Remember-05 二人二脚/霧の向こう側

 ……現実味のない霧の中をひたすら歩き続けるというのは思いのほかにツライものだったりする。

 そりゃまあ、さっきの怪物みたいなのが襲ってくるよりはずっと良いことなのは違いない。もしもまた怪物に襲われたらお手上げだ。俺はもう戦える状態じゃない。体はまだ動くけど、中身気力が空っぽなのだ。


「シャーリィ、まだ遠いのか……?」

「そうは言われても……この方位磁石、精度があまり良くないからさっきのドタバタ騒ぎで進む方角を間違えたかもしれないわね」

「うっ、それは……苦しい」

「……まさか貴方、無茶なんてしてないでしょうね!? 気休め程度だけど、応急処置なら――」

「もう限界だ……退屈で退屈で、ストレスのあまりに死にそうだ……」

「……ああ、なるほど。そういうこと」


 こちらの身を案じるような反応から一転して、乾いた納得の声。ため息の一つでも聞こえてきそうな反応が返ってきたのだった。


 ついさっきまで生か死かの命のやりとりをしておきながら何を言ってるんだ。とか言われるかもしれないが、こちらとしてはこれが中々の死活問題。

 体よりも精神の方が疲れているのに、気を休めることが出来ない状況が酷く堪えた。こんな濃霧じゃなくて草原とか川とかがあれば少しは気分が安らぐのに。


「というか、そんなに暇ならあの子と話でもしていなさいよ」

「あの子……ああ、それなんだけど……」


 シャーリィはぶっきらぼうにそんなことを言う。

 あの子とは恐らく、ガラスの中に映っている例の少女のことなのだろうが……


『…………』

「……なんだってこんなに気まずくなっちまったんだ」


 ポケットから取り出したガラスに向かって呼びかけるが、少女はバツが悪そうにしていて視線を合わせてくれない。

 怪物との戦闘終了後、どういう訳か少女はとても申し訳なさそうな顔をしてずっとこの調子だ。唐突なことだから原因は不明。そんでもって、俺はさっきから色々な言葉をかけているのだが…… 


「お互い仲が良さそうだったのに、いつの間に喧嘩したのよ」

「喧嘩はしてないし、不快に思わせた心当たりもないんだけど……」

「実際は喧嘩したけど、その時の記憶がないとかじゃなくて?」

「……違う筈だけど、なんか不安になってきた」


 ……流石にそんなことは無いと思うが、本当に記憶を無くした身としては否定しにくいので困る。

 機嫌を直して欲しいが、闇雲に謝る……というのも良くないな。ちゃんと彼女が怒っている理由を理解して仲直りしたい。そもそもこうなった原因すら分かってなのだから。


「はいはい、二人とも。ちょっといいかしら?」

「ん? 何かあったのか?」

「ええ、良い話があるわ。まずはお疲れ様、って言ったところかしら。誰かが欠けることなく、それどころか体の一部すら欠けずに済んだのは正直凄いことよ」

「体の一部すら欠けずに」

「そうそう。私、スモッグの遭難者は成れの果てしか見たこと無いから」


 なにやら物騒な発言をしているが、シャーリィは続けて語る。

 そのブラックジョークは素で言っているのだろうか? それともわざとなのか? どっちにしろ笑えないのである。


「ここがスモッグの端。スモッグと外の世界との境目よ」

「! この先を行けばスモッグから抜け出せる?」

「そういうこと。霧が濃くて先が全く見えないけど、抜け出せばちゃんと元の場所に戻れる」


 自信たっぷりにそう話すシャーリィだが、別に目印のようなものは無いので本当なのか疑わしく思える。だってここ霧しかないし。

 シャーリィはスモッグについて熟知しているらしいので、彼女にしか分からない違いとかがあるのだろう……と、


「――待った。ここから先は特別霧が濃いから……ほら」


 先を進もうと歩き出したその時、不意に俺の左手を冷たい何かが包んだ。

 霧で冷えているのか、俺の手よりもひんやりしていて……柔らかい。なんだか理由もなく触っていたくなるような、そんな中毒性を持った心地の良い柔らかさだ。

 ……手のひらでゴムボールを遊ばせるみたいにプニプ二と軽く揉んでみたり。


「…………何よ」

「何よじゃなくて……どうして俺の手を握る?」

「言ったでしょ、この先は特別霧が濃いって。その中ではぐれて迷子になんかなってみなさい。流石に私でも探せないわよ」


 俺は試しに片手を伸ばしてみる……と、濃い霧に覆われて指先が全く見えない。まるで霧の壁があるみたいにここから先にとても濃い霧が満ちている。

 ……成る程、霧が濃いというのは俺の想像以上のようだ。俺はシャーリィの手を離さないように、しっかりと握りしめた。


「っ、ちょ、ちょっと。力が強いわよ」

「あ、ごめん」


 不満げな一言に俺は慌てて手の力を少し緩める。小さくて柔らかい手は、確かに力を入れすぎると折れてしまわないか不安になるぐらいにか弱そうだ。

 ……? でもさっき貴方、この華奢な腕で俺のこと引き上げましたよね? この子のフィジカルが何も分からない。ほんと謎しかねぇな俺も俺の周辺も。


「……これぐらいで良いかな」

「ええ、それぐらいでお願い……温かいわね、貴方の手」

「あれだけ動き回ったら暑くなる」

「それもそっか……よし。行くわよ、ユウマ」


 シャーリィの手が俺の手を引いて、連れて行く。今はもう温かくなっている小さな手を握りながら、視界はあっという間に白で塗りつぶされて――――




 ■□■□■




「――っ。お……おお、霧が……」


 真っ白な空間を数秒ほど歩き続けると、突然視界が様々な色で満ちた。

 足下は暗色の腐葉土とか黄緑色の若々しい雑草。空には永遠に広がっていそうな蒼い空が天幕みたい頭上を覆っている。


「……凄い、綺麗だ」

「そうね。あんな場所に居たらただの景色も素敵なものに見えるでしょうね」


 俺の呟きにシャーリィは優しい声色で答える。確かにあんな白と黒だけの世界に居たせいで、この色とりどりな景色に目眩を覚えた。


「…………」


 ……風が薫る。草原の上を駆けた風が、甘い草の香りを乗せて通り過ぎていく。

 シャーリィの銀の髪が美しい旗のようになびいている。その髪を束ねる黒いリボンが可愛らしく揺れて、フリルのついたスカートはフワフワと風を浴びて上品に波打っていた。


 ……正直に言うと、シャーリィのことを綺麗で可愛い子だな、なんて思った。

 草原を映したような緑色の瞳、透き通るような白い肌。それに、握っている手の柔らかさなんかは、何故か胸のあたりに苦しさを感じさせてくるような――


「ところでユウマ、いつまで手を握っているの?」

「……あ、ごめん。色んなものに気を取られてて忘れてた」


 細い指をうっかり折ってしまわないよう慎重に手を離す。

 それから手持ちぶさたな手を泳がせていると、忘れちゃいけないことを思い出した。ポケットに手を伸ばすだけなのに、慌てて上手くできない。


「……ほら、やっと霧を抜けたぞ。見てよこの景色、綺麗だぞー」

「急に思い出したかのように見えたけど」

「決して断じてそんなことはないぞ。全くそんなことは……ない」


 ポケットに中からガラスを取り出してかざし、彼女に辺りの景色を見せた。口調がおかしくなってる気がするが知ったことか。

 ガラスの中を通して青色が彼女をうっすらと染め上げている。ガラスの中で外の景色を案の定何も言わず座って眺めている彼女は、ほんの少しだけこちらに顔を動かした。


『……私のせいだ』

「…………なんぞい?」


 こちらに背を向けたまま、彼女はぽつりと呟く。


『あんな一歩間違えれば死んでもおかしくなかったことに、ユウマを巻き込んだのは私の責任だ……』

「え、いや、待った。責任なんてほら、誰も求めてないだろ?」

『全員助かる方法、ユウマが自己犠牲をしなくて済む方法、だなんて言っておきながら結果的に私は君に怪我を負わせてるじゃないか。私にとってそれが心から苦しくて――』

「そんなの……えっと、そこまで求めるのは贅沢って言うか、その……うう、シャーリィ! 助けて! 説得と言いくるめをお願いします!」


 どうしよう。何を言っても上手く彼女に届かないし、上手いこと機嫌を直してくれる方法が思い浮かばない。どうしようか悩んだ挙げ句の果てに、俺はシャーリィに助けを求めた。

 少女と仲が良く、俺ともある程度打ち解けている中立地点に居るシャーリィから言えば、きっとこの少女も説得を聞いてくれる筈……!


「ちょっと私からも異議あり。いやまあ、私の援護不足とか言われたら何も言えないけど、最後の方の貴方ってかなり無茶していたからねぇ。自爆覚悟なことをして負ったその怪我に関して、その子に説得するのは無理。むしろ反省して欲しいんですけど」

「……なんてこった」


 嫌な目眩を覚える。まさかここでシャーリィが敵に回るとは思わなかった――あ、違う。笑ってるのがチラリと見えた。シャーリィめ、絶対俺のことを弄って楽しんでる!


「ぐぐぅ……それなら、自己判断で勝手に危ない手段を選んで怪我を負った俺にも同じぐらいの責任がある! 君の責任云々について俺が許す。だから俺の責任を君が許して欲しい――あ、えっと、許さなくても良いっていうか……ほら、お互い様ってやつ! ああ!」

「……貴方って思ってたより結構真面目だし、のんびりしてるように見えて結構口が回るのね」


 何だと貴様。

 俺だって今自分が何を言っているのかよく分かっていないまま説得しているんだぞ。


『ユウマ……』

「だから今度からは心配をかけないように気をつける! だから、えっと、その……また最初の時みたいに気楽に話しかけて欲しい。同じ記憶喪失同士なのに、君とこのまま仲が悪いままなのは嫌だ」


 ……とにかく、彼女と仲が悪いままでいるのは嫌だった。仲が悪いままでいるぐらいなら、全部自分が悪いってことにしても良いとすら思える。

 俺の言葉に耳を傾けてくれたのか、ガラスの中の少女は顔をこちらに向けてくれた。少女はちょっとだけ恥ずかしそうな表情をして目を逸らしているが、やがて口を開いた。


『……変に気を遣わせてしまったね。ごめん、そしてありがとう。ユウマの責任? ってやつを私は許すよ』

「よかった。とりあえず、今後はお互いこんな責任の取り合いは無しにしないか? 俺も君も、今後はお互い様ってやつになるだろうから」

『……そうだな。ユウマ、君に頼みがある。これから私のことは“君”ではなく“ベル”と呼んでくれないか』


 俺の言葉を遮るように、ガラスの少女は小さくはにかんでそんな言葉を口にした。


「ベル? ……もしかして名前を思い出せたのか!?」

『いや、本名とは違う感じがする。本名を元にした愛称みたいなもので、本当の名前は別にある。でも、確かにそう呼ばれていたのを、この景色を見て思い出せたんだ』


 ガラスの中で少女は立ち上がると、もう一度こちらに背を向けて景色を眺める。チラッと見えたその横顔は、心から懐かしいものを愛でるような、そんな表情だったと思う。


『ほら、見てくれよユウマ。あそこに麦畑が見えるだろ? あれを見ていると何故だかとても懐かしくなるんだ。それから、いろんな人からそう呼ばれていたことを思い出すんだ』

「成る程ね……ねえ、他に何か思い出せたりしないかしら? 麦畑以外にも特徴があれば貴方について調べられるかもしれないんだけど」

『……いや、何も思い出せないみたいだ。暮らしていた場所の名前も、そう呼んでくれた人の名前も。今は何もわからない』


 シャーリィの問いに答えながら、少女はガラスに両手を貼り付けてその懐かしい景色を眺めていた。常に落ち着いたような、そんな大人びた口調の少女もこの瞬間は子供のように目を輝かせている。


「……なあ、ベル」


 ガラスの中で少女――ベルが少し遅れて、ちょっとだけ驚いた表情を浮かべて振り返ってくれた。


「お互い色々忘れちゃってるけど、これから二人で思い出していこう。一人じゃ心細いけど、二人ならやれる気がする」

『…………うん。これからもよろしく。二人三脚……いや、二人二脚か。変なコンビには違いないが、頼むよ』


 そう言うとベルは右手をガラスに貼り付ける。その意味を少しだけ考えて、俺は握手するみたいに右手の人差し指をベルの手と重ね合わせた。

 ……シャーリィの手のひらのような温度は感じなかったけれど、彼女は花のように笑っていた。


「……良かった、溝も埋まって仲直りできたみたいね」

「ああ。えっと……ところでシャーリィは一体何を?」


 両手に木の小枝の束を抱えたシャーリィの姿を見てそう尋ねる。

 どうやらいつの間にか会話から離脱していたようで、まるで……そう、焚き火の準備らしいことをしている。野性味溢れる立ち振る舞いと彼女自身の容姿が絶妙に合っていない。


「何って、狼煙の準備よ。あとは生木を取って、焚き火の上にくべて狼煙を上げるの」

「それは……何故ゆえに?」

「そりゃ、狼煙無しにどうやって居場所を伝えるのよ。馬車がこの近辺で待機しているから、煙を焚けば近くまで来てくれる。そういう予定だったの」


 ああ、なるほどなぁ。なんて納得している間にもシャーリィは手際よく小枝を集めてしまう。すでに焚き火の準備は済んだらしく、あとは生木を取ってくべるだけだ。


『……なんだか、シャーリィってお嬢様みたいなのに野生児みたいにたくましいな、ユウマ』

「ああ、俺のイメージが貴族からたくましい村娘になってる」


 こっそりとそんな会話をして、俺とベルは笑い合った。決して嫌味とかではなくただの他愛のない会話だったが、それがどこか心地が良い。


「……? なんか言ったかしらー?」

「いいや、何でも無い。それよりシャーリィ、生木を取ってくるよ」

『ユウマ、間違っても木から落ちたりしないでくれ』

「任せろ、根拠はないけどこういう力仕事は得意分野だ」


 ……さて、これからどうなるのか分かったものじゃないが、とりあえず記憶喪失同士、一緒にこの先を進んでいこう。

 そのためにも、まずは狼煙にちょうど良いような手頃な枝を探すことにしようか――――

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