まぼろしのカフェ
小鳥遊あくた
第1話 ラバーダックとパンケーキ
隼人とその妹・
そんな隼人のことはお構いなしに、店員に席へ案内されると、楓は可愛らしい赤のスケッチブックに書かれたメニューを開く。
「隼人
「ああそうだな」
隼人はおざなりに返答する。どうにも落ち着かなく、チラチラと店内を見る。
店内に響くポップなBGM。見回せば至るところに大中小さまざまなサイズのアヒルがいた。いわゆるラバーダックと言われるアヒルのおもちゃである。
隼人がラバーダックを見たのは、幼少期にお風呂で遊んだ以来だと思った。少々懐かしさを覚える。それが、窓際に列をなして飾られていたり、丸いガムでも出てきそうな球体のガチャガチャに、溢れんばかりに詰め込まれていたりしている。
アヒルはテーブルの上にも何匹もいて、それを掴むとそれとなく弄ぶ。同じようなアヒルは、入口付近のテーブルにある木箱にも詰め込まれているらしい。女子二人組が楽しげにアヒルを選んで自分のテーブルへ持っていく様子が伺えた。
「このホイップ山盛り夏空のパンケーキを一つください。あっでもこのアボカドチーズとベジタブルパンケーキも美味しそうだしな……」
楓はいつの間にか呼んでいた店員に注文を始めた。隼人はちらりと見ただけでよく分からなかったが、なかなかにボリューミーなパンケーキを頼んだということだけは分かった。インスタ映えか、と一人納得する。
楓が座っている先を見ると本棚が目に入った。本棚があるということは本があるかもしれない。隼人はすっと立ち上がる。
「隼人兄どこいくの?」
「ん。本棚のとこ」
「本棚? あるんだ」
「奥にあった」
隼人は適当に相槌を打ちそそくさと本棚のもとへ行く。本を手に取ると安心したような表情をして、本棚のラインナップを眺めた。二〇〇〇年代の作家から一九二〇~一九五〇年代のいわゆる文豪の作品まである。近代文学に交じって、隼人がお気に入りの現代作家である、堺伸太郎の『アヒルとバッタのプール』があることにくすりと笑った。それも初版の限定版のようだ。この小説に登場する蝶野という女性が持つ、物語の重要な鍵を模した栞が挟まれていたのだ。
「本はお好きですか?」
本を開いたと同時に、ふと甘い香りがした。振り返ると、青年の店員がにこりと隼人に笑いかけた。いかにも童顔イケメンといった風貌で、ラウンドの眼鏡がよく似合っていた。まさか声を掛けられるとは思っていなかった隼人は、動揺しながらも頷いた。
「当店では、一冊でしたらお持ち帰りが可能ですのでよかったら」
「はあ、ありがとうございます」
「ご注文が出来ましたので、ぜひ本と共にお楽しみください」
青年の店員はそれを告げると再び微笑み、厨房に戻っていった。
なんだったのかと呆気にとられる。それに加え、隼人には何故か、青年の店員の目の奥が笑っていないような不気味さに息が詰まった。
厨房に戻る店員の脇で黄色い声をあげる女性の声を聞き、ハッと我に返る。一つ息を吐き出すと、自分のテーブルへ向かうことにした。すると楓が戻る隼人に早く戻るように手招きをしているのが見える。今度はため息を吐くと、先程手に取った本を片手にテーブルへと戻った。
「注文来てるよ! 早く食べよ」
楓の目の前にはミルクティーと、てんこ盛りのホイップクリームにベリーソースが上から掛けられたパンケーキがあった。
隼人の席の前にはコーヒーと、アボカドチーズとベジタブルパンケーキが置かれていた。
ベジタブルと銘打つだけあって若干緑色のパンケーキの上に、大胆に置かれたアボカドと、種があった窪みから溢れるチーズがレタスに流れ込んでいた。
「ねえねえ、さっきの店員さんと何話してたの?」
楓は身体をずいっと乗り出して隼人に尋ねた。ホイップが服に付きそうだったので指摘すると、楓は座り直して再度尋ねた。
「なんでも無いよ」
「なんでも良いの!」
隼人は本を片手で持ち上げる。
「本、一冊だけなら持ち帰っていいってさ」
「へー。それで他には?」
「お楽しみくださいってだけ」
「えー」
楓は残念そうな顔でパンケーキを切る。それを口に運ぶと、いかにも美味しいですと言わんばかりに頬に手を当て食べ進めていく。どうやら興味は店員の話題からパンケーキに移ったようだ。
隼人も本を置くと、一口水を飲んでからベジタブルパンケーキを食べ始めた。アボカド特有の青臭さは少なく、チーズと共に食べるとまろやかになる。パンケーキも、ほうれん草がベースに使われているためか野菜としての主張は少なく、トッピングとも相性がいい。レタスもみずみずしくトッピングを挟んで食べるのも美味しいだろう。
「ごちそうさまでした!」
「早食いは太るぞ」
「隼人兄、だから彼女出来ないんだよ」
「関係ないだろ」
楓の言葉を聞き流しつつ残りのパンケーキに手を付ける。楓は一人食べ終わって満足したのか、メニューを再度開き次に何を食べたいのか見ていた。
隼人は三分の一を食べたところでフォークとナイフを置く。味は美味しいがチーズの重量感もあり、隼人にとっては多く感じられる。コーヒーをひと啜りして一息つくと楓に声をかけた。
「楓、まだ食べれるか?」
「まだ半分も食べてないじゃん」
「ギブ」
「早くない?」
そう聞くやいなや楓は、仕方がないと慣れた手付きで自分の皿と隼人の皿を交換する。隼人からしたら、あれだけ食べたのにまだ食べられることが不思議でならない。
楓が隼人の分も食べ終わると会計に向かう。会計はテーブルで行われるシステムのため店員を呼ばなければいけないが、生憎手が空いている店員は先程の青年だけのようで隼人は躊躇う。そんな隼人をよそに楓は青年の店員を呼ぶ。呼んでしまったのは仕方がないため、会計お願いしますと伝え予め用意していた料金を渡す。青年の店員はレジへ行ってレシートとカードを持って戻ってきた。
「スタンプカードはお持ちですか?」
「無いですけど」
「ただいまアーケード街にあるアニマル系のカフェが、提携してイベントを行っていまして」
「イベント」
「ここに記載のある店舗のうち、うちを含めて三店舗回ってスタンプを集めて頂くと、主催の店でまぼろしのプレゼントを差し上げています。よければ集めてみてください」
隼人はレシートとともにスタンプカードを受け取る。そのカードにはハリネズミや猫、アヒルなど複数の動物がポップに描かれている。
「隼人兄よかったじゃん。こういうの好きでしょ」
「好きじゃない」
「素直になりなって」
楓に茶化されながらも財布にはレシートを、スタンプカードをパーカーのポケットにしまった。本をショルダーバックに入れるのも忘れない。建物を出ると、ピポンと音が鳴る。楓のSNSの通知音だ。
「アヤコが近くにいるんだって! 私行くね」
隼人が言葉を発する前に楓は走り出してしまった。
一人置いていかれた隼人。楓の計画性のない行動はいつものことのため、今更驚きはしない。隼人は時計を確認する。針は十三時二十分を指していた。それを見ると隼人は深く息を吐き出し、自身もアーケード街を歩き始める。パーカーのフードに黄色の物体が潜んでいることに気が付くことはなかった。
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