第2話 喫茶店の猫
隼人の足取りは軽い。いつもは少々煩わしいアーケード街の人々も気にならない。右手には先程のカフェで貰ったスタンプカードが握られていた。
隼人はこういったスタンプやポイントを集めるのが好きである。人並み以上に好きなのである。楓が呆れるほどそれは顕著だ。行く店にスタンプカードやポイントカードがあれば必ず貰い、以後その店の利用頻度が増える。商品やサービスを買うよりも、スタンプやポイントを貯めに店に訪れているのである。その果てに豪華な景品やサービスが待っていると思うと俄然燃えるようだ。本人は気付いていないが、あからさまに楽しんでいることが周囲にはバレている。
「動物がモチーフのカフェしか無いのか」
スタンプカードを渡された時に、アニマルモチーフのカフェが提携して行われていることを聞いているはずだが、それはスタンプカードの存在に気を取られた隼人の耳には入っていない。アヒルの横には、今行ったばかりの「キトルス」と記載されている。他にはハリネズミや猫、フクロウなどのイラストと共に名前と住所が記載されている。
「本物の動物がいそうなカフェは無理だから除外するとしても、意外とあるもんだな」
そう呟いて残ったカフェを見て、名前を地図アプリで検索する。一番近いカフェは猫がモチーフの「喫茶コラット」のようだ。「キトルス」がアーケード街を挟んだ大通りに面したビルに入っているのに対して、「喫茶コラット」は隣町寄りにある店だ。同じビルにフクロウのカフェもあったが、そこはモチーフではなく生き物がいるようなので避けることにする。楓が居たら引きずられてフクロウのカフェに居たかも知れないが、一人なのでその心配はない。
アーケード街を直進すること五分。「喫茶コラット」の前に到着した。店はビルの二階にあるらしく、少し顔を上げれば喫茶店の窓ガラスが見えた。
「いかにもって感じだ」
カフェ自体そうそう訪れることがないため二の足を踏む。しかし手にはスタンプカード。今更引くわけにはいかないのである。
「まあ、成るようになるよな」
隼人はビルの入口の立て看板を尻目に階段を上る。階段の踊り場もそこそこに、開けられたドアからはコーヒーの芳しい香りがしてくるように思えた。
「いらっしゃいませ。一名様ですか」
「あ、はい」
促されるままに窓際のカウンター席に着く。店内はほの暗く、個々のテーブルにあるアンティークなスタンドランプが光るだけだった。それでも光としては十分で、それが店内をノスタルジックな雰囲気にさせているように感じられた。
店内を見渡せば、ご年配の老人、文学少女、コーヒー片手にパソコンを使っている女性。そこにスタンプを集めたいだけに訪れた隼人。隼人が思うことは唯一つ。なんとも場違いに思えてならない。
来てしまった手前、諦めてメニューを手に取る。黒表紙のメニューには、メタリックな猫が象られている。ページを捲ると、一ページ目には表紙と同じ猫が伸びている姿と説明文が添えられてる。
「コラットって猫の種類なのか」
幸福と繁栄の象徴でシルバーブルーの毛並みの猫。それがコラット。この「喫茶コラット」にも、客と店に幸福と繁栄を願い店名につけられたと書いてある。それを軽く読みながらメニューをめくると、数種類のオリジナルブレンドコーヒーが載っていた。
「こちらお水です。ご注文が決まりましたらお声掛け下さい」
「あ、あの」
去ろうとする女性の店員を引き止める。後から店員を呼ぶのはなかなかに難しいのだ。しかし、引き止めたはいいものの注文が決まっているわけではない。
「その、おすすめってなんですか」
「本日でしたらコラットがおすすめです」
「じゃあ、それで」
「承りました」
店員からおすすめを聞きそれを注文する、無難な策ではある。店員が去ると隼人は改めてメニューを見る。先程自身が頼んだコーヒーはコラットというコーヒーだった。一ページ目にも書いていたが本来であればそれは猫の品種だが、どうやらこの店ではオリジナルブレンドに猫の名前がつけられているらしい。アメリカンショート、マンチカン、シャム、そしてコラットの四種類のオリジナルブレンドがあった。それぞれに酸味と苦味が五段階評価のバロメーターで計られており、コラットは酸味が二、苦味が四と苦味がやや強いコーヒーらしい。
隼人は困る。苦味が強いコーヒーは苦手なのだ。かといって酸味が強いコーヒーもそんなに好きではない。コーヒー自体、全国チェーン店パパーズの甘みのあるコーヒーくらいしか飲まないのである。
「お待たせしました。こちらは伝票です」
先程の女性の店員がコーヒーを運んできた。コラットとかけているのか、ブルーのコーヒーカップに入っている。
コーヒーが運ばれてきた時から香りがとても良い。甘そうなフルーティーな香り。ひとくち口に含むとその芳醇な香りが口に広がっていく。酸味はアクセント程度であり、ほろ苦さの中に隠れたフルーティーな味わいが鼻をくすぐる。そこまでしつこくもなく、スッキリとした飲み口のコーヒーに、隼人は思わず目を細める。これならば飲めると、ひとくち、またひとくちと堪能する。
「飲んでしまった……」
思わず声を漏らす。それほど飲みやすいコーヒーだったのだ。コーヒーをあまり飲まない隼人でもわかる美味しさである。隼人にとって思わぬ収穫であった。また飲みにこようと思いつつ、店員を呼び会計を済ませる。スタンプカードを出すことも忘れない。
「あの、このカードなんでしょうか? うちの店名も書いてますけど」
「えっ」
おかしい。「キトルス」の店員はアーケード街のカフェが提携して企画したようなことを言っていなかっただろうか。それを店員に伝えると、店長に確認しに行くと奥に引っ込んでしまった。
「なあお」
突如聞こえた声に驚いて振り返る。ここは窓際のカウンター席である。声がした方には窓しか無い。窓の先も何かが通れる場所など無いのだ。よって、声がすることはありえない。
「俺の聞き間違い、か?」
隼人は首を傾げながらも水を飲む。後ろから声がかかり、やや背が高くティアドロップの眼鏡を掛けた男性がそこに居た。
「大変おまたせ致しました。当店の店長です。こちらスタンプを押させて頂きました」
「これ、企画やってるんですよね?」
「ええ、勿論」
そう言うと店長は、隼人の顔にずずいと近づきながら眼鏡の縁を押し上げ、スタンプカードを渡してきた。あまりに顔を近づけてくるため、隼人は体を仰け反らしながらスタンプカードを受け取る。
「あの、もう帰るんで」
「ええ、またのご来店お待ちしておりますよ」
店長はようやく顔を離すと、そそくさと帰り支度をする隼人をにこやかに見送った。
隼人は、二度目はないと心に決めた。
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