第38話 策に溺れた女狐と迷走する雄鼠

今回の文化祭において北条 雅子たちが弄した策は10を超える。

まずメイド喫茶に決めたのは夏休み中。静香が1度も登校してこなかったので非常に都合が良かった。当初はメイドをやらせて大恥をかかせる予定だったが、客の入りに悪影響を及ぼすとの懸念からボツとなった。

その結果、紅茶を担当させる運びとなったのだ。作り置きを暖めるだけの料理担当よりかなり難易度が高い紅茶担当を。

それも伝えるのは前日。富裕層の多い来場者を満足させ得る品質の茶葉を前日に300人分なんて不可能に決まっている。

そこで当日はあらかじめ北条が用意していたダージリンやセイロンなどの高級茶葉を使わせる予定だった。紅茶のいれ方は難しい。開始から1時間ほど静香にやらせて、その腕の悪さを全員でなじるつもりだった。その後、北条が交代し見事な紅茶をいれてみせる。イジメの被虐心と満たされる虚栄心、一挙に楽しめるイベントになるはずだったのに。


では、あのガスボンベやガスホース、コンロはどうしたことなのだろうか? 本来ならば北条があの位置にいたはずなのではないのだろうか?


なお、北条は水本 佐朝に飲ませた紅茶について、自分が厳選しブレンドした茶葉だと説明した。あなたを思ってブレンドしたのだと。紅茶の味わいもあり、水本の機嫌はかなりよかった。


おさまらないのはメイド服を着てまで接客をした女子だ。父兄以外の客がことごとく静香はどこだ、静香はいないのか、お前じゃない、あの美人のメイド服姿が見たい、などと言う始末だったのだ。夏休み中から準備をして可愛く仕上がったメイド服だ。少し気になってる他のクラスの男の子に、あの先輩に見て欲しい、何て言われるのかな、なんて考えていたら……この様である。


その上、結果的にではあるがそれなりに大変だった準備を全て自分たちで行ったため、静香は本番当日しか働かなくてよいという特別待遇をしてしまったことにもなった。北条が口しか出さないのはいつものことなのだが。


これだけの労力を費やして残ったものは……

誰からともなく囁かれたティークイーンの異名、静香の名声と売上金、そして喩えようもないほどの虚しさだった。

今まではあらゆる教科で静香に負けていても、どれほどイジメて反応がなくとも、結局女は顔だ。顔が最底辺の静香にかすかな劣等感すら抱くことはなかったし、見下す対象でしかなかった。

それが、ここまでやってもノーダメージ、それどころか名を成さしめることになるなんて。その上……夏休みが終わると絶世の美女へと生まれ変わった静香。とうとう……顔でもスタイルでも、何一つ静香に勝てるものがなくなり、ようやく気付いたらしい。自分たちの矮小さ、愚かさを。


ついさっきまでメイド喫茶をやり遂げた感動でハイになっていたが、片付けや売上金の計算などをしていると段々と熱が冷め、正気に戻ってしまったのだろう。


「私たち……何やってんだろう……」

「バカなこと、かな……」

「もしさ、自分があの顔だったら……学校来れる……?」

「無理だよ……死んだ方がマシじゃん……」


「だよね……それをあいつは……病気が治るまで……」

「整形じゃん? 病気なの?」

「知らないよ……どうでもいいよ……」

「なんで九狼君はあんなドブスと付き合おうと思ったんだろう……」


一般の生徒はあの件が北条の差し金であることを知らない。九狼と水本の関係も当然知らない。


「はあ……虚しいね……」

「それで売上が268,300円って……文化祭のレベルじゃないよ」

「あの紅茶、すごく出てたもんね。一杯600円なのに……たぶん600円でも安かったのかな……」

「このお金ってどうするの? 頭割り?」


「20万円ほど、私が貰うから。」


そこに現れたのは静香だった。疲れて座り込んだはずだが、終わったと聞いて思い出したのだ。お金のことを。母親から渡された請求書は20万円。自分のために無理をしてくれた母親や朝までに用意をしてくれたお茶屋さんのためにも必ず払わなければならない。きっと自分のためにギリギリまで安くしてくれたであろう金額。静香に出来ることは少しでも早く支払うことぐらいだった。


「ちょっ、それはみんなの……」

「ほぼ独り占めじゃん! そんなの……」

「九狼君とのデート代にでもする気!?」

「ちょっと北条さん呼んでくる!」


そんな声に耳を貸す静香ではない。淡々とその場に割り込み、お金を数え始めた。


数枚の1万円札、かなりの枚数の千円札。静香の手元には20万円の現金が握られていた。


「これは茶葉の代金ね。近いうちに領収証は提出するから、あなたに。それでいいよね?」


誰が設定したのか、一杯600円という値段はほぼ儲けなし。原価に近い値段だったようだ。むしろ静香の労力の分だけ丸損だが、それは文化祭である以上仕方がなかった。


返事ができないクラスメイト。

そこにやって来た北条と水本。後片付けは他に任せてさっさと2人きりで楽しもうとしていたらしい。


「たった20万円で意地汚い真似をするのね? そんなにお金が欲しいの?」


「たった20万円じゃないよ。今回の茶葉を用意するのにどれだけの人が時間を割いたと思ってるの? 訊ねなかった私にも非はあるかも知れないけど、前日に言われて用意できるわけないよね? それを無理に用意したらこんな金額になることぐらい当たり前だよ。」


「ハッ、しょせん国産じゃん! ダージリンやアッサムじゃあるまいし、20万円もするわけないじゃん!」


たった20万円と言ったり、20万円もすると言ったり。北条の言い草は……


「その議論に付き合う気はないよ。あの価値が分からない人間とは話したくないから。私はこの20万円があればそれでいい。それとも、力尽くで取り返してみる?」


「生意気な……ブス香のくせに……」


「文句ないと見なすよ。あぁそうそう。来年の文化祭、もしこんな事をするのなら私は当日休むだけだから。」


水本の前で国産だの、ダージリンじゃないだの口走った北条だったが、どうするつもりなのだろうか。北条とて学校一ではおさまらないレベルの美少女だったはずだが、その顔は醜悪に歪んでいた。

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