Remember-10 二者択一/自分への手がかり
日は既に山を乗り越えている。だけど空はまだ紺色が多く、風はひんやりと冷たい。夜間は結構冷え込んでいたみたいだ。
異世界で目が覚めた時からずっと着ている上着のお陰で、吹き付けてくる風を受けてもそこまで辛くないが、素肌に当たる風は寒かった。
「……おなか減った」
「仕方ないじゃない。あそこの宿、朝食が宿泊費に含まれていないんだから。というか店主が寝ているんだから。別の場所で済ませましょ」
『とは言っても、まだ早朝だからお店は開いてないんじゃないのかな』
「ひもじい……」
寒さとは別の理由で腹を腕で包みながら俺は不満を呟く。そんな俺を見てシャーリィは口を尖らせていた。
こんな寒い中でもシャーリィは上着などは羽織らず、昨日とほとんど同じ格好だ。一応、指先から二の腕ぐらいまでの長さがある黒い長手袋を身につけてはいるけど、それでもまだ寒い筈。
……それと、穿いたことないから分からないけどスカートって風が吹き込んで寒いだろ、絶対に。
「シャーリィ。歩き回るってのは覚えてるけど、予定の詳細を何も聞いていないんですけど」
『そうだな。わざわざこんな早朝に出発した理由も聞いておきたい』
「えっとね、最初は服を取り扱っている店に幾つか行ってみようかと思うの」
「……? 服を買うのか?」
そう尋ねながら、改めてシャーリィの服装を観察する。二の腕とか太ももとか、明らかに露出している部分が気になる。
昼間はともかく、早朝は寒いのだからシャーリィは着込んだ方が良いだろう。昨日の夜にベルが『女性は体が冷えやすいんだ』とか言ってたし、表情には出してないけど実は我慢しているのでは……?
「違うわよ、そんなつもりじゃない」
あ、そうですか。
正直に言うと、彼女の格好は見ているだけで寒くなるから、そのつもりでいて欲しかった。
「それじゃあ、何で服屋に? それも何で幾つか回るんだ?」
「そりゃ、ユウマの身元が分かるかもしれないからよ。まあ、見込みが無さそうなら一件限りで終了だけど。因みに早朝なのは時間がかかりそうなのと、人混みが少ないからね」
「……尚更なんで?」
シャーリィの発言の意味が理解できず、俺は首をかしげる。俺と服屋に一体何の関係があるのだろうか。考えても全く分からない。
「貴方のその着ている上着があるじゃない。それ、この辺りで一度も見かけたことがないわ」
「……? そうですかい」
「……あー、私の言いたいことがまだ分からない?」
シャーリィの呆れた問いに対して、頷いて肯定する。
「私の言いたいことはつまり、そんな珍しい服なんてその辺でホイホイ売られている代物じゃないし、何より……」
「……うわっ、シャーリィ何を」
シャーリィが俺に迫ってきたかと思うと、突然俺の上着の端を掴んで引っ張ってきた。
突然のことに驚く俺に対してシャーリィは至って冷静だ。俺の上着をじっと見つめて、ロンググローブを脱いだ手で何度かその表面を摩っていた。
「見たこともない素材だわ。薄くて軽いのに固くて頑丈、それにこの服自体が手間暇かけて作られている。違う種類の布や……綿? かしら。他の服も変わってるけど、この上着が特に特徴的だわ」
「……あの、シャーリィさんや」
人の上着の手触りを確かめたり捲って裏側を確認したり、何というか……ちょっと近い。何故なのか分からないけど、息が詰まる。ほんのりと甘くて温かい香りが紅茶のように香っていた。
『……シャーリィ、その辺にしておけ。周りの人に見られているぞ』
「え? あ――っ、ユウマごめんっ。弄りすぎちゃってっ」
ベルが低めな声でそう指摘すると、シャーリィは謝りながら跳び退いた。
早朝だから人は殆ど居ないが、確かに何人かからは不思議そうに見られている。一方シャーリィは先ほどの冷静な感じとは打って変わって、顔は赤いし開いた両手は行き場を無くしてふわふわ宙を漂っている。
「シャーリィ、
「いらない! 大丈夫だから!」
「なんで距離をとるのさ……」
上着を差し出そうとしたが、シャーリィはそう言うとまるでトカゲの怪物から距離を取る時みたいに跳び退いた。そこまで逃げなくても。
「とにかく、その服は普通の服じゃないの! そんな特徴的な服、出回った元を探ればどの地域の衣装なのか分かるかもしれない。つまりその服について調べれば貴方の素性も分かるかもしれないの! だから早く! 行くわよ! 早くッ!」
「いやそこまで急がなくても……」
そうしてシャーリィは力強くどんどん先へ進んで行ってしまった。
こちらに対して腹を立てて怒っている訳ではないみたいだが、なんだろう。シャーリィからは若干怒りつつも何か違う感情が混ざっているのを感じたような気がした。
「……なあベル、シャーリィはどうしたんだ?」
『ふーん、ユウマはそれを私に説明させるのか?』
「ああ。分かるんだろ? 俺には分からない」
『ッ……よくもそうキッパリと……しょうがないか。許してくれ、シャーリィ』
先陣を切るシャーリィの後ろをついて行きながらこっそりとベルに相談する。あまり説明したくなさそうだったがこちらのお願いに折れてくれた。
『シャーリィはな……その、アレだ。要は恥ずかしかったんだよ。シャーリィだって女の子だ』
「その説明前も聞いたぞ? シャーリィが女の子なのは知ってるって」
『む、ユウマは何も分かってない』
何故か分からないけど断言された。ベルはジットリとした視線を俺に向けてくる。何故ゆえに。
『たとえ意識していない相手でも、異性の体へみだりに触れるってのは年頃の女の子にとっては恥ずかしく思うものなんだ』
「自分から触れてきたのにか? それに触られたのは俺の体じゃなくて服だ」
『ユウマのおバカ。同じようなことだよ。そういうものなんだ、女の子は。嫌悪感とか持たれないだけ好反応なんだぞ』
「……なるほどなぁ。ってか、“意識していない相手”ってなんなのさ。その部分が特に分からない。むしろ逆に“意識する相手”ってのがあるのか?」
『……ユウマ、それ本気で聞いているのか』
遂にはベルからもシャーリィみたいに呆れた声で尋ねられた。こちらとしては純粋に分からないことを聞いたのだが、どうやら聞くこと自体が馬鹿馬鹿しいほどの内容だったようだ。やはり俺は色々と忘れてしまっているらしい。
「悪い、全く分からない。ベルは分かるのか?」
『それはその、えっと……それは恋心っていうか……感情というか……えーっと……ごめん。私もその、よく分かってない……』
「……そっか」
ベルは何故か顔を真っ赤にして首を振った。それを見て俺はあっさりと引き下がってこの話題を止めにする。ベルにも分からないというのなら、俺なんかが考えても答えなんて出てこないだろう。
……記憶の無い二人。一人は素性を知れない男で、もう一人はガラスの中にいる不思議な少女。変な組み合わせだが、こうして出会った縁だ。
「まあなんだ、これから二人で一緒に頑張って、忘れたことを思い出していこうな」
『…………うん。そうだな、二人で一緒、だな』
ポケットに入れているからベルの表情は見られない。けれどもきっと、彼女は良い笑顔をしているに違いない。そんな明るい声がしたのだ。
「よし、まずはその恋心ってやつが分かるように二人で頑張るか」
『……!?!? ふ、二人で!? 恋心を二人でなのッ!?』
……なんでそこで驚くんだ? 何を驚いているのか分からないが、慌てすぎて口調が崩れている。
「ちょっとー、足が止まってるわよー。二人で話すのは良いけれど、ちゃんとついてこないと置いて行って帰るわよ私ー」
ベルが珍しく素っ頓狂な声を上げていたが、先陣を切って歩くシャーリィが少し離れた場所で俺たちを待っていた。
どうやら会話に集中していたあまりに足を止めてしまっていたらしい。シャーリィは腕を組んで分かりやすく目線で訴えかけてくる。
……さて、取り敢えず彼女に置いて行かれないように真面目について行かないと。もしかすると、間もなく自分の正体の手がかりが掴めるのかもしれないのだから――
■□■□■
「さて、まずは一件目ね」
歩き始めてからしばらく程度経った頃。とある店の前に立つと、シャーリィはそう言ってこちらに振り返った。
着いたのはアンティークで立派な装飾が施された店で、ガラス張りになっている部分には女性を象った白い彫刻にピンク色の華やかなドレスが着せられている。
「ここが服屋……この展示されてるドレスなんか見た目からして高そうだな」
「そりゃ高級な衣服を扱っている店だもの。一応忠告しておくけど、貴方のその服装だって見た目は地味でも素材や衣服としての出来はそこのドレス以上だと思う」
「えっ、これがドレスよりも? こんなにも、こんなにも
「フリルがなんだってのよ……ってか、フリフリってその表現は何なのよ……ええ、そうよ。見たことない素材だから布そのものの希少価値は分からないけど、製造の手間から考えると費用が恐ろしいことになるわね。着替えの時なんかで盗まれないよう注意しなさい」
シャーリィの説明を聞いて俺は自分が着ている服と展示されたドレスを交互に見比べた。
そこまで良い代物だったのかこの服装……気がついた時から来ていた服装だし、高級品って実感があんまりない。
「分かったけど、そんなの盗まれる時は盗まれるから注意してもどうしようもないだろ。なあ、ベル?」
『それなら売られないようにすれば良いんじゃないかな。例えば……名前を書くとか』
「おお、それ良いな」
「それで良いの貴方たちって……」
俺たちに呆れながらシャーリィは店の扉を押し開く。扉に取り付けられている鈴が乾いた音を鳴らしていた。シャーリィに続いて店の中に入ると、布や毛布の柔らかい匂いがした。あと若干獣臭い。
「いらっしゃいませ、お客様は――」
「こんにちは、急に失礼するわ」
シャーリィはこの店の店番と思われる女性と話をしているが、俺は店内の様子が気になっていた。
見るからに高級そうなドレスや紳士服が何着か人の彫刻に着せた状態で並べられていて、それ以外のごく普通な衣類とか毛布なんかは店の奥の方で山のように積み上げられている。
……これ、下の方の服とか取り出す時は大変なんじゃないのか? 衣類の重みで取れそうにないし、無理矢理山の中から抜き取りでもすればたちまち布の雪崩が起きてしまいそうだ。
「……失礼しました。どの様なお召し物をお探しですか?」
「それなんだけど……ユウマ、ちょっとこっち。この人が着ている服なんだけど、これがどこの地方の衣装なのか分からないかしら。出元を知りたいわ」
「このお方の服、ですか? ちょっと失礼しても……」
「ああ、脱ぐからちょっと待って……どうぞ」
上着を脱いで――こっそりベルの映し出されたガラスを取り出して――女性に渡すと、その店番の女性は上着を表裏、フードや袖の中をじっくりと観察する。その目つきは仕事に打ち込む職人の目のようだった。
「これは……良くできている、なんて言い方じゃ褒め足りない程の代物ですね……装飾が全く無いので貴族の特注品、という訳ではなさそうです。それにこれほどの完成品なら普通、何処かしらに職人の名前が刻まれる筈ですが……」
「へぇ、そういうのって刃物や陶器だけかと思ってた。でも衣類なら使われている素材が分かれば原産地からどこの地域の衣服なのか絞れそうなんだけど……」
「分かっているのは綿と植物性の繊維、動物の毛ぐらいしか……ボタンや大部分に使われている素材は見たことがありません」
「ボタンの原材料は獣牙かと思ったんだけど、そこすら違うのね……」
「この太い紐はゴム繊維を混ぜているみたいですけど……」
「綿に植物性の繊維、動物の毛にゴム……駄目ね、どれも輸入も輸出もやり放題だから絞れないわ」
推理と観察を繰り返しているシャーリィと店番の女性。そんな二人を眺めてぼーっとしている俺。
初めから蚊帳の外に放り出されているのでこの話へ無理に入り込む必要なんてないのだが、俺に関わる大事な調査の筈が他人事のようになっているのは何故なんだろう。
「申し訳ございません。私には分かりませんでした……お返ししますね」
「良いのよ、これがどういった代物なのかが分かっただけでも良い収穫だから……ほら、ユウマ」
「あ、どうも」
シャーリィに促されて俺は上着を受け取る。余程珍しい代物なのか、店員が手渡す時に少しだけ名残惜しそうにしていたような。
「この様子じゃ他の服屋に行っても分からなそうだし……これならコーヒーハウスで貿易関係を調べてもらうか。ああでも、依頼された輸送品の可能性もあるから一応ギルドにも行かないといけないのかぁ……憂鬱だわ」
「シャーリィ、どうしたんだ?」
「嫌な眩暈がしただけよ。あ、折角なんだし何か買いましょうか? 寒いんだし手袋とか必要なんじゃないの?」
手袋か……確かにあると嬉しいが、この上着が俺よりも少しだけ大きいサイズなので手が袖に若干隠れるのだ。そのお陰で手袋はあまり必要とは感じない。
あとは……着替えが欲しい。今朝にシャーリィから衣類の洗浄方法とアイロンのやり方を教えてもらい、実践したから服は汗臭くないし清潔な方だと思う。
しかし、シャーリィ曰く旅の途中での一時凌ぎの方法らしく、しっかり流水で洗って干した方が良いとのこと。なので洗濯している間に着る服が欲しい……が、こんな高級店で買うような物じゃないだろう。
「俺なんかより、その寒そうな格好を何とかした方が良いんじゃないのか」
「私は別にどこも寒くないわよ」
「明らかに寒そうでしょーが。二の腕とか太ももとか、露出している部分は冷風が直撃しているんだぞ? 寒くないってそりゃもう、冷えすぎて感覚が麻痺しているんじゃないか?」
「だから、私は大丈夫よ! 元々体温は高い方だからこの程度は気にならないんだから」
俺が幾らそう指摘してもシャーリィは一向に認めてくれない。体温とかそういう問題じゃなくて、見るからに寒そうだから言っているのだが……若干意地っ張りな性格なのか? それとも単に俺がお節介なだけなのか。
「ま、大丈夫そうなら良いわ……そこのハンカチを貰える? 男性用のやつ。えっと、7エントだっけ?」
「はい! 7エント、確かに頂きました」
シャーリィはポーチから何かを取り出すと、それを女性に手渡した。
エント……? どこかで聞いたことがある気がする。やはり思い出せそうにないが、二人のやりとりから見るに恐らくお金。そしてその単位なのではないのだろうか。
「ほら、プレゼント。ちょっとは紳士らしくこういう物は持っておきなさい。出世払いで良いわ」
「シャーリィそれプレゼントって言わない……頑張って出世する」
シャーリィから買いたてのハンカチをやや雑に手渡される。
これもまた白と黒の彼女らしい色をした物だった。やはりモノクロが好きなのだろうか……?
「今日は突然で悪かったわね。今度はちゃんと連絡を入れてから行くわ」
「いえいえ! またいつでも来てください!」
店番の女性は目を輝かせてそう言うと深々と礼をした。なんというか……接客が良い、なんて範疇をはみ出している対応だと思う。本心から敬っているような反応だ。
そんなことを疑問に思っていると、シャーリィは俺が不思議そうに思っていることに気がついたらしい。
「ここのお店には何度も利用させてもらっていてね。要は私、ここのお得意様の一人なの」
「なるほどねぇ……これってひょっとしての話なんだが、シャーリィってもしかすると貴族の令嬢だったりするのか?」
お得意様、なんて余程のお金持ちでもなければそうそう成れないと思う。そう考えると、シャーリィは貴族の娘さんだったりするんじゃないかなー、なんて思ったのだ。しかし、シャーリィは笑いながら首を横に振る。
「私はそんな身分じゃないわよ。そんなことよりもユウマ、今お腹は減ってるかしら」
店の扉を押し開けながらシャーリィは俺にそう尋ねる。未だに礼の姿勢を保っている女性を少し不気味に思いながら、俺はシャーリィの後に続いて飛び出した。
「もちろん。さっきからずっと腹が減りすぎて辛い。限界を超えてるせいなのか痛みすら感じる」
「私もよ。そろそろ店が開いてる頃だから、情報集めのついでにそこで食事にしましょうか」
「そろそろ開いているって、何のお店だ? あ、昨日言ってたギルドか?」
「違う違う違う、そんな場所と一緒にしないで欲しいわ」
俺が“ギルド”の名前を挙げたのが気に障ったらしい。シャーリィは口を尖らせて否定した。
……思うんだが、ギルドの何がシャーリィをあそこまで言わせるのだろうか。好き嫌いの問題じゃなくて、嫌がり方がもはや拒絶レベルだ。
「これから向かうのは私行きつけの店、コーヒーハウスよ!」
ギルドの名前を出した時とは真逆に、シャーリィは嬉しそうにその名前を口にした。
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