第4話 〝ボーダー〟
隼人の足取りは軽い。肩の重さは増してはいるものの、疲れを全く感じない。
今回の企画の主催が経営しているというカフェは、アーケード街から少し外れた場所にあった。とはいってもアーケード街の入り口に近く、比較的駅寄りにある場所だ。「ハリネズミのティーカップ」からは少し距離があったものの、その距離はさほど気にならず、やや迷ってしまったが無事にたどり着くことが出来た。
看板が出ているのを見てビルの地下へ進んでいく。主催が経営してるカフェ「ボーダー」は目の前だ。ようやく辿り着いた。スタンプカードを握る手に力が入る。隼人ははやる気持ちを抑えて「ボーダー」の扉を開けた。
店内はお洒落な雰囲気が漂うカフェだった。店内を一見して分かるが、客はおらず男性の店員しかいないようだ。もしやこの男性が店長なのだろうか。
ネットで検索した情報によると、始めはカフェだが夕方からはバータイムになるらしい。店内の内装もバーカウンターとボックス席に分かれており、カフェ&バーのコンセプトがわかる様相だった。
ただ、これまでのカフェとは決定的に異なる点がある。店内に広がる香りだ。紅茶やコーヒーの香りではなく、アロマの香りが広がっている。とても甘くカフェには似つかわしくない印象である。
「いらっしゃいませ。……おや、その手にあるのはスタンプカードですか?」
「え、はい、全部貯めたんですけど」
「それは素晴らしい!」
そう言うと男性の店員は手放しで褒めたかと思うと、隼人の両手を握りしめぶんぶんと上下に振る。店員は子どものような表情で喜んでいる。しかし一瞬、目が笑っていないようにも見えた。気のせいだと思いはしたが、「ハリネズミのティーカップ」の店員が言った言葉を思い出してしまう。まさかあの店員の話は本当だったのだろうかと頭をよぎるが、目の前の店員は矢継ぎ早に隼人に声を掛ける。
「いやあ嬉しいです。貴方が初めてなんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、ええ! ですのでこの上なく嬉しいです!」
店員はハッとした表情で隼人を見つめ直す。ひとつ咳をしたかと思えば、恥ずかしそうに向き直った。しかしその様子は興奮冷めやらぬといった状態である。
「取り乱して申し訳ありません。挨拶が遅れました。私は当店のオーナーを務めております
「どうも、森屋です?」
咄嗟のことで聞かれてもいない自己紹介をしてしまう。それがおかしかったのか、オーナーは軽く笑った。
「早速ですが森屋さま。スタンプカード完走の特典であるプレゼントをご用意いたします。しばしお時間を頂戴してもよろしいですか?」
「大丈夫です」
「それではこちらでお待ち下さい」
隼人はバーカウンターに一人座る。オーナーは隼人に一つローズヒップティーを出して、店の奥へ消えていく。隼人はローズヒップティーをひと口飲んだ。アロマの効果もあってか一段と甘く感じる。紅茶を飲んではキョロキョロと見渡すことを繰り返す。誰も来客のなくこのお洒落な店内に一人でいる事実に、そわそわとするのは時間の問題だった。
「森屋さま。お待たせしました。準備が整いましたのでご案内します」
オーナーが店の奥から戻ってくる。手には、ガラスでできたシュガーポットが乗せられたトレンチを持っている。しかしシュガーポットの中にはあるべき砂糖ではなく、なにやらクッキーのような茶色い小粒のものが入っていた。見た目はペットフードのようにも見える。
「それなんですか」
「ご飯です」
「誰の?」
「食べてみますか?」
質問に質問で返される。オーナーは隼人の目の前にトレンチを近づけ、シュガーポットの蓋を開けた。隼人はそれに手を伸ばして小粒を掴み、恐る恐る口に運ぶ。カリッと一つ音がする。舌触りはザラザラとしていて、クッキーのようにも思える。ただ味はしない。クッキーにしては美味しくはないし、ご飯というのであればこれで満足感を得られるものではないだろう。
「これは人間用ではありませんので仕方ないかと」
隼人が思案しているとオーナーから思わぬ回答が飛び出した。人間用でなければ何用なのだろうか、と謎は深まる。目を丸くする隼人の様子に、オーナーは悪戯が成功した子どものように笑った。
「すみません、あまりにも想像通りに引っかかってくれるものですから」
「人で遊ばないで下さい」
「失礼しました。それでは奥へご案内します」
オーナーと隼人は店の奥へと入る。先程まで居たバーカウンターのあるフロアの奥はやや広めの空間が広がっており、開放感がある席となっていた。隼人が案内されたのはその更に奥にある扉だった。そこでオーナーは鍵を取り出すわけでもなく隼人に向き直る。
「森屋さま、小説はお持ちですか?」
「持ってますけど」
「ここで開いて下さい」
「は?」
隼人は困惑する。突飛なことに頭がついていかない。驚きを隠せないものの、「キトルス」貰った小説を持っていたためショルダーバックから取り出す。そして自然な動作で本を開くと蝶の形をした栞が、息が吹き込まれたかのように立体となり浮き上がる。隼人とオーナーの周りをひらひらと飛んだかと思うと、扉に吸い込まれるようにして消えた。
「……え?」
「これで鍵が開きましたね。」
「今のって」
「ささ、こちらへ」
隼人の動揺を遮って、オーナーは扉を開きその中へ隼人を突き出した。隼人の腕時計は十三時二十分を指したままである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます