7 彼女と花の咲く丘で

俺は、まだ王宮魔道士の話を受け入れられないでいた。

ユカリは、どう思ったのか。俺と同じように、呆けた顔をしている。

宿までの道を、2人でとぼとぼと機械的に歩いていた。

ユカリも、疑問符を浮かべたまま、帰れない事実を受け入れられないでいる様だった。

俺は、なんと言えばいいのかもどうしたらいいのかもわからずに、ただユカリの隣を歩いていた。

宿に戻って、生命維持のためだけの食事をする。なんの味もしなかった。

あんなに味にも拘って選んだ宿の食事なのに、昨日までのような食べる楽しみが全くない食事になった。

食べ終えて、風呂に入って寝ようとユカリを促した。こくんと頷いて、呆けたままのユカリは階段を上る。

転げ落ちないか心配で、すぐ後ろについて階段を登った。ユカリは、呆けた状態のまま部屋に入っていった。

俺は、ユカリが扉を閉めるのを見届けて自分の部屋に入る。

ダメだとわかっているけど、気になって仕方がない。ユカリのあの呆け具合は、心配にもなる。ずっと、心ここにあらずで。

そっと壁に耳を当てると、やはりユカリは泣いていた。声も出さず、ひっそりと、まるで夜に咲く忘れられた花の様に。

緊張の糸が切れたのだろう、多分扉の前にうずくまって泣いているんだろう。

部屋を飛び出したかった、抱きしめたかった、慰めたかった。それでも、俺には慰める言葉も無いし、意気地も無い。

恐れていたことが起きたなと思いながら、何もできない俺は壁に体を預けたまま夜を過ごした。


翌朝のユカリは、俺の目にも誰の目にもひどい有様だった。

目は腫れて、乾いた涙が頬にこびり付いていて、目の下にはうっすらと隈が出来ていた。ユカリに顔を洗ってくるように言って、食堂の給仕に部屋で食べるからと用意をしてもらった。

ユカリの部屋に入ると、ボーっとしたままのユカリが目をこすっている。手を掴んでやめさせてから、濡れた手拭いで顔を拭く。

匙を手に持たせて、塩気の多いスープを手の近くに持っていくとゆっくりと匙で掬って飲みだした。

ユカリの食事を見届けて、俺は一気に自分の分を喉に流し込んだ。

食事を終えて食器を食堂に置いてから、俺はユカリに家に一度帰ろうと提案した。

父さんやばぁちゃんも現状は手紙を出しているから知っているし、結果報告も待っているだろう。ばぁちゃんなら、俺より上手くユカリを慰めてやれるかもしれない。

ユカリの心が落ち着くまで、家でゆっくりしてもいい。この数年の俺とユカリの生き急ぎ様には、きっと本心では心配もしているだろう。

俺の言葉にユカリがコクリと頷くのを見て、心底ほっとした。


家に帰ってから、父さんとばぁちゃんに報告をした。2人とも、しばらく静かにユカリを見守って過ごした。ユカリと過ごした昔と変わらない日々を、何気なく穏やかであるように。ユカリは、ばぁちゃんに縋って泣くことも減って、最近になって少し笑顔を見せる様になって、日常生活も安定してきた。

そうして日々をゆっくりと過ごすと、今年も俺の誕生日が来て4人で丘を登った。

俺は、母さんに今更ながらにユカリが帰れないことの報告と、また前の様な笑顔が見たいと自分勝手な願いを伝えた。

長く閉じていた目を開け顔を上げると、春の穏やかな風が吹いて咲き誇る花を揺らして、花弁が辺りに舞い散った。

ユカリは、長く伸びた髪を風に掬われて髪を抑えていた。

風を追う様に視線を動かすと、そこにある風景はユカリと出会ったころと変わっていなかった。

俺は、何か変われただろうか?それとも、変わってしまったのだろうか?


ユカリがまだここに居ると言うから、父さんとばぁちゃんは先に家に帰っていった。

俺はユカリの隣に立って、アカシヤの木の下から眼下に広がる景色を見ていた。

変わらない景色の中、空には昼間に見える白い月が浮かんでいた。

ふと俺は、背も高くなり、腕も太くなり、声も変わって、自分が大人の男になったことに改めて気付いた。ユカリが儚げな少女から、美しい女性に変わったことにも。

ユカリへの想いも、出会った頃とは変わっている。家に帰してあげたい、それは変わらなかった。

でも、保護的な意味合いからは変化しているし、帰したくない気持ちにもその正体にも気付いている。考えてはいけないと思いながら考えて、それでも言えなかったというだけで…

俺はユカリに今まで言わなかった、昔から変わらぬ誓いと変わっていった気持ちを伝えたいと思った。


「この先もずっと、変わらずにそばに居る。愛してる。」


言いたいことは溢れるほど思い浮かぶのに、俺の口から出てきたのは、たったそれだけだった。

とことんまで自分が意気地なしに思えて、俯いてしまう。

俺にとっては、永遠にも思える時間が過ぎた。

「伝わらなかったよな」と「振られるよな」が俺の心で混ざり合って自嘲が漏れそうになった時、そっと肘の辺りに温もりを感じた。

顔を上げるとユカリが要れの肘に手を添えて、俺をのぞき込むように微笑んでいた。


「ずっと、そばにいてもらうつもりだよ。それに、知ってる」


俺を覗き込んだまま、ユカリが悪戯な子供みたいに言うから、思わず思いっきり抱きしめた。


またここから、2人で歩く旅が、長い旅が、はじまる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その兎は月を見て歌う あんとんぱんこ @anpontanko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ