやってアイツを起こす? 正直小便臭いし獣臭いし近づくだけでキスされて吐きそうになるし……やっぱりMIHへ入れるのはやめときますか?」


「そうだな……」


「いや、ワタシに良い案がある」


がそういうんならやってみろよ。オレら上で待ってるわ」


「りょーかい」


 ルーシは下へ降りていく。この家の構造は地上にある一階と地下一階、地下二階だ。すこし他人には見せられない仕事用の部屋が近二階であるため、ルーシは一階、ヘーラーは地下一階で生活している。ルーシも極力汚物なんて見たくないので、下の階へ降りるのは三日ぶりである。


「……さて。汚ねェヤツを起こすフェーズだ。つか、この部屋全体が臭せェ。煙草吸っている上より臭せェってどうなっているんだ? 小便とクソも漏らしているんじゃないか?」


 ルーシは女性用のスーツを着ている。スーツの色は黒で、インナーは紫。下はパンツとなっており、ハイヒールの歩きづらい感覚にも慣れてきたところだ。

 また、この格好の素晴らしいところは、男のように拳銃をシャツとパンツの間に挟めることである。

 ルーシは拳銃を取り出す。ロスト・エンジェルス、通称「LA」でもトップクラスの性能と値段を誇るハンドガンだが、結局用途はあまり変わらない。

 そして、ルーシはなんの躊躇もなくヘーラーの腕へ銃弾を放った。


 あられもなくいびきをかき、心底幸せそうに四リットルウイスキーを抱えて眠るヘーラー。だが、それから一秒後に、彼女は悲鳴を上げる。


「いってえ!? な、な、な、なんでこんなことするんですかルーシさん!? ワタシは天使ですよ?」


「天使なら天使らしく振る舞え。そしては無神論者だ。さらにおまえを天使と思うヤツなんてひとりもいない。わかったら歯みがきして風呂入れ。おまえ何週間歯磨きとシャワーあびていねェんだ?」


「だ、だいたい二週間くらい?」


「やはりもう一発喰らっとくか?」


「いやだー!! 再生できても痛いものは痛いんです!! すぐ入りますので少々お待ちを!!」


「……そうだよな。殴っても撃っても解決しねェ。だが、一応おまえは若い女だ。オレも女になってからすこし思うようになったが、やはり男どもがこちらを二度見する感覚が快感であり苦痛でもある。やっていたころも男女問わずこちらを見られ、ケツの穴に粗末なもんをゴムもせずに挿れられたもんだ。そのあとはひでェ下痢になってな……ああ、話しがそれた。オレがいいてェことわかったか?」


 ヘーラーは頭をかしげ、きょとんとした目つきだった。ルーシは気にせず会話を続ける。


「正直、オレはおまえが大嫌いだ。人生で一番の恥辱を繰り返すかのような姿にしたおまえを、できれば殺してェと思っている。まだ試したことない拷問でな。だが、同時にオレをこの街へ転移させてくれた恩人でもある。そこで妥協案を考えた。聞け」


「なんですか?」


「……ああ、歯磨きだけしてこい。ゲロの臭いでこっちまで吐きそうだ」


 これはルーシなりの優しさである。正直、二五歳の女性に口臭がひどいと指摘できる人間がどれほどいるか。たとえ親友であろうとも、何十年と付き合いがあろうとも、、「口臭」と「体臭」はなかなか咎めて改善する方針へ持っていけないからだ。


「て、て、天使は口臭くないって何度いえば──!!」


「あのな、オレも天界なんて詳しくは知らねェし、きっとこっちの常識が通用しねェのはわかる。しかし、ベッドの汚れみればわかるぞ。寝ゲロしたんだろ? 酒をいままでろくに飲んだことねェんなら、そういうミスをしてしまうのは仕方ない。オレだってガキのころはそうだった。だが、現実として数メートル離れていても臭せェんだぞ? おまえ、ポンコツ以前に病気なんじゃねェか?」


「そ、それは……」


「とにかく、病気だとしてもなんだとしても、一分で良いんだ。ちょっと黄ばんでいる歯をきれいにしてこい」


 ルーシはわかりやすく、そして冷静に、現実を伝える。実際問題、臭いものは臭い。小便が臭いように、大便が臭いように。匂いは人……いや、天界人の印象をも一八〇度変えてしまうのだ。

 ヘーラーはすこし涙目になりながら洗面所へ向かっていた。ルーシはひとりでつぶやく。


「最初はただのアホだと思っていた。幼女にされたとき、殺意しかなかった。たかが人間であるオレへぼこぼこにされたとき、心底哀れに思った。同情はソイツを狂わせるのにな。酒におぼれているとき、昔のオレを思い出した。このままだとクスリに手を出すことも覚悟しなくてはいけなかった。だが……こんな捨てられるだけ生ゴミのほうがマシなヤツでも、ロスト・エンジェルスに転移させてもらったことは感謝しなきゃならねェ。だったらどう恩を返す? ……決まっているよな?」


 ルーシは義理堅い。狂っているように見えて、いや、実際狂っているのだが、なにかをもらったらなにかをお礼にわたすように、ルーシはしっかり彼女への礼節を考えていた。

 そう、彼なりのお礼を。


「ルーシさぁん……きれいにしてきました……歯磨きってマジめんどい……」


「ご苦労。さて、この汚ねェ部屋にオレがわざわざ来た理由、わかるか?」


「……さあ。死んでいるか心配になったとか?」


「おまえは酒くらいじゃ死なねェよ。そんなことはわかりきった話しだ。オレはおまえを更生させに来たんだ」


「更生?」


「そう。頭はワリィ、シャワーは浴びねェ、歯磨きもしない、酒におぼれて仕事もしない。これじゃダメ人間とかわりがない。オレの知っているダメ人間よりダメなヤツだ。だから、おまえの道は決まっている。隠す必要もねェからいうが、おまえは学校へ入れ」


 ヘーラーは言葉の意味を一瞬考えているようだった。おそらく、なにをいっているのか理解しきれていないのだろう。彼女の年齢は二五歳。二五歳相応の老け方というのもおかしいが、すくなくとも学生服を着て高校生ごっこを楽しむほど肌も潤っていないし、体型にも限界がある。

 そして、ヘーラーは一瞬の途切れを遮り、いう。


「……なにいっているんでしゅか? ワタシはこの家でお酒が飲めれば満足だし──」


「わかってねェな」ルーシは呆れ気味に、「酒買うのにだって金がいるんだよ。今回はクールの子分が持ってきたから良いが、オレは自分の分しか買わねェし、余ってもおまえにはあげねェぞ? だが、学校に行ってしっかり生活するんなら小遣いもやるし、それをどう使おうがおまえの自由だ。まァ、天界人には金って概念はないのかもしれないが、言葉くらい聞いたことあるだろ? それをやるかわりに学校行けって話しだ」


 正直、なんで年上に小遣いを渡さなくてはならないんだ、という話しではある。ルーシの現年齢は九歳か一〇歳。実年齢一八歳。たいしてヘーラーは自分で話したように二五歳。女から金をもらったことはあっても、金を渡したことのないルーシからすれば、はじめての経験に加えて年上へ酒代を渡すという意味不明なことを経験することになる。

 しかし、それ以外にヘーラーがまともになる方法はない。これはルーシなりの恩返しなのだ。


「……ま、仮におまえがオレを男のまま転移させていたら、普通に小遣いをやっていたかもしれねェ。だがおまえはオレを銀髪碧眼幼女の姿で転移させやがった。だから妥協だ。条件付きで金はくれてやる。わかったな?」


「えー……。ワタシもう二五歳だし、高校生っていうのもよくわからないし、学校にいたらお酒飲めないんですよね? ルーシさんはなんだかんだ優しいからワタシにお小遣いくれると思うしなぁ……」


「次、どこ撃たれたい?」


「あ、あ、あ……わかりました‼ きょうからワタシは高校生です‼ だからもう撃たないで!!」


 迫真である。そんなに痛いのだろうか。


「納得してくれてなによりだ。オレは裏金入学で入学するが、おまえは一般入試だな。人間の世界の試験くらい楽勝だろ? 別に学校へいる分にはオレも文句つけねェ。そっからの生活は自由だ。ま、酒飲める機会は減るがな」


 ヘーラーは「うー……」とうねる。そんなに酒が飲みたいのか。


「わかったな? じゃ、シャワー浴びて上に来い。体臭は大事だからな」


 そういい、ルーシはようやく上の階へ上がっていく。


「よォ、説得できたのか?」クールは怪訝そうな顔だ。


「まァな。渋々といった感じだが、やはり酒が飲めないというのがひびくらしい」


「よくわからんな。なにかを成し遂げたときに飲むからうまいのであって、普段から浸かっていたら楽しみも消えるだろうに」ポールモールは正論を述べる。


「アイツはすこし違うんだよ。なにかに依存していねェと心が粉々になるんだ。たぶんな」


「一応姉妹だもんな?」クールは嫌味をいう。


「ああ……アイツの弱さはよくわかる。ワタシもそうだったからな」


 ルーシの昔とは、酒と煙草とクスリだ。ヘーラーと比べれば悲壮感こそ違えど、なにかに依存していないと苦しくて仕方がないという気持ちはわかる。ヘーラーもおそらくは天界人という人間界とは違う世界で暮らしてきたと考えれば、この淀んだ人間の世界へ来てストレスが溜まっているのだろうと。


「だが、学校に入ればすこし変わってくるだろ? ワタシもろくに学校なんて行った記憶ないし、年齢だって離れているが、なにかに属していればわかることもあるはずだ。裏じゃスターリング工業のCEO。表じゃ学生。素晴らしいじゃないか」


「だな……」クールはニヤッと笑う。


「ま、ヘーラーがしっかりシャワーを終えるまですこし時間が空く。ちょっとこれからのスターリング工業について話し合おう」


 *


「──雅ってヤツはサクラ・ファミリーを掌握したと」


「ああ。だが、アニキだけでなく、CEO当人にも会わせろとやかましい。どうする?」


「この姿で会ったら舐められるだけだろ。だが、いつかは謁見しねェとな。どっちが上かちゃんとわからせる必要がある。ま、どうしてもうるせェんなら仕事用の携帯に連絡してこい。適当なところで向かう」


「わかった。で? その盃ってのは近いうちにやるのか?」


「まーな。ワタシとクールは義姉弟。そして悪いが、おまえは子ということになる。部下どもの前じゃ敬語使ってくれ。別にこういったところでタメ語なのは咎めないからよ」


「わかってるさ。アニキがおまえと同格なら、文句はいわない」


「つっても、姉弟ってのは姉と弟って意味だけどな。一〇歳のガキの弟になるって意味わかんねェぜ。オレもう三二歳なのによ」


「言葉のあやだ。ワタシが男だったら兄弟っていってどっちが兄なのかわからなくするが、そうもいかないだろ? とにかく、気にするな。まァ気にしていねェだろうがな」


「ああ、親になったり弟になったり……もう気にする余地もねェ」


 そんなことを話していると、ようやくヘーラーが現れた。


 ──相変わらず痴女みてェな格好だな。服買いに行くとき、一緒につれていけばよかった。こんなのと一緒にいたら、こっちまでビッチだと思われそうだ。

 と、感じたのはルーシだけでなかったらしい。


「えーと……なんだっけ。名前忘れたわ。まァ良い。おまえそんな格好で外出るの?」


 クールは珍しく怪訝そうな顔をしていた。それにうなづくはポールモール。

 確かに、ヘーラーの格好は異常だ。腹が見えるシャツらしき服に、前世を思い出すかのような短い青いスカート。他は靴だけ。チアガールですらもうすこし露出度は低いだろう。


「え? ワタシのいた世界ではこんな服装が普通なんですけれど……」


「……オレらは男だ。だからスーツを着る。ルーシはガキの見た目だが、一応スーツを着てる。これがロスト・エンジェルスの正装だからな。でも、おまえの場合、正装どころか売春婦じゃねェか。しかも髪色ピンク。ポーちゃん、ヘアカラースプレーと女物のスーツ用意できる?」


「ええ、子分に取りにいかせることはできます」


「すこし待つかァ……。待ってばっかだな」


 *


 そんな待ってばかりの人生を過ごす無法者と天使は、手にした女物のスーツと金髪に染め上げる一日限りのスプレーを部下から渡され、ヘーラーへ速攻で着替えるよう命じる。


「終わりました……。やはり髪がピンクじゃないのが馴染みませんね……」


「いや、随分まともになった。シャワー浴びてるからニオイもねェし、口臭もない。もしも姉弟の姉みたいな立ち位置じゃなきゃ、ナンパしてたかもな」


 髪色ひとつ変えただけでこのいわれよう。この国におけるピンク色の髪の毛というのは、自分からガバガバだと認めているものなのかもしれない。いや、それ以上だろう。


「……そんなにピンク色の髪っておかしいんですか? ロスト・エンジェルスだって、金髪・茶髪・黒髪・赤髪・青髪・緑髪・紫髪・銀髪・白髪っておおきく分類されると思うんですけれど」


「ああ、この国のヤツらはみんな髪色豊かだな。ブリタニアとかフランソワは金・茶・黒、まれに白しかいねェのに。でもな、オレが生まれたときからピンクに生まれたヤツはみんな髪を染めてるんだよ。色はなんだって良い。けど染めないといじめられるかもしれない可能性すらあるんだ。それに……試験で合格点とれても、ピンクなんて受からねェぞ?」


 ──ひでェいわれようだな。まァ確かに街へはピンク色はいなかったし、キャメルもそういっていたしな。たぶんそういうルールなんだろう。


「郷に入っては郷に従えってな。ワタシもおまえの名前忘れたが、とりあえず金髪で試験受けろ。受からなかったら元も子もない」


「え、え……ルーシさん、クールさん、嘘ですよね? こんなに関わりのある美人の名前を忘れるわけないですよね? そ、そうだ。ポールモールさんはワタシの名前いえますか?」


 ポールモールは思わず目をつむった。そして手で額を隠し、おおきくため息をつき、首を横に振り、やがて心底いいにくそうに言葉をつなぐ。


「……悪い。オレもおまえの名前思い出せない。アニキと違って人の名前を覚えることはできるんだが、それでもな」


「…………」


 彼女は絶句した。彼女は顔がよく、スタイルも良い。ただちょっとだけ劣っているところがあるだけでこの扱われ方。ただ髪の毛がピンク色で、ただポンコツで、ただ失言が多くて、ただアル中で、ただ破滅的にだらしないだけなのに。


「で、でもよ、これから覚えれば良いんだろ? オレはぶっちゃけ親の名前も覚えてねェけど、そんなに深刻そうな顔すんだったら、ちゃんと覚える努力くらいするさ」


 やはりピンク髪は色々とダメらしい。正直、クールという人間は人の名前をいちいち覚えようとしない。ルーシのことはたいてい姉弟と呼ぶし、腹心であるポールモールですらポーちゃんとあだ名で呼び、いまのところ妹であるキャメル以外まともに名前を覚えていそうなヤツはいなさそうだ。


「……信じて良いんですか? これで名前覚えてくれなかったら、ワタシもう引きこもりますよ? 名前って一番大事な認識コードですよね? いままでアル中とか梅毒とか散々いわれてきましたけれど、それも水に流します。だから本当に名前覚えてくださいよ?」


「うるせェな。早くいえよ、ポンコツアホメンヘラヤク中失言マシーン梅毒自称天使」


 ここまで罵倒できる相手も珍しいとルーシは感じる。しかもふたりは出会ってまだ一週間程度だ。前世でもこんなヤツはいなかったのに。


「ワタシの名前は──」


 *


 ルーシ、クール、よくわからないヤツ、ポールモールは、車でMIH学園へと向かっていた。運転席にはポールモール。クールは運転こそできるが、免許証を持っていないらしい。ルーシは現在の年齢的に免許所得は困難。なのでポールモールが運転する。黒塗りのリムジンを。


「酒はダメだからな。煙草は良いが」


 彼女は目をつむり、必死で酒への手を抑える。たいしてルーシはすでに五本目の煙草へ火をつけていた。到底一〇歳児ではないが、クールも咎めようとはしない。


「で? 流れを確認しておこうか。まずワタシとおまえは親子っていう設定だ。ポールが偽装してある以上、なにか突かれる心配はないはず。いまは春休み。キャメルは登校していない。どちらにしても学校では会うと思うが、今回やる仕事的にアイツはいないほうが好ましい。そして試験はばっちり。模試を受けたが、三回連続A判定だ。あとは……」


「セブン・スターへ推挙できるだけの実力があるのかを認めさせることだな。まァ姉弟のスキル的に問題はないはずだ。なにせこのオレを倒したんだからな。学力大丈夫、スキル大丈夫、つまりは……」


「ワタシとおまえがどれだけ強欲になれるかで勝敗は決する。要求金額一億メニー。イースト・ロスト・エンジェルスを征服には充分だろ? ポールの武器庫とサクラ・ファミリーの兵隊、そしておまえの組織。それらがワタシの掌で踊る。最高じゃないか」


 この作戦、要するに裏金制度を使い、学校側から金を提示させようというものだ。綿密に計画は立てられている。あとは、勝つだけだ。


「アニキ、ルーシ、もう一分としないうちにつく。降りる準備を」


 スピーカーからポールモールの声が聞こえた。ルーシとクールはそれぞれ顔をポンポンたたき、勝負へ挑んでいく。


「……ワタシの名前覚えてくれましたか?」


 そんななか、彼女は恨みつらみがたまりきった表情でいう。


「ああ、ばっちりだぜ。そう、ばっちりだ」


「そうだな姉弟。完璧だ。まったくもってな」


「……じゃあワタシの名前いってくださいよ」


「よし、行こうか」


「そうだな姉弟」


 ルーシとクールは車から降りる。

 クールはMIH学園の本校舎を見つめ、感傷に浸ったかのような顔になる。


「そうか……オレは一七年前、ここに入ったのか。楽しかったな。毎日毎日退屈しなかった。ジョン・プレイヤーに会いたいな」


「ジョン・プレイヤー?」


「ああ」クールは柔和な苦笑いを浮かべ、「壮麗祭でオレに唯一勝ったヤツだ。アイツがいなかったら、オレは三連覇してただろうな。確かアイツはセブン・スターになったはずだし、やっぱオレのライバルにふさわしいヤツだったんだ」


「そうかい……。おまえに勝てるほどなんだから、相当強ェんだろうな」


「アイツはオレのこと嫌ってたけどな。なんか気に入らなかったらしい」


「そりゃあ……おまえほどの男なんて嫌われることのが多いだろ。特に上位層にはな」


 結局、才能に恵まれている人間は嫌われる。同じほど、いや、同等以上に努力しても、才能の差で負けるからだ。底辺層からすれば関係のない話しだが、ルーシやクールはある程度嫌われ者になることも覚悟しなくてはならない。有名税のようなものである。


「じゃ、行こうか。ルーシ」


「うん、お父さん」


「……ホント、一瞬でキャラ変わるよな。声質まで全然ちげーし、なんか表情まで柔らかくなるしよ」


「仕方ないでしょ。一応親子ってことになっているんだから」


「まーな。あ、アイツいなくなっちゃった」


「ひとりで試験受けに行ったんじゃない? どこに行けば一発試験受けられるかは教えておいたし」


 そんなわけで彼女はいなくなった。ルーシとクールは車にポールモールをまたせ、仕事へ向かう。


 *


「考えてみてください、あのクールの娘ですよ? 実力は必ず高いはずですが、学校の風紀も同時に乱すのはほとんど確定的で……」


「クールは一五歳なのに教員用の喫煙所で煙草吸ってたし、あるときなんかドラッグパーティーを開いてたし、気に入らない生徒は暴力を振るったあと学校の中心に裸で放置してたし……正直、その娘が入るとなると、逆に評判が下がるのでは?」


「いや……あのクールの娘だぞ? 一〇歳と聞いているが、現状でもランクA相当の実力はもっているはずだ。一〇歳がランクAはまるで前例がないから、飛び級で高等部へ入れるのは確定としても……三年間、いや、一年でその娘はランクS……そしてセブン・スター予備軍になってくれるはずだ。千載一遇の好機なのは間違いない」


 教員たちの意見はぶつかり合っていた。なにを成すにしても、血縁というものは大事であり、その頂点に立つ、歴代最高の血を持つ男のひとり娘。しかし歴代最高の男は歴代最低でもある。それは、いま彼がマフィアをしていることからもわかるだろう。


「正直、MIH学園は瀬戸際だ。新興学園に押されて、セブン・スター排出率がもう数年と経てば負けてしまうかもしれない。現状我が校でセブン・スターへ推薦できる可能性のある高等部生徒はキャメルひとり。しかもキャメルはクールの妹だ。そしてキャメルは、あくまでも推挙できる程度の実力しか持っていない。一〇年にひとりの天才は、一〇〇年にひとりの天才にはかなわない」


 そんな学校のなかでも最高の権限を持つ教員たちが密談を行っていたら、

「よォ!! 先生たち!! 懐かしいな!! ひさびさに来たから窓ガラスとか割っちゃったけど、許してくれや」

 問題の種が現れた。


「く、クール・レイノルズ……」


「ああ、クールだ。わざわざ敬称でいう必要なんてないぜ? 手短に行こう。ルーシ」


 巨漢であるクールの後ろに隠れていたのは、銀髪碧眼幼女だった。


「うん、手短にね。先生の皆さん、簡単にいいます。契約金として一億メニー提示してください。こちらの条件はそれだけです」


 教員たちは揃いも揃って口を開け、目を見開いた。

 やがて、ひとりが思考を追いつかせ、いう。


「……一億メニーだと? 裏金の領域はとうに超えているが?」


「常識は破るためにあるんだぜ、ハゲ先生。このオレの娘だぞ? スキャンすりゃわかるが、魔力もスキルもすげェのは間違いない。それに……もう八〇〇〇万メニーまでなら出すって学校を知ってるんだ。出せねェなら仕方ない。そっちへ行く」


 当然、真っ赤な嘘である。ルーシとクールはきょうはじめて学校と交渉しているのだ。


「んで、オレら時間がねェんだ。この場で決めろ。一億か撤退か。でも、コイツを逃すのはもったいねェとは思うぜ?」


 台本どおりだ。相手に考えさせる時間を与えず、クールの娘というブランドを最大限に引き出し、仮にスキャンという状況になってもランクA以上は確定的で、一〇歳でランクAならば必ずランクSになれると思わせる。ギャンブルスタートに見えて、しっかりと計算はされているのだ。


「……学力はあるんだろうな?」


「試験を受けても良いですよ。必ず合格点はとれます」


「……スキャンしろ」


「わ、わかりました」


 カラスらしき生き物が運ばれてくる。ルーシはクールへ教わったとおり、その黒カラスの目をじろりと見つめる。そして一秒後には結果が出てくる。


「……こ、これはッ!!」


「現時点でランクSだとッ!?」


 ランクS。基本はランクAの次の段階だと思われがちだが、その間には絶対的な壁がある。当たり前である。MIH学園の一〇〇年の歴史で、たったのふたりしかランクSと評定された者はいないのだから。


「……理事長と校長へ連絡しろ。来年と再来年の裏金を全部使ってでも、ルーシ・レイノルズを獲得しろと」


 勝った。あっさり勝った。当たり前の話しだ。ルーシの能力は前世から変わらず、である。たいしてこちらの能力というものは。つまり、ルーシの評価がランクSになるのは当然なのだ。この世には存在しないとされる能力を持っているのだから。


「さっすが、話しが早くて助かるぜェ!! じゃ、この口座に一億メニー振り込んでおけや。四月からコイツは六歳飛び級で高等部一学年ってことにして、あとはしっかり通わせるからよ。一応オレも人の親だしな?」


 そういい、嵐たちは去っていった。


「……ランクSは捨てがたい。だが、本当に良かったのかは、誰にもわからんな」


 *


 ルーシとクール、ポールモールは、あらかじめ伝えておいたように、彼女が一般入試を終えるのを駐車場で待っていた。


「姉弟、煙草なんか吸うなよ。肺が真っ黒になるぜ?」


「良いんだよ。てか、おまえもどうせ吸っていただろ?」


「まーな。一八歳の誕生日でやめたけど」


「アニキは意外と健康に気を使ってますよね。クスリもやらないし」


「いつ死んだって構わねェが、苦しみながら死ぬのとあっさり死ぬとじゃ結構ちげえだろ? オレァいつか結婚して、妻とガキと孫に囲まれながら死にてェんだ」


「おまえに結婚は無理だろ」ルーシは苦笑いを浮かべる。


「わかってるさ。でも、夢くらい持ってねェと退屈だろ?」


「そうだな。ワタシは結婚なんてするつもりはねェが……あえていえば家族がほしい。ある意味似通っているかもな」


 まさか性別が変わるとは思ってなかった。まさか一〇歳児になるとは思ってなかった。

 だが、本質はなにも変わっていない。

 そんな与太話をしていると、疲れ切った表情の女が帰ってきた。


「ご苦労。飲み行くか?」


「……皆さん、ワタシの名前を覚えましたか?」


「あ?」三人は揃って同じ言葉を発する。


「こんな扱いでも、せめて名前だけでも覚えてくれていたら、ワタシもすこしだけ頑張れる気がします。だからいってください。ワタシの名前を」


 三人はニヤッと笑い、そろって首をかしげる。

 そして、最初からこういうのが決まっていたかのように同じタイミングでいう。


「おまえ、名前なんだっけ?」


 ヘーラーは首をガクッと落とし、どこかへ去っていった。


 ルーシ、ヘーラー、クール、ポールモール、キャメル……そして新たな出会い。物語はまだまだ奇妙かつキテレツに、そして決して彼らを退屈させないように動き続ける。それだけは決定事項だ。


「それじゃま、行こうぜ。おまえら」


「おう!!」


「ああ」


「ワタシは天使なのに……」


 ──転移してから一ヶ月くらい。悪くねェな。人生ってのは最高に愉快だ。オレはきっとそういう星のもとに生まれてきたんだな。絶対に退屈しねェようにな。クソみてェな経験も、おもしれェ経験も、すべてが最強で最高だ。これがオレの人生だ。誰にも文句はいわせねェ!!

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