第6話 ドブスはカラオケに行く
5時20分。そろそろ校門に行こうかな。今日は靴もロッカーに入れておいたから裸足で帰らなくて済む。今までもこうすればよかったのに。ロッカーに靴ってところが少し抵抗あったんだよね。
それにしても歩きやすいブーツだな。ルブタンって言ったら結構高いんじゃないかな。うちのママは不思議だ。あれだけ美人なのに私そっくりのパパを溺愛してるし。逆に弟はママそっくりで絶世の美男子。悪いけど九狼君でも勝てないレベル。なんだかなぁ……
下駄箱の前を通りかかったら私のところに何かの糞だけが入れられていた。くすっ、靴がなくて残念だったね。
5時30分。
九狼君だけでなく他のバスケ部の男の子までやって来た。私を見る目は……汚れたエリマキトカゲでも見る目だろうか。嘲りと興味を内包した妙な視線だ。
「静香お待たせ。こいつらがうるさくてさ。」
「いや、今来たとこよ。」
あ、これって1度言ってみたかったセリフだ。
「じゃあなお前ら。ほら静香、手。」
「あ、うん。」
練習後だからか九狼君の掌は熱くて少し湿っていた。
男の子達は九狼君を口々に囃し立てている。ご苦労なことだ。
「待ってる間って何してた?」
「普通に勉強してたよ。」
「そっか。静香は偉いな。将来の夢とかあるのか?」
「あるわけないよ。この顔だよ? 適当にお金を稼げる資格でも取ってのんびり暮らすことぐらいだよ。」
残酷なことを聞いてくるんだね。
「そ、そっか。でもやっぱり芯が強いな。羨ましい。」
私が羨ましいって? 九狼君も体育科だったかな。やっぱり正気じゃないんだね。私に芯なんかないのに。だから折れないのかも。
「もし、私の夫になる人がいたら働かなくていいかもね。遊んで暮らせるほどは稼げないと思うけど。」
「はは……すごいな、静香はすごいよ……俺は、自由に生きたいよ……」
「自由に?」
「あ、いや何でもない。そうだ、ドナに寄って行こうぜ?」
「ドナ? ってどこ?」
友達がいない私は学校帰りに寄り道なんかしたこともない。だからお店のことをほとんど知らない。
「そりゃあもちろん駅前に決まってんじゃん。駅前のマックドナルドバーガー。」
「あぁ、行ったことがないよ。行ってみたいよ。私ジャージだけど。」
お店なんて家族と外食に行く数軒ぐらいしか知らない。ドナか……楽しそう。ジャージにルブタンのブーツ……
九狼君との会話は楽しい。私の返事はつまらないかも知れないが、あれこれと話題はつきない。
ドナ、の入口前。嫌な顔が見えた。学校外でまで見たくない顔が。
「あら?
「おお城、お袋さんは元気か?」
「
「私達これからラグゼ・ラ・メールに行くの。城はドナ? まあ人それぞれよね。」
「邪魔しちゃ悪いな。雅子、行くぞ。」
ラグゼ・ラ・メール……高級フレンチとは名ばかりで肉の処理が下手くそで不味い、とママが言っていた。だから私は行ったことがない。
「ああ、じゃあここで。行こうか静香。」
私も一応先輩にだけ軽く会釈をしておく。二人とも私の方など目も向けてないが。
3年の
「水本先輩ってバスケ部だったの?」
さほど興味はないが話題にはちょうどいいかな。
「いや、ちょっと昔から知っててさ。それより今日は何時まで大丈夫なんだ?」
「特に門限はないよ。連絡を入れさえすれば朝帰りでも。」
そんな翌日が眠くなるようなことはしたくないけどね。私と朝帰りって……九狼君にとっても拷問だな。
「じゃ、じゃあ! この後カラオケに行かないか?」
「いいけど、私歌える曲なんてあんまりないから九狼君ばかり歌うことになるよ?」
そもそもカラオケも行ったことはない。とても楽しみ。九狼君は私に新しい世界を見せてくれる。
「よっし! 決まり! それならさっさと食べて行こう! しまったな。初めからテイクアウトにすればよかったぜ。」
私が頼んだのは一番安いハンバーガーとお茶。美味しくはないのだが癖になる味だった。これが所謂ジャンクフードというものだろうか。
九狼君に手を引かれて初めてやって来たカラオケ。店名は……ヒヨド・リゴエ? よく分からないなネーミングだな。
「よし、まずは俺から歌うぜ!」
「うん。聴きたい。」
九狼君が歌ったのはもちろん知らない曲。『タイニーズ』というグループの『疑惑のカバン』という曲だった。世の中にはこんな曲があるなんて。楽しい。
「どうだった? 静香も歌ってくれよ。」
「うん。この曲を歌ってみたい。やり方を教えてくれる?」
「おう。ん? これ、何て曲だ?」
「シューベルトの子守歌だよ。あんまり知ってる曲がなくてね。」
「お、おう……」
Schlafe schlafe holder süßer Knabe……
……schwebend dieses Wiegenband
私の歌ってどうなんだろう。男の子の前で歌うなんて緊張したせいかな。何ヶ所かピッチがズレたような気がする。
「すげえ! すげえよ静香! こんなに歌が上手いなんて知らなかったよ! しかもマイクなしで! 音楽の授業とかで褒められたりしないのか!?」
「授業中はあんまり声量を出さないようにしてるから。他の子の声が消えるし。それより九狼君の歌をもっと聴かせてよ。」
「お、おお……えらくハードルが上がった気がするけどな……」
安っぽい音響。不安定な音程。ズレるリズム。でもすごく楽しい。これがデートなのだろうか。世の男女が夢中になるのも分かる。人間にとってペア、
「はあー、たくさん歌ったな。喉が涸れそうだよ。その代わり耳が満たされた気がするぜ。」
「そう。それはよかったね。私も楽しかったよ。」
時刻は8時過ぎ。少しだけ帰るのが惜しいかな。
「なあ静香……キスしていいか?」
「いいよ。」
いきなり壁ドンしてきて何を言い出すのか……九狼君は本当に変わっている。正気を疑うのも当然だ。
「い、いいのか? 冗談じゃないんだぞ?」
「いいよ。正面から私の顔を見て、それでもできるのなら。」
あ、九狼君の右手が私の肩に。何で震えてるの。あ、正面から私の顔を見たからか。無理しなくていいのに。
「ごめん……できない……」
だよね……
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