Remember-09 二者択一/選んだ答えは

 ……こういう時は、どうやって訪ねるのが正解なのだろうか。

 相手は目上の人ではないし、年上でもない。相手は異性だが、別にそんなことを気にするために訪ねに来たのでもない。

 この心情を例えるなら、決闘状を渡されて待ち合わせた場所に向かっている道中のような、穏やかでいられない気持ちだ。決闘状なんて渡された経験は無いけれど、多分そんな感じ。


『……どうしたんだ、部屋はそこであってるぞ?』

「いや、分かってる。覚悟は決まってるしシャーリィと向かい合う勇気も持った。ただ、あと一歩進む勇気が無いだけで」

『私は記憶喪失だけど、そういう人間を“臆病者”と呼ぶことぐらいなら知っているぞ?』

「……むむ」


 目の前にはシャーリィがいるであろう寝室の扉。一歩どころか、右手を伸ばしてノックするだけで後は流れるように話は進む筈である。

 ……だが、この臆病者はここまで来て踏ん張りが効かずにいたのだった。我ながら骨なしチキンな奴である。そんな俺を見て呆れたのか、ベルは小さくため息を吐いた。


『しょうがない、いらないお節介だろうけど……シャーリィ、入っても良いかい?』

「あ、ちょっとベル!?」


 心構えがまだだというのに、なんてことを……!? 落ち着いてから挑もうと思ったものの、もう声をかけてしまったので手遅れだ。現にドアの向こうからはベルの声に反応するように物音が聞こえてきた。


「……今のはベルの声ね。入って良いわよ、二人とも」


 ドアの向こうからゆったりとした口調で許可が下りた。このままだと時間がかかるからとはいえ格好悪いな、自分……

 心の中でけっこう落ち込みながらも俺は弱気な心に活を入れて、ドアノブを押して慎重に室内へ進んだ。すると――


「……シャーリィ? 何をしているんだ?」


 寝室に入ると、シャーリィはテーブルと向かい合って何かをしていた。どうやら火を使っているらしく、テーブルの上で青い火が揺れている。俺が訪れる前から点けていたのか、室内は火の熱気でほんのりと温かい。


「折角なんだし、私お気に入りのお茶でも振る舞おうと思ってね。取り敢えず座っちゃって」

「お茶って……シャーリィはいつもそんなものを持ち歩いてるのか?」


 シャーリィの言うとおりにテーブルの席に座る。このお湯を沸かしている道具一式やティーセットだと思われる物は、多分この宿に備え付けられている道具なのだろう。

 しかし、俺の部屋にはお茶なんて無かったので、恐らくお茶は彼女が持ち込んだ物だと思う。そんな物を持ち歩くのは結構かさばると思うのだが……?


「流石に肌身離さず持ち歩いている訳じゃないわよ。ほら、夕食に行く前に私だけで出かけていたじゃない。今年摘んだお茶が最近入荷したって聞いたから買ってきたの」


 持ち歩いても良いけど、流石にそれは贅沢だから。なんて言いながらシャーリィは沸いたお湯を陶磁器のティーポットに注ぐ。そのまま手慣れた手付きで蓋をして、テキパキとお湯を注いでティーカップを温める。


『……ずいぶんと手慣れているな』

「確かに。ひょっとしてシャーリィはお茶を入れる仕事をやったことがあるのか?」

「仕事なんてやったこと無いわ。これは私の趣味で、続けてたら身についただけ。これぐらいの事をできる人はこの王国に少なくないと思うわよ」


 上機嫌に語りながらシャーリィはティーカップのお湯を桶に捨てて、茶濾しをカップの上に乗せてティーポットを傾ける。間もなくして温まったティーカップに茜色の液体が静かに注がれた。

 ……部屋の中を爽やかで芳醇な香りが満ちる。香りを乗せた蒸気が水面から立ち上って頬を撫でた。


「さっきは脅すような言い方して悪かったわね。あれはユウマが本当に知りたいのか確かめるための演技だから」

「……演技ぃ? アレがぁ? ものすっごく冷や汗をかいたんだが……」


 間違った選択をしたら、手元のフォークが急所目掛けて飛んできそうな目つきをしていたが、アレで演技ですか、そうですか。ちょいと演技に力入れすぎじゃないだろうかシャーリィさんや。


「ごめんなさいって。これはそのお詫びと……ユウマが臆することなく来られたご褒美ってことで」

「……もしも俺がシャーリィの怖すぎる演技にビビって、部屋に閉じこもったりしたらどうするつもりだったんだ」

「だからごめんって言ってるじゃない。別に来なくたって取って食う訳じゃ無いわよ。猟師とカラスの童話じゃあるまいし」


 笑いながらシャーリィは俺と向かい合うように席に座った。

 その猟師とカラスの童話というものがどういった話なのかは分からないが、そんなことをそこまで深刻に考える必要はなさそう。多分取って食うお話なんだろうなぁ、ってのは推測できるが。


「先に話しておくとね、貴方はこの王国の住民として暮らしていけるようにしてあげようかなって思ってたの。戸籍を作らせる程度なら手伝おうってね」

『……? シャーリィ、私は関係ない身だがちょっと口を挟ませてくれ。どうしてそこまで手を焼こうとするんだ? シャーリィにとってユウマは行き倒れたところを保護しただけの人間だろうに』

「別にそれぐらいなら手を焼いたなんて思わないわ。権利とかそういう厄介な部分だけを助けてあげて、後は全部丸投げよ」

「丸投げ……」

「そ、私がやることをやった後は働いて誠実に生きても、その辺で野垂れ死んでも私の気にすることじゃない。そういう考えよ」


 平然とシャーリィはそう言ってのける。語る表情は至って普通で、それが冗談なんかじゃないことを俺は密かに感じ取った。


「酷いことを言わせてもらうとね、私は“人を助けた”っていう満足感だけ十分なの。助けた人間が記憶喪失の戸籍無しだとしても、一人の人間として生きてくために必要なことだけを手伝う。その達成感だけで満足するから、その後はどうでも良い」


 それが彼女の価値観。そして、その生きようが死のうがどうでも良く思われるであろう人間が今の俺だと嫌でも理解できた。

 ベルは彼女がとても強い人だと言った。少しでも関わりの持った人が死んでも関係ないと割り切れる彼女の心は信じられないほどに強い。

 ……だというのに、何故だろうか。それを聞いてどこか何故か同情するような、少しだけ悲しい気持ちになる。


「……ちょっと話が逸れちゃったわね」

『ごめん二人とも、私が口を挟んだばかりに』

「いや、俺が聞きにくいことを聞いてくれてありがとう」

「そうよ、ユウマが怖がって聞けないことはどんどん聞いても良いわよ」

「ぐぅ……」


 入室する時に臆病風に吹かれたツケがここで回ってきたとでも言うのか。当然俺に反論することはできないので、仕切り直しにティーカップを両手で包むように持ち上げて注がれたお茶に口をつけた。


「……ん、なんて言うか上品な味がする」

「美味しいって意味で受け取るわ」

「なんだろう、白湯と違ってほんのりと加えられた渋みに、立ち込める香ばしくて気高いようなそんな香りが最適に合わさって――」

「あー、あー、あー。分かった。そこまで喜んでくれて良かった。人にお茶を淹れるのは初めてだったけど、流石は私ね。良い腕してるじゃない」


 自分で自分を褒め称えるのって恥ずかしくならないのかな――と言おうかと思ったが、今はこのお茶を味わいたいのでやめた。

 ……美味しい。必要だから取る食事が美味しいとか、そういうものじゃない。ただ美味しさを味わうためだけにこのお茶は存在しているような、そんな贅沢な感じ。本当にこれ美味しい。


「……さて、本題に入るわよ。貴方が聞きたいのは不思議な力――つまり、これのことね」

「……!」


 彼女の声を聞いて少し遅れて紅茶から目線を上げると、まるで体から火が噴き出したみたいにシャーリィは燐光を纏っていた。

 一体どうやったのかは分からないが、薄暗い室内を燐光がぼんやりと照らしていて、その宙を漂う燐光は綺麗でとても神秘的な代物のように感じられた。


「シャーリィ、俺もちょっと違うけど似たようなことができるんだが……えっと、刃物を借りても?」

「別にやらなくて良いって。ってか本来はそんな気軽にする代物じゃないのよ」

『ユウマに指示をしたのは私だが、私もよく分かっていないんだ。ああすれば力を発揮できるってことだけを覚えていて……』

「……なんだ、分かっててやったわけじゃなかったのか……そうね。それなら貴方はそれがどういった代物なのか最低限知る必要がある」

「でもそういう話は交換条件で教えるって……」

「これぐらいは良いわよ。むしろ知らずに使われて大惨事でも起こされたりなんかしたら大変だわ」


 そう言ってシャーリィはティーカップの小さな取っ手をつまんでお茶を飲んだ。

 ……不安で俺が飲む時は使わなかったが、このカップの取っ手はつまんだりして大丈夫なのか? 重さでポッキリ折れてしまったりしないのか? 不安しか感じない。


「私のこの燐光も、あの時貴方が体から溢れ出させていた“力”も全く同じ代物なの。見てくれは少し違うみたいだけど、そこまで大きな違いがあるわけじゃない。個人の体質で現れ方が違うだけ。本当はもっと特徴的な現れ方をする筈なんだけど……この辺の話は良いか」

「? 見た目が全然違うのに、違いがないのか? 俺の時は……もっとこう、シャーリィのより地味な感じだった気がするけど」

「ええ。それは簡単に言ってしまえば“体から零れ出た生命力”のようなもの。声や耳の形みたいに生命力も人によって違うの」


 まあ、細々と違いはあるけどこれも省くわね。と付け加えつつシャーリィは更に掘り下げて説明を続ける。


「それで肝心の“コレ”が何なのかについてだけど、人が作り出せる生命力が100だとしたら、一方で使える生命力は60程度みたいに、どうしても使える生命力には限界があって余りが存在する。その本来だと無駄に作られて使われずに消える40程度の生命力を使っているのが今私の纏っている物の正体よ」

『任意で火事場の馬鹿力を発揮しているような感じか?』

「そうとも言えるし、違うとも言える。少なくともそんな体に負荷はかかってはいないわよ。むしろ保護される感じって言えばいいのかな」


 漂う燐光に触れながらシャーリィは説明する。

 確かに不思議な力を行使していた時は底力が出ていたというか、普通よりも体が動かしやすかった気がする。改めて考えると、あんな怪物にのしかかられたら普通は60程度の力だと抵抗できずに潰れてしまいそうだ。


「で、どうすればユウマも私みたいに生命力を纏えるか、そのやり方なんだけど――死ねばいい」

「……ゑっ、おい待てちょっとマテ。何その……何?」


 いきなり暴言吐かれたんですけど。それも真顔でさも当然のように。一方シャーリィは相変わらず紅茶を片手に続ける。


「もうちょっと別の言い方をすれば、死ぬ思いをすれば出来る。ベルの言った火事場の馬鹿力ってのはあながち間違いじゃないわね。だけどもっと確実に出来る方法は――」


 腰からピン、と勢いの良い金属音を鳴らしてシャーリィは短剣を取り出す。その短剣を自身の首元に軽く当ててみせた。


「血管よ。脈打っていて、体の正中線に近い場所。そこを刃物で切り裂くようになぞるだけ」

「刃物を……首元に」


 思わず首元を指でなぞると、チクリと痛みが走った。あの時に傷が付いたのか。

 幸いにも首の傷は変に熱を帯びたり痛んだりしていない。かさぶたになっているのでそのうち治るだろう。


「気軽にする代物じゃないってのはそういう訳でもあるの。なぞるだけって言ったけど結構スレスレだし、うっかり深く切ったら大出血よ」

「それは確かにそうだな……気軽にできることじゃないってのは分かった」

『でもシャーリィはそんなことしなくてもできてるじゃないか?』

「私は……なんでだろ。私もよく分かってなくて……それに関しては例外なんだって思って欲しい。聞かれても分からないから」


 そう言いながら本当は何か秘密を隠している――という訳ではないらしく、何かを恥じらうように目を逸らして頬を掻いていた。

 今までの感じからして彼女は謎をハッキリさせたがる性格みたいだし、自分自身について知らないことを恥じているのだろうか。


「……こほん、私のことはともかく説明の続きね。あたかも自分を殺して、まるで別の存在に生まれ変わったかのような力を振る舞う。この首元を切って余った生命力で肉体を補強している状態ね。コレは誰にでも出来ることじゃない。限られた人間ができるコレを私たちは“転生”って呼ぶわ」

『“転生”……? その燐光を纏ってる状態を、そう呼ぶのか?』

「そう。こうして生命力を纏ってる間は他の人よりもずっと身体能力が優れてる状態で、人間以上の力が出せる。これが別の存在になるって言われる由縁ね。原理なんだけど、一部の人間には生命力が体の外に漏れ出さないようにしているエーテル体とアストラル体っていう見えない層がハッキリと体を包んでいるの。で、その二つの層の隙間に生命力を内出血させるみたいにすることで――」

「……あ、ああ。そういう……うん、うん?」

『すまないシャーリィ、ユウマが混乱してるから待ってくれ』


 ……正直に言って、訳が分からない。シャーリィの説明も訳分からないけど、“転生”そのものに対しても。未知に強い興味と好奇心が湧いてくる半面、現実的でない事実に俺はどうするべきなのかが分からない。

 素直に受け取って信じるべきなのか、あるいは信じられないと跳ね除けるべきなのか。少々混乱してしまって、正しい選択肢が見えなかった。


「一気に話しすぎたか……お茶のおかわりがあるけど飲む? ちょっとは落ち着くわよ」

「…………ありがとうシャーリィ、頂きます」


 すっかり冷えてしまったティーカップに茜色の液体が注がれる。今度はシャーリィの真似をして、この頼りない取っ手を摘んで飲んでみる。

 ……うう、飲みにくいなこれ。力の入れ方が難しい。ステーキ肉を前にして、フォークで突き刺せば良いものを、わざわざピンセットで摘むような無駄手間をしている感覚。


「……考えてみれば説明も区切りの良い所か。これ以上の説明は複雑になりそうだし……続きは約束通り、交換条件になるわ」


 シャーリィはティーカップの水面を眺めながら俺に向けてそう言い放つ。

 こちらからすればさっきまでの説明も想定外の儲けものなので、文句なんて一つも無い。しかし、これ以上に聞ける話が――俺の期待を裏切らない話を聞けるというのか――


「魔法とスモッグに関して、私の知っている限りを全て話す。貴方が聞きたいであろう話は迂闊にどれも外に漏らせるものじゃないから、聞けば身柄を自由にさせる訳にはいかなくなる。交換条件にしたのはそれが主な理由ね」

「その必要な約束って? それを聞かないと答えようがない」

「……そうね」


 気迫に押されまいと答えると、シャーリィが手にしていたティーカップが小さく音を立てて受け皿の上に置かれた。それから一息だけつくと、俺をまっすぐとその新緑色の瞳で俺を捉えて、


「――あなたに約束してもらうことは一つだけ。私の願いが叶うまで、仲間の一人としてとことん付き合ってもらうわ」

「…………?」


 シャーリィが知りうる情報との対価として出された提案。その内容を聞いて、俺は聞き間違えたのではないのかと思わず疑ってしまった。


『あれほど言っておきながらシャーリィと一緒に行動するだけで良いのか?』


 しかし、ベルがそれについて尋ねたことで今のが空耳なんかではなく、本当にシャーリィが提案した対価なのだと改めて理解する。

 ベルも思わず聞き返しているが、本当にそんなことで良いのだろうか? 別に情報の等価交換として提案する程の内容じゃないのではないだろうか。そう考えていると、シャーリィは静かに首を横に振った。


「言ったでしょう、“聞けば身柄を自由にさせる訳にはいかなくなる”。私は私の目的を達成する為に動いて、貴方も私の為に動くことになる。貴方の目的はどうしても二の次、三の次になる」

『そのシャーリィの言う“目的”について教えてくれないか』

「……ごめんなさい。説明不足なのは分かってる。けれど、それについてこれ以上はどうしても話せない」

「シャーリィ、それはどうして」

「……ただ単に、これ以上知る必要なんて無いからよ。知る必要なんて貴方たちには無いんだから」

『シャーリィ、いくら何でもそんな――』

「いや、良いんだベル。それなら仕方ない。シャーリィも嫌がらせで話さないって訳じゃなさそうだし」


 ただ単に、とシャーリィは言っているが、その表情からは微かに不安の感情が見えた気がした。口にはしていないが“生半可な覚悟ならこれ以上踏み込まないで”と訴えかけられているような気がする。

 これ以上知る必要なんて無い、なんて言葉も俺たちを突き放す発言という感じでは無く、俺たちを気遣っての発言のように感じたが……?


『……そうか。ならユウマ、この話は無かったことにするべきだ』

「ベル……? どうして」


 ベルの発言に思わず驚きの声が出る。お互いともあれほど仲良くしていたのに、ベルがこうもあっさりと断るとは思わなかった。

 断るとしても、俺とは違って何かと思慮深く考えて判断するベルなら少しぐらい悩んだりするんじゃないか思っていたのだが、こうもキッパリ言うとは……


『良いか、考えるまでもない事だぞユウマ。私たちの目的は“記憶を取り戻すこと”だ。内容は分からないけど、シャーリィの目的とは全く違う物だと断定できる』

「確かにそうだけど……」

『シャーリィが何のために旅をしようと思っているのかは知らないが、私たちは私たちの目的があるんだ。幾ら恩があるとはいえ、何も私たちの目的を蔑ろにしてまで助ける必要はない』


 ベルの言っていることはどれも正しい。シャーリィの目的に合わせて行動すると言うことは、つまり俺たちの“記憶を取り戻す”という目的に支障が出てくる。

 ひょっとするとシャーリィと共に旅をしていれば、どこかで自分を知る手がかりを見つける機会があるかもしれないが、その逆の可能性無意味に終わることだってありえる。


 ……だからこそ、俺は迷っている。

 どちらが損得なのか分からないから決断が下せずにいる。今まで助けてくれたシャーリィを手助けしたい良心と、ベルの力になるという決意が相反してしまっている。


「そうね、ベルの言う通りよ。私は私の目的で動く。こっちだって目的に必死な訳だから、多分ユウマたちの目的を手伝う余裕もないでしょうね」


 こちらもまた意外なことに、シャーリィはいつもの調子でベルの意見を肯定した。

 ベルもまさかシャーリィが肯定するとは思わなかっただろう。ベルは驚いた表情でシャーリィを見ていて――俺はそれ以上に驚いていて、さっきからベルとシャーリィの顔を交互に見ることしかできないでいる。


「それじゃ、ユウマ。これが私たちの意見だけど、貴方はどうする? 二人で勝手に話していたけど、決定権を持つのは貴方よ」

「…………」


 知りたいことを知るために、シャーリィの手助けをするためにこの提案に乗るか。ベルの言う通りに俺たちの目的の為に断るのか。

 葛藤で頭が軋む中、シャーリィはそう言い放って俺に自由とそれに伴う責任を、何時ぞやの紙束のように大雑把に投げ渡してきた。


 ……いつまでも迷ってはいられない。優柔不断な心を捨てて、俺は二つの選択肢を前にもう一度向き合って悩んだ。

 どちらを選んでも拾うのは一つ、失うのも一つ。それなら、どちらが俺にとって後悔しないかが決める要因になる。どちらの選択が自分の本当の存在意義を果たせるのか。俺は考え、答えを出した。


「俺は……シャーリィについて行けない。シャーリィのことは手伝いたいけど、今は俺たちの記憶を取り戻さないといけない。申し訳ないけど、この話はなかったことにさせて欲しい」

「……そう、分かったわ」


 ……散々考えていたけど、改めて考えてみたら俺自身の損得なんて初めから考えていなかった。選んだ理由は、どちらが“こんな俺でも役に立つことができるかどうか”だった。

 同じ記憶喪失した身として、ベルがどれほど不安なのかが痛いほどに分かる。同じ境遇の自分なら、少しぐらいは彼女の気持ちに共感して不安を和らげることができるかもしれないし、自分の足で探しに行けない彼女の足として代わることができるんじゃないか、なんて思った。


 理由はそれだけ。折角こうして誘ってくれたシャーリィに対して、彼女の頼みを無碍にしてしまったような申し訳なさを感じてしまうけど、俺が選んだのはこっちの道だ。


「そういう訳だから、ごめんシャーリィ」

「……どうしたのよユウマ、その申し訳なさそうな顔は。それに謝るだなんて……ひょっとしてまだ悩んでるの?」

「そりゃ、ちょっとはそう思うって」

「一応言っておくけど、そういう中途半端な気持ちで選ぶと、選ばれた方も選ばれなかった方も嬉しくないわよ。口で一つを選んだのなら心でも一つに決めなさい。断られた側として言わせて貰えば、そういう中途半端なのは勘弁して欲しいわ」


 いつもの前向きな笑顔でシャーリィは、とても彼女らしい後腐れのないさっぱりとした言葉を告げてきた。


「……確かにそうだ。さっきの謝罪は無かったことにしてくれ、とんでもない失言だった。ありがとな、シャーリィ。淹れてくれたお茶、とっても美味しかった」

「お粗末様。また機会があれば淹れてあげるわ」


 シャーリィは俺の選んだ選択を残念に思うどころか、むしろ未だに迷っていた俺の背中を押した。

 ……本当にお人好しな性格である。自分にはきっと、彼女みたいに誰かの背中を押す真似なんてできっこないだろう。


「実を言うとね、少しだけ安心しちゃった。平穏に暮らしながら気長に自分のことを探していれば、きっと貴方たちは記憶を取り戻せると思うわ」

「……ありがとう。それじゃあ、俺はそろそろ自分の部屋に戻る」


 シャーリィとの交渉は無かったことになった。それはつまり、この部屋にいる理由が俺にはなくなったということだ。

 俺はシャーリィに一言告げると、残ったお茶を飲み干してから席を立つ。少し冷めてしまったお茶だが、それでも良い香りがした。


「お休みなさい、ユウマ。明日この街を案内してあげるわ。歩き回るだろうし、しっかりと疲れを取っておいて」

『おやすみ、また明日』

「ええ、ベルもまた明日ね」


 シャーリィの部屋から出て扉を閉める。

 ……扉が完全に閉じる直前、手を振っているシャーリィの姿が一瞬だけ見えた。


「……安心した、か」


 あの時、シャーリィが口にした台詞を思い出す。何か意味深なものが含まれているような気がするあの言葉に込められた意味を、考えても分からない癖にぐるぐると考えてしまう。


『ユウマ、後悔しているのか?』


 ポケットの中から少しだけ悲しげな声が聞こえた。ガラスを取り出してみると、何故かベルは申し訳なさそうな顔をして俺を見上げている。


『もしかしてユウマ、私に気を遣って断ったんじゃないのか……? 確かにあんなこと言ったけど、ユウマは自分がしたいようにして良かった――いや、そうじゃないと駄目だ。私はこうして口だけで行動できないような奴だ。そんな奴の言葉なんて――』

「……いや、それはない。後悔なんてしていないし、ベルに気を遣った訳でもないよ」

『ユウマ……』


 ただ、そうした方が良いんじゃないかと思っただけ。

 ベルの力に一番なれそうなのが自分だと思ったから、こうして選んだだけだ。それに彼女に言われた通り、決断してから中途半端に迷っていたらシャーリィに失礼だし、ベルに対してはもっと失礼だ。だからそんなことは考えもしない。考えてはいけない。


「早く戻ろうか。シャーリィが言った通りに明日は本当に歩きそうだから」

『……うん、そうだな。ユウマがぐっすりと眠れるように子守歌なんて歌ってあげようか?』

「ほう、選曲は?」

『……しまった、忘れているから歌えなかった』

「なんで提案したのさ」


 ベルのおかしな発言に突っ込みを入れながら、俺はガラスをポケットに入れて自分の部屋に向かった。


 ……この選択肢はきっと、間違いなんかじゃない筈だ。

 だから今更そんなことを考えていないで、これから自分を知る方法について考えていかなければ――

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