第12話 ドブスは踏み躙られる

サングラスを外したママはすらりと立っている。立っているだけなのにオーラを感じる。


「まさか……『磯野いそのよしの』……さん? 20年ほど前に結婚して引退した……女優の……」


「今は主婦、御前みさき 由乃よしのですけどね。御子息、城君の怪我は脚だけ。酷い目にあってるようですが内臓は無事みたいですね。」


「え、ええ……でももうバスケができるかどうか……」


「今夜、この病院に運ばれたことはこの上ない幸運だったようですよ。まあ黙って結果を待ちましょう。」


「え、ええ……」


幸運? ママがそう言うならきっとそうなんだ。




1時間後。手術室から先生が出てこられた。こんなに早く終わるものなの? あっ、西条先生だ!


「手術は成功です。リハビリは明日からです。地獄の苦しみを乗り越える根性があれば再びバスケットボールもできるでしょう。」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


九狼君のお母さんは泣きじゃくっている。私ももう我慢しなくていい。こんなに嬉しいことはないのだから。


「西条先生! ありがとうございます!」

「お疲れ様。こっちの件も頼むわね。」


「やあ由乃さんに静香ちゃん。妙なタイミングで会いますね。例の件は問題なさそうですよ。」


ママと西条先生の話はよく分からない。でもそんなことはどうでもいい。九狼君からバスケが失くならないんだ。でも地獄の苦しみって……リハビリってそんなにすぐに始めるものなんだ……


「詳しくは明日の昼、リハビリ担当とご相談ください。ではお大事に。」


私とお母さんは同時に頭を下げる。ママから聞いてたけど、やっぱり西条先生ってすごいんだ。毎月私の検査をやってくれる先生。どこの病院にも勤務してなくてあちこちの病院で手術だけするために呼ばれるらしい。なのに私には一体何の検査を……?




「よかったわね。彼氏、ヤワな男じゃないんでしょ? きっと治るわよ。」


「うん。もしかしてママが西条先生を呼んでくれたの?」


「さすがに今夜いきなりは無理よ。昼に手術があったからだそうよ。」


「それよりママ、犯人って……」


「まだ何とも言えないわね。治ったら彼氏の口から聞いてみなさい。」


「うん……」


明日の放課後、改めて来てみよう。親族でもない私が術後間もないのに訪ねていいのか分からないけど、行かずにはいられない。





翌朝。駅から学校へ一人で歩く私へ嘲笑が浴びせられる。


「あはっ、ブス香のやつ一人で歩いてる」

「ついに九狼君に振られたんじゃん?」

「でも今日九狼君見た?」

「そういえば見てないよ!」

「じゃあ弁田べんだ君に聞いてみようよ!」


そうだった……弁田君にも伝えておかないと。それとももう九狼君から連絡が行ってるかな。



玄関前、生徒たちがやけに多い。そしてなぜか騒ついている。


「嘘でしょ! 九狼君が!」

「そんなのないよ!」

「なんで九狼君が!」

「ブス香のせいなんでしょ!」

「きっとそうよ! あんなやつのせいで九狼君が!」

「ちょっとブス香よ! ブス香が来たわよ!」


玄関前、壁一面に大きく黒いスプレーで落書きがしてあった……


『九狼城は御前静香のせいで両膝が壊れた』


そんな……こんな騒ぎにまでなってしまったら……九狼君の進路が……実業団側だって……


「ちょっとブス香! 何とか言いなさいよ!」

「どうして九狼君が怪我なんかしてるのよ!」

「この疫病神! あんたなんか死ねばいいのよ!」

「どう責任とるのよ!」


こいつら……九狼君の心配もしないで。こんな奴らに構っていられない。弁田君に話しておかないと。痛っ! 後ろから蹴り倒された。今までは手が腐るとか言って触れもしなかったくせに……


「ちょっと! 靴が汚れたじゃない!」

「この子の靴イヴ・サンローランなのよ!」

「じゃあ次はドルチェ&ガッバーナで蹴ってあげる!」

「よしなよー靴が腐るよー」


十人余りが私を踏みつけてくる。揃いも揃って中国製のコピー靴で。調子に乗りやがって……


「ほらほらー! さっさと謝りなよ!」

「そうそう! ブス香の分際で九狼君の彼女面してごめんなさいってさ!」

「九狼君を怪我させてごめんなさいって土下座しなよ!」

「あんたなんかのせいで九狼くっ、痛っ!」


足首を捻ってやった。別に関節技を使えるわけじゃない。力任せに捻っただけ。これだけの人間が私を踏みつけてるんだから2、3人ぐらい足を捻挫したっておかしくない。


ようやく起き上がれた私は周囲の女を手当たり次第に蹴り飛ばす。さほど重くない私でも人間の蹴りとはそれなりに威力があるものだ。


「ちょっ! ブス香のくせに何反抗してんだよ!」

「もう許さない! みんな! やるよ!」


みんな? 私の目の前には2人しか見えない。他は遠巻きにこっちを見てるだけ。


「あんたら! 見てないで手を出しなよ! ブス香にムカついてんでしょ!」

「そうよそうよ! 九狼君が可哀想じゃないの!?」


可哀想? 九狼君が?



ふざけるな……



こんな奴らに……



「ふざけないで! 九狼君のことを何も知らないくせに! 簡単に可哀想とか言わないで! 私のことは好きに言えばいいよ! いくらでもイジメたらいいじゃない! でも九狼君は可哀想なんかじゃない! 自分の力で将来を掴んだんだよ! 今日だって! 昨夜手術をしたばかりなのにもうリハビリを始めるって……九狼君を……甘く見るなぁ!」


「ブ、ブス香のくせに……」

「な、なな、生意気な……」


「どいて……」


ほっ、避けてくれた。弁田君に事情を話さないと。ほとんど話したことはないけど顔ぐらいは知ってる。体育科2年のはず。

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