Remember-03 転生使い/今、自分にできること

 目の前でボロのチェアーに腰掛ける女性――いや、見た目に合わせて訂正するならその“少女”は、真っ白な廃墟の中を観察するようにぐるりと眺めている。

 そんな彼女に何か話しかけることもなく、俺は地べたに座って様子をうかがっていた。


「へぇ、外から見たときはただの廃墟だったけど、中は家具とかがあったんだ……む、なんでここの壁だけ大穴が開いてるの?」


 ……こっちも訂正しておくとすれば、彼女のお嬢様みたいな見た目に反したフランクな雰囲気のせいでかける言葉が思いつかないだけだったりする。なんか距離感がイマイチ分からない。


『なあ、この女の子は誰だ?』

「……さあ?」


 第一印象として、まるで人形のように座る姿からは育ちの良さを感じさせられた。それに、このガラスの中の少女とはまた異なった印象的で少し変わった服装をしている。

 身に付けた小物を除いて色の無いモノクロな服装に、銀色の髪の毛を黒いリボンで左右両側とも束ねたツーサイドアップ。特別見栄えのある格好ではないが、彼女の子供のような可愛らしさと大人びた印象を兼ね備えていて、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。


「ねえ貴方、怪我は無い? 体調の異常とかは? 急場凌ぎだけど応急処置ぐらいならできるから遠慮なく言って」

『や、矢継ぎ早だな……』


 少女がぼやいた通り、次々に質問を重ねてくる白黒の少女。

 ……関係ないけど、この子の服装がモノクロなのは元々そういう色合いなんだよな? 瞳のと肌の色が無ければ、この色の無い世界の住人かと思ってしまいそうだ。


「怪我らしい怪我は……特にない。体調も大丈夫。どこもかしこも真っ白で最初は気分が悪くなったけど、もう慣れた。むしろ体が軽いぐらいだよ」

「体が軽い……? 言いたいことは沢山あるけど、その様子なら今は大丈夫かな……一先ず挨拶しても良いかしら。さっきはドタバタしてそんな暇がなかったけど、今なら落ち着いてできるでしょ」


 その少女は俺たちの考えていることを察してくれたのか、そんな提案をしてくれた。確かに彼女が一体何者なのか気になっていたので、俺は頷いて彼女の提案に乗る。


「ありがと、私は……シャーリィ。敬語とか付けなくて構わないから気軽にそう呼んで貰えるかしら」

「俺はユウマ。さっきは助けてくれてありがとう。本当に助かった」

「ご丁寧にありがと。で、さっきから気になってるんだけど」


 少女――シャーリィはそう言って俺の右手、ガラスの中に映っている方の少女を指差した。不思議に思われていることは少女も分かっていたようで、シャーリィと向き合って微笑んだ。


『えっと、私のことで良いのかな』

「うわぁ!? 動いただけじゃなくて喋った!?」

『そう言う訳なんだ、私は。初めましてシャーリィ。私も呼び捨てしてかまわないかな?』


 驚くシャーリィを見て彼女は笑みを浮かべながら対応した。このガラス一枚から声が聞こえるんだから誰だって驚くか。俺もかなりびっくりしたし。


「え、ええ。構わないわ。構わない……構わない、けど」


 シャーリィは何故かハッキリしない態度で返事をしながら視線を逸らす。上品に立ち振る舞うのを二の次にしたのか、白磁製のカップの取っ手のような細い腕と脚を大雑把に組んで何か深く考え込む。

 彼女が喋ることに心底驚いたような反応だが……確か怪物から逃げていた時にしれっと会話していなかったか? 俺の記憶が曖昧なだけかもしれないが。


「…………ふーん」


 少し経って考えもまとまったのか、シャーリィは深呼吸をすると何故か俺のことを疑い深く見つめてくる。それはなんと言うか……妙に湿度の高いジットリとした視線だ。


「……? 何さ」

「いえ、まあ……うん」


 怪しい視線を向けてくるシャーリィにそう聞いてみるが、視線を逸らされてしまった。それから視線は外したままシャーリィはボソッと呟いた。


「……裏声使った一人芝居じゃなかったんだ」

「おい待て今のちょっと待て」


 今の聞き捨てならない誤解はなんなのさ。




 ■□■□■





「――と、まあそんな所かな。これで私の事情とかその辺は分かった?」

『ああ、ありがとう。若いのによくこんなことをやっているな……』

「まあね。心配じゃなくて感心されるのは初めてだわ」


 自己紹介を終えてから少し経って落ち着いた頃。俺たちが記憶を無くしていることをシャーリィに告白して、色々なことを説明してもらっていた。

 何故シャーリィがこんな得体の知れない場所に居て、俺たちを助けに来たのか。シャーリィ曰く、調査としてこの辺を探索していていると俺の声や大きな物音が聞こえたので駆けつけて来たとのこと。


 ……仮の話だが、あの時彼女があと少しでも遅れていたらどうなっていたのだろうか。まあ、精々俺の首がトカゲの胃袋に収まっていた程度の誤差だろう。本当に恐ろしいな。

 そして、一番気になっていた色のないこの世界。これについてなのだが――


「……って言った感じで、つまりここ――“スモッグ”は前触れもなく唐突に現れて、一定の範囲を霧に包み込むの。悪いけど、正直これ以上の説明はできそうにないわ。スモッグが何故、どのような原理で発生したのか~って部分は未だに分かっていないから」

『この場所はスモッグっていうのか……あまり情報がないってことは、こういう現象は最近起こるようになったのか?』


 俺はシャーリィから受け取った瓶の水を飲みながら、この色のない世界についての説明を黙って聞き続ける。

 こう言う話に関しては俺なんかよりガラスの少女の方が向いている。彼女なら疑問に思ったことは口にするタイプだし、一方俺は疑問に思っても“まあそういうものなんだな”と鵜呑みにしがちと言いますか。


「この現象が発生するようになったのは……正直分からない。うーん、説明が難しいわねこの話題。とにかく、この場所のスモッグは最近できたってのは確認済みよ」


 首を横に振りながら「本当、困ったものだわー」とシャーリィは呟いた。話によればこの場所は本来、山の中腹から麓の辺りらしい。


『そうか……なあシャーリィ、突然だが君は刃物を持っているのかい?』

「刃物?」


 流し聞いていた会話の中で、意図の読めない質問が耳に残った。

 横目で様子をなんとなく様子を覗いてみると、シャーリィもやはり不思議そうな顔をしているのが見える。


「まあ、短剣なら持っているけど……それがどうかしたの?」

『そうか……いや、たいした話じゃないから気にしないでくれ。ただ、短剣の予備があれば助かるんだけど』

「……ああ、そういうこと? 予備があったら彼に貸して欲しいって話? 悪いけど予備は持ってないわ。必要ならこの家から持って行けば良いんじゃない? 別に刃物じゃなくても武器として使える物はあるでしょ」


 と、二人の視線がこっちを向く。不意に目と目が合ってしまって、何故か緊張を感じてしまう。

 ……何かに違和感を感じていたのだが、今の緊張で忘れてしまった。何を気にしていたか思い出すことより、彼女たちに何と答えるかで今は頭が精一杯だ。


「……分かったよ。何か良い感じの道具を探してみる。護身道具が無いとどうなるかさっき身をもって味わったしな」

「んじゃ、さっさと手頃な武器を探してここを抜け出すわよ。喉は潤った?」

「うん、ありがとう。逃げ回ってたから喉が乾いて窒息しそうだった……邪魔になるだろうし、空き瓶はこの霧を抜け出すまで預かるよ」

「気遣いありがと。支障が無ければ持っていてもらえると助かるわ」


 シャーリィに礼を言いながら空き瓶を上着のポケットに入れる。貴重な飲み水をいただいておきながら、空き瓶だけ返して荷物を増やすのは少し失礼な気がした。

 それに、上着のポケットは小瓶程度なら余裕で入るから手が塞がる心配もないだろう。もしも転んだりしたら割れるかもしれないけど、その辺は気をつけておこう……




 ■□■□■






 あれから休息を取らずにシャーリィを先頭に霧の中を歩き続けているが、未だに霧の中を抜け出せていない。

 俺も迷子になって長い間歩き続けた程だし、ひょっとするとこの霧の空間はかなり広かったりするのだろうか。


『ユウマ、体調は大丈夫なのか?』

「ん……足の筋肉が痛い。少し疲れを感じてる」


 逃げ回った時の疲れがまだ足に残っているのだろう。ガラスの少女にぼんやりと返事をしながら労るように太ももを軽く叩く。


「日光や大地の生命で溢れてる自然と比べて、スモッグ内部は活気とか生命力が全く無いの。だから普通の環境よりも体力を消耗しやすくなるから気をつけて……それよりも、貴方たちは生命力が特別あるのか、あるいは……」

「? 生命力が特別なんだって?」

「……ううん、そんな重要な話じゃないから気にしないで。貴方ならある程度無茶しても問題ないみたいってこと。でも辛くなったらすぐ言うのよ。私に出来るのは応急処置だけで、手遅れになってからじゃ助けられないから」


 先頭を歩くシャーリィはこちらを振り返らずに何度も注意を呼びかけてくれた。単に連れ出すだけじゃなくて護衛してくれているらしく、周りを警戒しながらこちらの心配もしてくれているようだ。

 さっきから何から何までお世話になりっぱなしで、ここまでくると申し訳なさを感じてしまう。


「…………」


 ……俺の前を歩くシャーリィを見ていると、ふと俺の手を引いてトカゲの怪物から逃げていた時の光景を思い出した。

 彼女の体から溢れていた燐光は未だに焼き付いていて、いつでも鮮明に思い浮かぶ。怪物燃やし、時には転倒させたあの不思議な力……あれは一体何だったのだろうか。


「なあシャーリィ、聞きたいことがあるんだけど――ッ、わとと!?」


 尋ねようと口を開いたその時、急に足を止めたシャーリィとぶつかってしまい転びそうになる。

 俺は転びそうになりながら二歩目で踏み留まり、シャーリィは一歩足を踏み出して衝撃に耐え、難なく踏み留まった。俺より反射神経が良いなこの子。


「あ、危ない……ごめんよぶつかって」

『シャーリィ、何かあったのか?』

「……やっば、もしかしたらアイツ待ち構えてるかも」


 そう呟くとシャーリィは手を横に伸ばして“少し待って”と俺に注意を促した。なんだか嫌そうに、あるいは憎そうに霧の向こうを凝視している。

 アイツというのはひょっとして、あのトカゲの怪物のことなのだろう。覚悟はしていたが本当にまた出会ってしまうとは。


「……ユウマ、自分の身は自分で守れるかしら」

「あ、ああ。今度はちゃんと武器がある。自衛ぐらいならなんとか出来ると思う」


 俺は片手に握り締めていた剣先ショベルを掲げるように見せながら答える。

 この世界にあった物なので不自然に真っ白になっているが、軽く振っても軋まない丈夫な代物だ。

 色のせいで見た目では素材が分からないが、先端の部分を叩くと金属特有の鈍い音が返ってくる。先端部が金属なら鈍器のように殴り潰すことも、鋭く突き刺すことも満足にできる筈だ。


「できれば戦いは避けたかったけど、今からあの怪物をここで撃退するわ。でも深追いはしないで隙があればさっさと抜け出す。ユウマは身を守ることを何よりも優先すること。あの怪物の相手は私がする」

「戦わないで道を引き返したりはできないのか?」


 ガラスをポケットに入れながら尋ねると、シャーリィは腰のポーチから方位磁針のような小道具を取り出す。金属製の円形の箱の中には小さな針がユラユラと、進んでいる方向を指していた。


「私がこのスモッグに入った経路はこっちの方角なの。スモッグの規模は分からないから別の経路を目指すのは賢明な判断じゃない。それに私、ただ逃げるだけってのが性に合わないの。仮に逃げる時はアイツの尻を蹴り飛ばしてからよ」

『……そっちが本音か』


 腰に差していた短いダガーのような短剣を抜き取ってそんな好戦的なことを口にするもんだから、ポケットの中で少女が呆れたように呟いた。

 最初は育ちの良い女の子のように思ってたけど、そんな印象はとっくにもう何処かに行ってしまわれた。なんと言うか、負けん気が強いと言えば良いのか。


 しかし、逃げても無駄なら戦うという意見も、その負けん気が強い姿勢にも賛成だ。撤退できないのなら、俺だって一発ぐらい先程の借りを返してやりたいところだ。


『……! 気をつけろユウマ! 霧で見えないけど足音がする……凄い勢いだ!』

「ッ、ああ!」


 怪物も俺たちの存在に気がついたのだろう。言われた通り、霧の向こうから乱暴に地面を走る音が聞こえてくる。

 岩を転がすような喧しい足音だが――それは唐突に、ピタリと止まって聞こえなくなった。


「足音が止まった……?」


 迎え撃とうと構えていたシャーリィは足音が途絶えたことに気がついて困惑していた。

 そうだ、俺は襲われた時に見ているが、シャーリィはあの怪物が跳んで襲いかかることを知らない……!


「違う! 止まったんじゃなくて宙に跳んでいる! 頭を目掛けて噛み付いてくるぞ――!」


 既に一度、あの怪物には今のと同じ手口で襲われている。怪物がどうやって襲ってくるか、何処を狙ってくるかは読めている。

 怪物の狙いは俺の時と同じように、反撃を許さない急所頭部への一撃必殺。それが分かっているなら俺でも返り討ちに出来る――!


「ッ、また俺狙いかこの……!」


 俺は手にした剣先ショベルを横に構えて、怪物の顔面に全力で殴りつけ跳びかかりを横へ受け流す――直後、重くて鈍い音と共に両腕の感覚がまとめて無くなった。


「グ、痛ッ!?」


 体も一瞬浮いた気がして、気がついた時には尻から地面に転んでいた。特に力を込めていた右手には痺れだけではなく、鈍い痛みが骨の中を走り抜けた。

 痛みで思わず顔が歪む。手元を見ると殴りつけたショベルの先端部分は金属で作られているにも関わらず、あろうことかたったの一振りで飴細工みたいに"く"の字に曲がってしまった。

 たったの一振りで歪むショベルの強度もどうかと思うが、鎧みたいなあの岩は反則だろ……!?


「グウウゥゥゥ……」

「! しま――」


 飛来してくる怪物を横に逸らすことには成功したが、距離があまりに近すぎる。どうにか身を守ろうにも、腕が痺れてショベルを思うように握れない。

 そんな無防備な俺の目の前で、トカゲの怪物は大きく口を開けて今にも飛びかかろうと迫って来る――!


「うぐッ……!」


 咄嗟に痺れる腕でショベルを突き出す。それと同時に、金属板が潰れる音と木材の細かい破片を顔に浴びた。

 怪物の口に突っ込まれたショベルの金属板は、石器のような牙で瞬く間に潰されてしまった。怪物が噛み合わせる度、金属はグニャグニャとゴムのように変形する。


「これは……ッ、マズイ――」


 ショベルの金属部分は怪物の噛み付きに耐えているが、このままだとあっけなく噛み砕かれ鉄屑となるだろう。そのままショベルの柄を噛み砕き、最後には俺の腕なんかも粉々になるのがなんとなく想像できる。

 しかし、倒れた姿勢のまま口に突っ込んだショベルで押さえつけるのに精一杯なこの状況、逃げる余裕はどこにもない――


「ッ……depict描写Hagall妨害!」


 俺が単独で絶体絶命に追い詰められているところ、その隙を突いてシャーリィの放った光弾が怪物に命中し火花の如く弾ける。


 光弾が怪物に効いたのか、あるいは注意を引く効果を持つのか。

 怪物はあっさりとショベルを吐き出し、シャーリィの方へと殺気立った様子で向く。そのまま怪物は威嚇しながらゆっくりとシャーリィに距離を詰めはじめた。

 

「今のうちに離れて! depict描写Kano!」


 先手を取るようにシャーリィが素早い動作で宙に文字を描くと、その文字が変化して光弾が三発撃ち出される。だが、どうやら精度はあまり良くないらしく、三発のうち二発は怪物の手前、後ろに外れて火が爆ぜる。

 残った一発は寸分違わず怪物を狙って飛翔し――――鞭のような尻尾の横払いで噴き出た炎ごと払い除けられた。


「マズいかも……よく見たらコイツ、のか……! ユウマ、もっと離れてなさい! 火力を増すから、そこだと巻き込まれるわよ!」


 そう警告しながらシャーリィは怪物の反撃を紙一重で回避して、後ろに大きく飛んで距離を取る。その声に余裕はなく、本当に“近くにいれば安全は保障できない”と言うことが伝わってくる。


 ……そして、体に燐光を灯しているその姿を見ていると、やっぱり喉奧が渦巻くような熱気で苦しくなる。

 燐光に目が眩んでいるのかと思ったけど妙だ。この病気のような熱気は普通じゃない。脳みそは煮立ったように熱いし、目の奧は火が付いたみたいにチカチカする。


「ッ、コイツ……! ッ、ぐ――――!?」

「! シャーリィ!?」


 漏れ出るような苦痛の声を聞いてハッと顔を上げる。シャーリィが地面に転がる姿を見て思わず叫び声を吐き出した。

 ……ぱっと見だと血は出ていないし、上手いこと転がって受け身も取れている。吹っ飛ばされたみたいだが怪物の攻撃を上手いこと短剣で受け流していたらしく、辛うじて直撃は避けていた様子。

 しかし、それでも受けた一撃は重かったらしい。シャーリィは倒れたまま身を起こすことが出来ず、唯一の武器も俺の近くにまではじき飛ばされていた。

 怪物はそんな彼女に少しずつ距離を詰め、短剣のような牙を剥いて――


「……おい、やめろ! 俺だ! 腹を空かせているのなら、俺の方が食い応えがあるだろ!」

『駄目だユウマ! 注意を引くな! そんなことしたら――』

「そんなことでもしなきゃ! ッ、シャーリィが喰われちまうだろ!」


 少女の静止を無視して、拾える限りの礫を大雑把に握って怪物に投げつける。三回ほど投げつけるといい加減煩わしく感じたのか、ギロリと今まで以上に敵意を見せつけてきた。

 俺は慌てて近くに落ちていたシャーリィの短剣を拾って両手で構える。足を擦るように、ジリジリと後ずさりをして怪物から距離を取り続ける。


『バカ! 喰われるつもりか!?』

「俺が喰われても、シャーリィと君が助かる……それなら俺が喰われても無駄じゃない」

『そんな……そんなことをしたら死ぬんだぞ!? 記憶喪失とは言え、そんなことさえ忘れたのか!?』

「いや、ちゃんと知ってる。死ぬことはちょっと怖いけど、無駄に死んだり無駄に生き残る方がずっと怖い」

『ユウマ……お前は本当の、本当に死ぬことが怖くないのか……?』

「ああ。君の名前を知れなかったのは惜しいけど。シャーリィと一緒にゆっくり思い出してくれ』


 彼女を不安にしないよう語りかけながら、短剣に添えていた片手をポケットの中に突っ込んでガラス少女を取り出す。

 どうにかしてこの子はシャーリィに託さなければならない。しかし、今シャーリィに近づいてそばに置こうとすれば、動けないシャーリィに危険が及ぶ可能性がある。

 それなら、この辺りに上着ごと置いていけば見つけて貰えるだろうか……?


「とにかく、君のことはシャーリィに託す。俺はできるだけ遠くに引き寄せるから、君はシャーリィと――」

『ッ、――――だ……だったら!』


 ……それは、俺の言葉を遮るように。

 今までの大人びた雰囲気の話し方とは違って、余裕もなく必死な様子で、少女は力強く声を上げた。


『だったら……望み通り、教えてやる。シャーリィも私も。そしてユウマも……私たち全員が生き残る方法を』

「……なに?」


 彼女はそんな、冗談みたいな言葉を言ってのける。だが、その真剣からただ急場凌ぎのデマカセを口にした、という訳ではないことは伝わる……気がする。

 それに実際、ガラスの中の彼女の瞳には強い決断の意思が込められているように感じられた。そんな目を向けられてしまえば、俺に聞かない選択肢は無い。


『だからユウマ、教えてやる対価としてまず私と二つ約束しろ』

「二つ、約束……?」

『今から私の言う指示を信じて疑わず実行しろ。そして、そして……どうか、二度と自分の死なんかに意味を見出すような……死ぬことを最善の選択肢として挙げないでくれ……! ――さあ、私の要求を呑めるか!』


 彼女の口にした約束。高圧的な物言いに対してその内容は、ずいぶんと俺のことを心配しているものだった。

 そもそも対価を求めること自体が不思議だったが、どうやら本命は二つ目の約束らしい。怒りとか悲しみとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになっているように感じられた。


『良いから早く約束しろ! お願いだから……!』


 その上、俺が予想外の内容に驚いて思わず黙り込んでいると、まるで懇願するように急かしてくるのだった。本当は早く教えて助けたいけど、対価に挙げた約束は絶対に曲げたくないような、そんな様子。

 ……こんな強気で弱々しいものを見せられたら、俺もハッキリと答えるしかない。泣きだしてしまう前に早く答えなきゃ。


「……まずは約束通り、今の言葉を信じて実行する。その約束、二つともちゃんと守るよ。だから教えてくれ! どうすればみんなを助けられる!?」


 両手で胸倉に掴みかかるみたいに、ゆっくりと迫り来る怪物なんてお構いなしに、ガラスの両端を掴んで尋ねる。少女は、俺の右手に握りっぱなしの短剣を一目見ると一呼吸置いて口を開いた。


『その刃物を首に当ててくれ。そして肌を掠める程度に軽く首を切り裂いて、生まれ変わるんだ』

「首を切り裂いて、生まれ変わる……?」

『ああ。本当に首を切る必要は無い。ただ、本当に命を断つつもりで、首を切れ』

「――――」


 言われるがままに俺は短剣を首に添えた。鋭い刃がヒヤリと冷たく、肌の少し奧で血が脈打ってる振動が刀身に伝わってくる……気がする。


 自分が何をしようとしているのか改めて実感して背筋が凍り付く。命を懸けるのと自らの手で命を絶つのでは必要な覚悟がまた違う。命を懸ける覚悟をしていても、まるで恐怖が首に巻き付いてくる。

 ……大丈夫。本当に切り裂く必要はないんだ。薄皮一枚削る程度で良い――もっとも、こんな興奮した状態でそんな器用なことが出来ればの話だが。

 短剣を首に添えている腕をもう片方の腕で支えていないと、震えで間違いなく手元が狂うだろう。


「ハァ、ハァ――ッ」


 自然と呼吸が荒くなる。普通じゃないことをやっているのだから当然か。

 体の芯から沸き上がる熱は、皮膚に包み込まれていて体の外へ放散できずにいる。まるで卵の殻のように、熱が外に抜け出るのを皮膚が防いでいる。

 ……外に逃げ出せずに溜まったこの熱を開放するには、つまりこうすればいい。


「やって、やる……ッ!」


 一息に。

 腹から唸るように声を出して、歯を食いしばりながら、俺は自分自身の首筋を短剣で切り裂いた――

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