「ナンパ?」
ある日の日曜日。
俺は華子さんと共に、電車に乗って渋谷へと遊びに来ていた。
この間まで、陰キャを絵に描いたような生活を送っていた俺が渋谷……。
その激変ぶりに我ながら少し笑えてくるのだけど、いつも地元で遊んでいるのも味気ないという事で、今日はこうして遠出しようという事でやってきたのである。
じゃあなんで渋谷なんだって言うと、別にそこに深い理由なんてない。
強いて言うなら、以前華子さんが買い物していた服屋さんが、ここにあるからというだけだ。
俺は華子さんと手を繋ぎながら、渋谷のスクランブル交差点を歩く。
初めて渋谷へとやってきたが、駅を降りてからずっと凄い人の数で、ちょっと目を離したら華子さんの事を見失ってしまいそうでどうにも落ち着かない。
そして、案の定通りすぎる人のほとんどが、華子さんのその容姿に目を奪われているのが分かった。
今日の華子さんは、黒のワンピースを着ており、ちょっとモードっぽいデザインが相まって大人っぽさもあり、オマケに唇に塗った赤いリップが更に大人っぽさを引き上げていた。
はっきり言って、そこいらのモデルなんて全く相手にならないだろうというぐらい、今日の華子さんはめちゃくちゃ綺麗なのだ。
そんな今日の華子さんを前にすると、彼氏である俺が見てもドキドキしてしまう程だった。
――まぁ、最近部屋着として拉麺Tシャツを着てる華子さんも、それはそれで可愛いんだけどね。
「むぅ、皆見てる……」
「そ、そうだね。今日の華子さん、本当に綺麗だから」
「……ありがとう。でも、そうじゃなくて……」
嬉しさと不満さが織り交ざった、微妙な表情を浮かべる華子さん。
見られている事が嫌だったのかなと思ったけど、どうやら違ったらしい。
まぁ、であれば俺がすれ違う女の子に少し見られてる事を言っているのだろう。
けれど、比率で言えば8対2が良いところだ。
勿論俺が2の方で、やはり俺なんかより華子さんの方がよっぽど周囲からの注目を集めているのであった。
◇
まず俺達は、華子さんが以前よく買い物していたというお店が入っているデパートへとやって来た。
しかしこのタイミングで、今日は朝からずっと電車に揺られてから暫く歩いていた事もあって、俺は尿意をいよいよ我慢できなくなってしまう。
なので、大変申し訳なく思いつつも、俺は急いでトイレに寄らせて貰うことにした。
こうして、ずっと我慢していたものを解放できた事の喜びを感じつつ、俺は急いで手を洗って待たせている華子さんの元へと急いだ。
「離して」
「い、いや、俺! 山田さんの事がずっと!!」
しかし、トイレから出るとそんな会話が聞こえてくる。
そして、女性の方の声は完全に華子さんの声だったため、俺は急いで声のする方へと向かう。
すると、華子さんの前には見た事のないイケメンが立ち塞がっており、あろうことか華子さんの腕を掴んでいた。
というか、モデルか何かだろうか? 正直、イケメンなんてレベルじゃないぞ……。
しかし状況から見て、これは十中八九ナンパだろう。
前にもこんな事あったよなと思いつつ、前回に比べ状況も不味そうな二人のもとへ割り込む。
正直怖いし、状況もよく分からないけれど、それでも自分の彼女が困っているのだ。
だったらここは、彼氏として勇気を出して止めなければならない。
「華子さん? どうしたの?」
「だ、誰だ君は?」
「――華子さんの、彼氏です」
「は? 山田さんの彼氏!? ちょっと君、確かにまぁ、見た目は悪くないかもしれないけど、山田さんが彼氏作るわけが―――」
「彼氏だよ」
「――え?」
「太郎くんは、私の彼氏だよ」
ナンパ男は、俺が彼氏だと言っても全く信じはしなかった。
けれど、華子さんが彼から遠ざかるように俺の腕にしがみついてきた事で、ようやく彼は本当に俺が彼氏だという事を理解したようだった。
「い、いや……山田さんは誰とも付き合わないんじゃ……」
「そんなの、勝手に決めないで。それに――太郎くんだけは特別なの」
「お、俺と彼の何が違うっていうんだ? 結局山田さんも顔なのか? だったら、そんな男より俺の方がいいでしょ! ずっと好きだったんだ! 今日ここで会ったのもきっと運命さ!」
俺のことを、特別だと言ってくれた華子さん。
しかし彼は、そんなの認められないというように更に取り乱す。
――しかし、そう易々と運命は転がって居たりはしないのだ。
「勘違いしないで。太郎くんの事知りもしないで、勝手な事言わないで」
口ぶりからして、おそらく彼は華子さんが転校するより前の知り合いか何かなのだろう。
しかし、華子さんは容赦なかった。
普段の無関心モードを通り越して、華子さんの顔にはハッキリと不快感が浮かんでいた。
「私の事はいい。でも、太郎くんを悪く言うのは許さない」
冷たく告げる華子さんは、静かに怒っていた。
俺がクラスの皆に囲まれてる時も怒ってくれたけれど、今のそれはその時以上だった。
こうして、好きな女の子を口説くつもりが逆に怒らせてしまった彼は、絶望の表情を浮かべる。
しかしそれでも、今を逃したらもう華子さんと会えるかどうかも分からないと思ったのだろう。
彼はこの場から引き下がらない。
「……ごめん、ちょっと動揺して不要な発言をしてしまったみたいだ。本当に申し訳ない。でも俺は、山田さんともっと仲良くなりたいんだ。だからせめて、連絡先だけでも教えて貰えないかな……」
「必要ないよ」
プライドも何もかも捨てた様子の彼は、押して駄目なら引いてみろといった感じで必死に食い下がる。
それでも華子さんは、全く受け入れようとはしなかった。
華子さんはたった一言、彼にはっきりとノーを告げると、そのまま「行こ」と俺の腕を引いて歩き出す。
こうして、華子さんに全てを拒絶されてしまった彼はというと、その整った顔をぐしゃりと歪めながら、悔しそうに立ち尽くしていた。
「ごめんね、太郎くん」
「いや、俺はいいんだけど、大丈夫かな」
「うん、もう会うことはないから」
「そ、そっか」
そんな会話をしながら歩いていると、華子さんは突然歩みを止めて「それにね」と言ってこちらを振り返る。
「私が好きなのは、太郎くんだから。だから太郎くんの前で、他の男の子と話したりなんかしないよ」
そう言って微笑みかけてくれる華子さんに、俺は思わず顔を赤くなっていくのを感じた。
極端ではあるけれど、そう言って俺のためにハッキリと姿勢を示してくれてる事が嬉しかったのだ。
「……だから、ね? 太郎くんも、他の子と仲良くしてたら……嫌、だからね?」
そして華子さんは、上目遣いで恥ずかしそうにそんな言葉を俺に告げる。
その姿は可愛くて、そしてそう言ってくれた事が嬉しくて、俺は思わずそんな華子さんの事を思いっきり抱き締めてしまう――。
「大丈夫だよ、俺も華子さんだけだから」
「うん……嬉しいよ……」
こうして俺達は、暫くそのまま抱き合った。
またいつ、今回みたいな事が起こるかは分からない。
けれど、華子さんと付き合っている以上、きっとまた同じような事は何度か起きるだろう。
だからこそ俺は、そんな華子さんの彼氏として、これからもずっと守ってあげられるような男になろうと改めて気を引き締め直した。
腕の中で、安心したように自分の事を受け入れてくれる華子さんのことを、これから何があっても絶対に離さないためにも――。
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