Remember-07 決意と行動/休息と雑談は穏やかに

「はふー……あー、これ駄目だわ。私堕ちる」

『……流石に行儀が良くないんじゃないかな、シャーリィ。一応人の目があるのに……』


 宿の寝室に置かれたベッドにシャーリィは飛び込んで、脱力した様子でため息と共にそんな一言を口にする。飛び込むもんだから靴が派手に脱げてベッドの脇に落ちてしまっている。


「実家じゃこんなことすると怒られちゃうから、宿に来たらコレをやらないと気が済まなくなっちゃったのよねぇ……あー、この沈み込むスポンジと宙を舞う埃がー」

「……ポーチとかはここに置いとくぞ。あと靴も」

「ありがとー、ユウマ」


 すっかりフニャフニャになってしまったシャーリィは寝返りを打って仰向けになる。本当に疲れているらしく、こちらに無防備な姿を見せても気にすることはなかった。

 ……なんだろう、シャーリィのこんな姿――スカートなんかがめくれて普段より素肌が露出していたりとか――を見てて申し訳なさとよく分からない“熱”を感じる。アレか、これが“見てるこっちが恥ずかしい”ってやつなのだろうか? 変なところで忘れていた変な知見を得てしまった。


「でもシャーリィ、夕飯はどうするんだ?」

「あー、そうね。それだと寝ちゃまずいか……よっと」


 俺の問いかけで思い出したのか、シャーリィは勢い良く上半身を起こす。眠気覚ましに頬をぱちぱちと叩いて目を見開く……が、直後に眠そうに瞼を擦っていた。

 だらけているのは彼女の怠け癖? のようなものなのだろうが、疲れているのはお互い事実だ。俺だって彼女みたいにベッドで横になったら明日の朝まで起きない自信がある。


「無理しないで夕食の時まで寝ていたほうが良いんじゃないか? 時間になったら俺が起こすぞ」

「流石に寝てる姿を見られるのは抵抗が……私は大丈夫。眠気覚ましも兼ねて店が閉まる前に情報でも集めに行ってこようかな」

『ベッドで伸びている姿は良くて、寝てる姿は嫌なのか……』


 ごもっともだと思う。しかし、ベルの言葉に答えることはなくシャーリィはあくびを手で押えながら身体を起こした。


「情報集めってのはスモッグのことか?」

「んぁ、それについても聞いてこようかな。もう、何にでも例外はあるものだし……しまった、ここに来る前に情報紙とか買っておくべきだったか」

「……月?」


 シャーリィは独り言混じりに答えながらベッドから降りて、コルセットの腰回りにポーチを取り付けた。

 さっきまで軽々しかった服装が、ポーチを取り付けた途端に甲冑のような音を立てるようになったのだが、何か重たいものでも詰め込んでいるのだろうか。多分物音からして金属系みたいだが……


「さて、私は出かけてくるから、ユウマ達は自分の部屋で休んでて」

「……分かった。俺も疲れたし、そうさせてもらう」


 そう答えながらポケットから真鍮製っぽい鍵を取り出しつつ部屋を出る。

 シャーリィが気前良く二人分の部屋を借りてくれたおかげで、俺が寝泊まりする部屋はこの部屋の隣にある。俺とベルの二人組なのだが、ベルがこの通りガラスの中なので一人分の部屋代で済ませることができたのだった。


「んじゃ、行ってくるわね。戻ってきて寝てたら私が起こすから、ユウマは寝てても良いわよ」

「ちょっと眠いけどまだ大丈夫だ。うっかり寝たりしないように気をつける」

「そう。無理しないでゆっくり寝ても良いのよ? ああでも、もし寝る時は私が入れるように鍵を開けておいてね。じゃないと実力行使で入ることになるから」


 ……この子は鍵がかかっていたら一体何をするつもりなのだろうか。まさか借りている部屋の戸をぶち破ったりするのだろうか。流石にシャーリィでもそんな真似をするわけが……と、野蛮なイメージを否定しようとしたところで、怪物と異種格闘戦を繰り広げていた姿を思い出す。

 彼女が実際にやるとは言わないけど、やれそうだよなぁ。木材は怪物の岩盤よりも脆いのである。


『大丈夫だよシャーリィ。私がユウマを起こすから』

「もしユウマが無視してずーっと眠っていたら?」

『その時はシャーリィ、頼む』

「まかせて、ぶちかますわ」

「やめてね?」


 とっさにお願い申し上げたが、二人は構わず約束を交わす。どうやら俺の願いは聞き受けてくれなかった様子。

 ……安息のため、俺は静かに夕食までの不眠を決意した。うっかり深く眠ってしまったらどうなってしまうのだろうか。目覚めたら粉末状の発破された戸を浴びるようなことになってそうな予感がする。


「何か困ったことがあったらここの従業員に言ってね。私はちょっと遠出してて、すぐに戻ってこれそうにないから」

「ああ。行ってらっしゃい」


 フランクな言葉を残しつつ、どこか上品さを感じる足取りで廊下を歩くシャーリィを見送り、俺は自分の寝室に戻った。室内はシャーリィの寝室と内装は変わらず、簡素なテーブルに金属の蝋燭台、その近くにチェアーとベッドが置いてあるだけだ。


「さて、夕食まで何をしていようかな」

『仮眠を取ったら良いんじゃないかな。ユウマも結構疲れているんだろ?』

「……止めておく」


 こんなに疲れている状態で寝てしまったら、仮眠どころか間違いなく夜中まで寝てしまう。寝てしまってもシャーリィが強引に起こしてくれるらしいがお断りだ。

 俺はスポンジが固いチェアーに座って、テーブルの上に置かれた蝋燭台にガラス彼女を立てかけた。ガラスの中ではベルがにっこりと微笑んでいる。


「ふぁ……っ、やっと一息つけるな」

『ふふっ、大きなあくび。今日はお疲れ様、ユウマ』


 体からゆっくりと抜け落ちていく疲れを心地良く感じながら、俺は一日を頭の中でなんとなく振り返る。たまたま窓の向こうに見えた穏やかな雰囲気な街の景色が、今日の出来事をゆったりと思い返すのにちょうど良かった。


「……今日の出来事を振り返ると、俺たちって結構凄いことをやり遂げたよな」

『そうだな。なんていうか……“濃かった”って言えばいいのかな』


 思い返してみると、今日はとんでもない一日だった。記憶が無くて彷徨っている中、偶然ベルを見つけ出し、その直後にトカゲの怪物から襲われて、死にかけたところをシャーリィが助け出してくれた。

 その後危機に直面した俺は、あの不思議な力を思い出して……


「……出来事が多すぎて頭がパンクしそうだ。こういうのはもっとこう、数日に分けて起きるべきじゃないのか」

『その文句はどうかと思うんだけど……』

「そうか、分割して経験することを一度に経験しすぎるとこんな感じになるのか……頭割れるぞこんなの」


 明らかに異常な出来事に対してそんな感想が出てくる辺り、俺自身がそういうことに慣れてきたのだろうか。“そういうことが起こっても不思議じゃない世界なんだな”って認識が俺の中で生まれていた。

 世界に対する認識が大きく変わってしまうのは問題だが、こんな感じに心に余裕ができるのはきっと良いことだろう。これぐらい呑気な方が自分の性に合ってる気がする。


「……これから先、どうなるんだろうな。まるで想像がつかない」

『不安なのかい?』

「半分だけ。不謹慎かもしれないけど、実はこれから先が楽しみだったりする」


 今の俺にとって何も知らない世界。俺にとっては驚くことばかりだが、記憶を無くす前の自分にはこの世界はどのように見えていたのだろうか?

 もしかすると以前の自分は気にも止めなかったかもしれない様々な“モノ”に驚き、感動する――それはひょっとすると、とても幸せなことなんじゃないだろうか?


「忘れたものを取り戻すために、色々なものを探し回って驚いたりする。それってまるで宝探しっていうか、冒険しているみたいで面白いって思えたんだけど……変かな? 街に着いた時に着いた時も、俺は驚いたし感動もした。こんな楽しい気持ち、あの時の街を歩いていた人々は感じていないんじゃないのかな」

『……そっか。ユウマは記憶が無くなったことを明るく見ているんだ』

「自分で言っておいてなんだけどさ、これって不真面目というか……現実を脳天気に見ているみたいじゃないか……? もしも不謹慎に思わせたなら自重するし気をつける」

『確かにユウマは抜けてる部分があるけど、悪いことじゃないと私は思っているぞ? 未知があるって事は誰だって怖いんだ。それを楽しめるユウマは勇敢だよ』


 優しい口調でそんなことを語るベルは、まるで子を見守る母親のような優しい目で俺を見上げている。

 正面からそんなことを言われてしまって、なんとも言えない恥ずかしさを覚えて俺は思わず目を逸らした。


「勇敢か……でも、やっぱり何が起きるのか分からないのは少し怖い」


 ……だからこそ、そんな知らない先を進む為に心強いものが欲しい。他には無い自分だけが持つ強み。例えば、あの不思議な力。

 あの時は偶然できただけの火事場力かもしれないから、もう一度使いこなして本当に自分の武器にしておきたい。高望みかもしれないが、あの時と同等に自在に使いこなせるのが一番の理想なのだが……


『……? ユウマ、何をしているんだ?』


 俺は瞼を閉じてゆっくりと深呼吸して、意識を深く沈めていく。

 ……できるだけ、あの時みたいに。神経を内から外に広げて空気を皮膚の一部のように感じ取り、体は脈打つように熱を全身に巡らせる――――


「……あれ」


 あと一歩。あと一歩で届きそうなところでつまずいた。集中力と精神力の高鳴りがほんの僅かにだけ閾値いきちに到達しない。

 何か手順を一つ、それもとても大切な事を忘れ飛ばしてしまっているような――ああ、そうだ。刃物だ。刃物で首を切るんだっけ。だけど宿屋の寝室にそんな物騒な物は置いていない。


『…………?』

「いや、違うんだベル。本当はこんなものじゃない。こんなものじゃない、筈なんだけど……ちょっと刃物が無くて」


 何をしているんだ? と言いたげなベルの目線に気がついて、言い訳のような言葉を並べようとしている間に滾っていた熱はどこかへ引っ込んでしまった。


『いや、ユウマがやりたいことはなんとなく分かってる。もう一度あの力を使おうとしたんだろう?』

「ああ、あの体から“何か”がこう……ぶわって出てたアレ。ベルが教えてくれたよな? アレはなんだったのか教えてくれないか?」

『うん、アレのことだな。ただその……ごめん、やり方と効果が分かっているだけで、アレが何なのかって言われると……私の記憶が駄目みたいだ。詳細は思い出せない』

「…………」

『…………』


 ……お互い“アレ”としか表現できない時点で例の不思議な力について如何に無知なのかがよく分かる。


「んじゃあどうすりゃ――いや、シャーリィだ。確かシャーリィもこう、火の玉を飛ばしたりしてたし、不思議な光とかを纏ってた! シャーリィなら分かるかも」

『それなら、シャーリィが帰ってきたら聞いてみないか? その不思議な力はきっと、皆が皆使えるようなものじゃない筈だ。きっとユウマの忘れた記憶を取り戻すことに繋がると思う』

「なるほど……確かにそうだな」


 この力は間違いなく俺だけが持ちうる“能力”だ。

 もしかしたら似たようなものはあるかもしれないが、指紋や声帯のように自分を証明する固有の存在だと思う。それなら自分に繋がる情報を見つけ出すことができる筈だ。


「……うん、分かった。シャーリィに聞いてみることにする」

『でも、そのシャーリィが帰ってこないと聞きたくても聞けないな』

「あー、そうだった……思ってたより時間が潰れなかったな――ッ」


 ズキン、と目の奥に鋭い痛み。頭痛に近い感覚が不意に襲ってくる。


『……? どうしたんだ』

「いや……別に……」


 心配そうに覗き込んでくる彼女から目を逸らして嘘をつく。

 痛みは目と脳から。目が潰れるんじゃないかと思える痛みだが、こんな激痛の中でも目は問題なく機能している。いや、逆に目が普段よりも機能しているからこそ、こんな激痛が走っている気がする。

 痛みに逆らって見ようと思ったら、よくえる。空気中を漂う粉塵のような埃、吐息に混ざる湿気、更に、更に細かく粒のようなものが大量に視えるような――


『……ユウマ?』

「……あ、ああ。何だ?」

『何だ、じゃないぞ。やっぱり疲れているのか? できる限り私がちゃんと起こすから寝てても良いんだぞ』

「いや、大丈夫だ。それよりも余ったこの時間、どうやって潰そう……」


 今の異常を悟られないように誤魔化しながら、目を閉じてチェアーの背もたれに寄りかかる。目を閉じた途端に異常は痛みと共に消えて無くなった。

 安堵しながら閉じていた目を開けると、ベルが俺の顔をじーっと見つめていることに気がつく。ガラスの表面に両手をついて上目遣いを向ける姿は、こちらに話を切り出すチャンスを伺っているような……?


「どうかしたのか?」

『いや、その……シャーリィが戻ってくるまでお話ししないか?』

「お話?」

『うん、どんなに些細でもしょうもない話でも良いから……こんな姿をしているから話し相手がユウマとシャーリィしかいなくて……その、なんて言えば良いのか……』

「あ、分かった。ひょっとして話し相手も機会も少なくて寂しいんだな?」

『…………』

「なんで睨むのさ!」


 ピンと来たのでズバリ当てて見せようと口にしたら凄まじく睨まれてしまった。ガラスの表面についていた両手は爪を立てていて、悔しそうに歯を食いしばりながら相変わらず上目遣いで目の敵のようにジットリとベルは睨んでくる。

 ……怖いとかよりも微笑ましく見える――なんて口にしたら、ガラスの表面に内側から爪痕を残しかねないので止めておく。今後の関係にも爪痕残したくないし。


『ぐるるるぅ……』

「良いよ、お話ししよう! うん、ゆっくりと心ゆくまで! 俺もベルと話すの好きだし! えっとそうだな――」


 トカゲの怪物みたいな唸り声を鳴らすベルを抑えようと、俺は慌てて話題を切り出す。とても些細な話題しか持ち合わせていないので話が広がるのか不安だったが、そんな杞憂はいらなかったらしい。会話はあっという間に弾んで時間が楽しげに進んでいく。


 ……会話の途中でなんとなく外に目を向けると、窓の外は茜色から青藍色に染まろうとしていた。

 まだ身近な謎の解明は手詰まりのままだが、もう間もなく――シャーリィが戻ってきたら前進できる予感を俺は感じていた。

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