1.王女と異世界と転生使い

Remember-06 ネーデル王国/お人好しな少女について

 ……馬車がガタゴトと揺れている。

 緑色の草原の丘に一本の道が向こう側の丘にまで続いている広大な景色が見えていた。遠くにはまだ青い麦の海が波うっていて、ほんのりとした青臭さと馬車道から立ち込める土煙の土臭さを感じられる。

 スッキリとした晴れ空に散り散りに浮かぶ白い雲。もし“良い天気”をイメージするならまさにこんな空模様だ。のんびりと眺めるにはこの上なく贅沢な景色だろう。


 ……が、そんな景色を呑気に見ている余裕なんて俺たちにはなかった。


「…………うぐ、頭のたんこぶに……」

「ぅ…………痛、また揺れた……」

『……あー、シャーリィ、ユウマ、大丈夫なのか?』


 別に馬車の中は窮屈な訳ではない。お互い向かい合って座る分には狭さなど感じないし、俺たちに加えて更に四人ぐらいなら座れそうだ。

 ……俺たちを苦しめる問題は馬車そのもの、あるいはこの道か。


「……ぐぅ、ッ……ガフッ」

『ユウマユウマ、首が凄いガクガクしてるけど、本当の本当に大丈夫なのか……?』

「っ、あう、こ……腰っ、痛ぁ……」

『シャーリィ、一度馬車を止めてもらって休憩した方が良いんじゃないのか……!?』


 ……最初は良かったんだ、最初は。風通しは適度に良くて、頭の上から照らしてくる太陽はアーチ状の白いほろで遮られているし、窓から見える景色は飽きることがない。

 俺もベルも流れていく広大な景色に感動を覚えたし、シャーリィも口には出さなかったが楽しそうに景色を眺めていた。この場に居る全員が馬車の移動を楽しんでいたのだ。

 そう。もうそれは過去の話である。


 馬車を運転している小柄な老人が「この先揺れますよ」と言った直後に、草原に伸びる街道を走る優雅な馬車の旅は地獄横断の旅と化した。

 街道は大きな石や砂利がゴロゴロと落ちているらしく、馬車の車輪はそれらを踏んづけて楽しげな会話をかき消す程の轟音を鳴らし、凄まじい振動は楽しげな雰囲気までもかき消した。


 意外にも最初に異常を見せたのは、スモッグの一件で疲れが溜まっていたシャーリィだった。

 ガタゴトと馬車が振動し始めると苦虫を噛み潰したみたいな表情で「やっぱりこの道も揺れるのかあぁ……」と、初めて聞く弱々しい声と共にダウンした。どうやら、行きの馬車でも結構苦労していた様子。


 で、次にダウンするのは当然俺だった。運転手の老人は長年乗り慣れていることもあって余裕があるみたいだし、ベルはガラスの中にいるので揺れの影響は無いようだ(直接振ったりしたら目を回すみたいだが)。

 同じくスモッグでの一件で疲れがギリギリだったのに、馬車での振動や横揺れで疲労は限界に達した。今では振動に抵抗する余力も無く、地獄に身を委ねている。さっきから横揺れで首がガックンガックンと揺れまくってるのはそのせい。


「シャァァアリィィィ……まだか……目的地はまだなのかぁ……」

「…………あの丘の向こうよ……うっ」

「あの丘って――うぐっ、結構遠い――がふっ、んじゃないのか……?」

「遠い……ふふっ、遠いよねぇ、やっぱり遠いと思うわよねぇ……」

「ふふふ……やっぱりぃ? やっぱりだよなぁ……」

『あわわわ……ゆ、ユウマ! シャーリィ! 気を確かに持ってくれ!?』


 地獄の横揺れ馬車は、まだまだ始まったばかり。

 目的地に着くまで、軽く気絶でもしてようかなぁ……




 ■□■□■




 気がつくと、白く輝いていた太陽は赤熱しながらゆっくりと山の向こう側へ沈もうとしていた。

 ……“気がつくと”というのは、割と本気で気がついたらこうなっていた。馬車の中の記憶が途切れ途切れなのは何でだろう。


 馬車は莫大な量のレンガを積んで造られたらしい大きな門を潜り、広い道を進んだり坂道を登ったりして……しばらくしてようやく停止した。さっきまで鳴り響いていた騒音がピタリと止んで、なんだか不自然なぐらい静かに感じる。


「……馬車が止まったけど到着したのかな。シャーリィ、本当に大丈夫なのか?」

「ええ……到着したみたいだから先に降りてて……すぐに行く……」

『なんか、いつ息絶えてもおかしくない様子と台詞なんだけど。本当に大丈夫なのか?』

「流石に大丈夫とは思うけど……まあ、先に降りて待ってるから、落ち着いたら降りてきてくれ」


 そう一声かけて俺は馬車から小さく飛び降りる。着地と同時に草原とは違うレンガの堅い感触が足に伝わった。

 ……視界に入る部分だけでも、一体どれ程のレンガが敷き詰められたのか。地面は赤いレンガが隙間なく敷き詰められていて、まるで大きな芸術品みたいだ。こんな手の込んだ代物、踏んでしまっていることに少し申し訳なさすら感じてしまう。

 見通しの良い草原とは違って、木製やレンガ製の建築物が数え切れないぐらいに並んで、地平線を遮るみたいに広がっていた。


「凄い……これが街なのか……」


 煙突から伸びる白い煙。遠くで回っている白い帆の風車。ガヤガヤと道を行くここの住民と思われる人たち――そんな自然の美しさとは違った人工的な美しさがそこにはあった。

 こんなにも綺麗なのに住民にとってはごく当たり前の光景なのか、俺のように足を止めて景色を眺める人は誰もいなかった。


「……お待たせ。遅れてごめんなさい」

「大丈夫か? なんか足がおぼついてないんだが」

「……今のところは、平気よ」


 腰をさすりながらシャーリィは馬車からやや慎重に飛び降りた。まだ動けるみたいだがあの様子からして確実に弱っている。口調も今までみたいな意気は感じられない。


『大丈夫なのか? 本当に休んだ方が良いんじゃないのか?』

「俺も同意見。何だったら俺が背負って歩くけど」

「…………最悪の場合、頼むかも」

「あ、ちょっと。何処に行くんだ?」


 やはり元気がなさそうにシャーリィは歩いて行く。先ほどよりは幾らかマシになっているが、それでも不安だ――なんて考えている間にもシャーリィは何処かへ向かって歩き出してしまう。

 咄嗟に彼女の後を追おうとするが、シャーリィはピッと片手を突き出して俺を制した。


「ユウマはそこで待ってて。私はすぐそこのギルドに行くだけだから」

「ギルド? なんだそれ」

「色んな仕事雑務雑用なんかが集まる酷い所よ。ユウマがいると話が少し拗れちゃうだろうし、貴方はそこで待ってて」

「……分かったけど、無理はしないでくれよ」

「ん、当然」


 背を向けながらこちらに笑みを浮かべてそう答えると、シャーリィは今度こそ行ってしまった。疲れた女の子を一人にすることに若干の不安を覚えるのだが、一人の方が良いと言ったのだからそうしておこう。

 ……そもそも、悪漢に会ってもシャーリィが負ける想像がつかない。下手に手を出したが最後、拳をグーにして、身長差を活かして惚れ惚れするほどに綺麗なアッパーでも決めてしまいそうだ。


『……不思議だよな、あの子』


 シャーリィが悪漢をボコボコにしている図を呑気に想像して――今、倒れた悪漢に馬乗りになって5回ぐらい殴っているところだ――いると、ベルがポツリと呟いた。ガラスを取り出して見るとベルは腕を組んで眉間にシワを寄せていた。


『まだまだ若い身なのにしっかりし過ぎていると言うのかな。あまり良い言い方じゃないんだが、シャーリィは“出来過ぎている”って感じがする』

「出来過ぎているって? まあ確かに頭が良さそうだよな。行動が野生児だけど」

『本人の前で言ったら怒られるぞ。頭が良いのもあるんだろうけど、彼女と話していると知的な大人と話しているような感じがした……まあ、馬車の中じゃそんな様子が微塵も無いぐらい弱っていたけど、あれは違うな、うん』

「……なんか忘れていた地獄を思い出してきた」


 確かに、シャーリィと話す時は俺も年上の人と話している感覚を覚える。人柄の良くて話しかけやすい大人のような雰囲気だ。

 ひょっとして、子どもの体に大人の魂とか精神とかが乗り移ってるんじゃないのか、なんて変な想像をしてしまう程に。


『地獄横断、お疲れ様。仮眠は取っていたけど今夜は早めに寝ような』

「それ多分仮眠じゃなくて気絶してただけだ……で、気になるから話を戻すけどさ、つまり中身が大人なんだろ。単身でスモッグの調査とか色々やってるみたいだし、変な表現だけど若くして人生経験の量が凄いとかでさ」

『……そういうことなんだろうな』


 思いつきで曖昧なことを口にしてしまったが、ベルは“全く同じ考えだよ”と言わんばかりに頷きながらそう話す。


『でも、子どもが大人になるための経験ってのは、それこそ子どもが大人に成長する程の歳月をかけて少しずつ体験するものだ。間違っても幼い女の子が一度に経験することじゃない』

「えっと……あー、ベルの言いたいことを自分なりに噛み砕いたけど、普通は何ヶ月もかけて終わらせるような仕事を、シャーリィは二日とか三日程度で全部終わらせちゃっている……みたいな感じか?」

『ズバリそんな感じ。そんな無茶をしたら体を壊すように、一度にそんな過度な負荷経験がかかると何かしら心が歪んでしまうと思うけど……どうやら彼女はとても強い人だ。とても若い身であの立ち振る舞いは本当に尊敬するよ、私は』

「…………」

『……心が強い人間は、強い分だけ強さを求められたんだ。まだ若いあの子は、一体何に強さを求められたんだろうな』


 ……夕暮れが眩しい。名前を知らない鳥が空に羽ばたいて行く。

 その経験とやらをすっかり忘れ去ってしまった俺にできることは、空を眺めて感傷に浸ることだった。


『まあ、ひょっとすると見た目が若いだけで本当は成人済みだったり、なーんてね』

「今からそう打ち明けられても驚かない自信がある……というか、ベルも若々しく見える割には随分と大人っぽいけど」

『私は多分成人してるんじゃないか……? いや、根拠は無いんだけども。そんな気がする』


 成人済み……成人……しているのか? 俺自身の年齢はよく分かっていないが、ベルは見た目だけなら俺より年下にしか見えない。

 でも確かに思慮深さとかは俺よりずっと大人っぽくて……お互い同じくらい記憶喪失だというのに、一体何処に差が付いてしまったのか。


 ふと、何気なく顔を上げるとシャーリィが戻ってくる姿が見えた。体調も少しは回復しているのか、先ほどよりも歩き方に余裕が見える。相変わらず顔はゲッソリしている様子だが。


「まったく……ふぅ、お待たせ。私の用事は終わったわ」

「用事ってなんだったんだ? ってか、今の溜め息は何だ」

「あー……まあ、気にしないで。用事ってのはスモッグの探索報告よ。スモッグの性質とか周辺への被害とか……あの怪物みたいな生物とか。スモッグの悪化傾向なし。怪物は一匹居たけど、貴方がぶっ殺したから実質ゼロね」


 なんだってこの少女は物騒な言葉を楽しそうに言うのか。数ある表現の中で“ぶっ殺した”を選ぶ辺り野蛮さがあふれ出ているのである。

 俺がそんな感じに頭を抱えている一方、当の本人は別の何かを考えているのか、髪を指先でクルクルと遊ばせながら夕焼け空を見上げていた。


「シャーリィ?」

「……ああ、ごめんごめん。少し考え事をしてた。ところで聞きたいんだけど、貴方たちってこれから先どうするの? 行く宛ては?」

『今からその行く宛てを探すところかな』

「右に同じ」

「……というか、よく考えたら二人とも記憶喪失か。冷静に考えれば分かった筈なのに、疲れてるのかな私……でもそれならちょうど良かった」


 シャーリィは両手を腰に当てて胸を張ってそんなことを言う。自信と威勢に満ちた表情。口元に八重歯を見せながら得意げに話す。


「これから私は宿を取りに行くの。それでなんだけど、ユウマも一緒に来ない? 宿代ぐらいなら奢れるわよ」

「…………それは助かる。すっごく、助かる。でも何で?」


 もうすぐ日が暮れる。正直一晩どうやってやり過ごそうかと思っていたので、シャーリィの突然出した提案には問答無用で頷いても良いと思えるぐらいに魅力的な提案だ。

 そう喜ばしく思う一方で、シャーリィがそこまでする意味はあるのだろうか? と少し距離を置いた所から慎重に様子を伺っている自分が心の中に居るのだった。


 別に助けたからといって最後まで面倒を見る必要はない筈だ。この王国まで連れて行ってくれただけでも十分優しいし、馬車に乗っていた時は王国に着いた時点で別れるもんだと思ってた。

 親切ならともかく、慈善はタダじゃないことは記憶喪失の俺でも知っている。


「何でもなにも、貴方は行く宛て無しの一文無しじゃない。この広き王国、貴方みたいな人に恵んでくれる人が居ないって訳じゃないけど、慈善は義務じゃないからねぇ。ここで放っておいたら野垂れ死ぬ事だってあり得るし、もしそうなったら目覚めが悪い……なんて理由じゃ納得してくれないかしら」

『お人好しなシャーリィらしくて良いと思うよ』

「うん、善意が気恥ずかしくなって論理立てて説明するのが凄くシャーリィらしいと思う。納得した」

「……貴方達が私をどう思ってるのかよく分かった」


 不満げにシャーリィはジト目で睨んでくる。そんな目線を向けられても、ここまで“お人好し”が似合う人なんて滅多に居ないんじゃないだろうか。


「ッ……ああもう、ほら! 一緒に来るのか来ないのか、早めに決めて欲しいわ! 知ってるだろうけど結構疲れてるのよ私」

「ん、提案はとっても助かる。実を言うと一晩どうやってやり過ごすか無計画だった。シャーリィが良いのなら是非とも乗らせて欲しい」

「そう。なら早速行きましょ。もたもたしてたら借りる部屋が無くなるわ」

「っ!? まさか走る気か……?」


 スタコラと先導を切るシャーリィに思わず短い悲鳴が出た。

 少し休んだからといってそんな簡単に疲れは癒えるものじゃない。足裏の皮膚が裂けてしまいそうな程に疲れた足で走れるわけがない、と目で訴えかけた。


「ふむ……なぁに? 疲れているんだったら、私がユウマを背負って歩くわよ?」

「……いい、大丈夫だ。小走りぐらいならできる。俺の声真似をしてまでそんな心配をしなくて結構だ!」

『何を張り合ってるんだ……』


 冗談混じりに、からかうように少し前にシャーリィに向けた俺の言葉をそのまま返すシャーリィに思わず負けん気が出た。

 ひょっとすると、以前の自分は負けず嫌い――煽りや挑発なんかに弱い人間だったりするのだろうか……?

 そんなことを考えながら腹の底から気力を絞り出して、ぎこちない早歩きを始めるのだった。

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